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テレビマガジン創刊55周年記念! 特撮スチールカメラマン、大島康嗣インタビュー

  • 2026.10.29
cocreco自らが撮影した写真が満載された2冊を手にした、大島康嗣カメラマン PHOTO/講談社

今年2026年、1971年の創刊から55周年を迎える「テレビマガジン」。その中でも人気を保ち続けてきた2大シリーズ、「ウルトラマンシリーズ」と「仮面ライダーシリーズ」の撮影現場で、常に講談社のためのスチール写真を撮り続けてきたのが、大島康嗣(おおしまやすじ)カメラマンです。

その大島カメラマンに、2026年8月7日に発売された「テレビマガジン特別編集 ウルトラマンシリーズ60周年記念 全ウルトラマン記録大鑑」(講談社刊。税込み定価:1万6500円)と、2026年9月3日に発売の「テレビマガジン特別編集 仮面ライダー 昭和46年~48年 講談社所蔵写真集 究極」(講談社刊。税込み定価:1万9800円)を見ていただきながら、当時の思い出を語ってもらいました。

「全ウルトラマン記録大鑑」と「仮面ライダー 究極」の2冊を見て

ほぉ~。今回「テレビマガジン」からこんなに厚い本が2冊も出版されたんだねぇ(笑)。

「(全)ウルトラマン(記録大鑑)」は全体の2/3、「仮面ライダー(究極)」に載っているのは、ほとんど私の(撮った)写真だけれど、まだこんなに編集部に残っていたんだ。それらをそれぞれ一冊にまとめてくれたことに感謝をしていますが、半世紀以上前のものもあって、つくづく年月の流れを感じます。

キャラクター番組のカメラマンに

cocreco若き日の大島カメラマン。鋭い眼光がプロの矜持を物語る PHOTO/講談社

これを読んでくれる皆さんは、もう知ってくれていると思うけれど、講談社写真部に入社したばかりの私は、「若い女性」という女性雑誌で、洋服や家具、料理、ヘアセットされたモデルさんを、また、漫画雑誌「週刊少女フレンド」では女の子モデルのグラビア写真を撮っていました。

その後、「週刊少年マガジン」編集部から巻頭グラビア用の写真を依頼されるようになり、そのなかの一つに“キャラクター番組”の撮影があったんです。でも、馴染みの薄かったジャンルということもあって、先輩カメラマンたちは、「撮りたくない!」と言って拒否する。それで、一番後輩だった私がやることになったんだね(笑)。

『丸出だめ夫』や『ウルトラQ』、『ウルトラマン』の現場に行ってキャラクターの写真をたくさん撮りましたが、そんなときに「週刊少年マガジン」の内田(勝)編集長や部員だった田中(利雄。後の「テレビマガジン」編集長)さんと知り合ったんです。

『ウルトラマン』の時代

正直、特撮現場での撮影はしんどかったね。当時は、今ほど高速道路が整備されていなかったから、埼玉県の自宅を毎日朝5時前に出発し、一般道を約2時間走って東京都世田谷区・成城にあったスタジオ(東京美術センター)へ通っていました。

でも、ようやく到着すると、撮影スタッフから「大島ちゃん、わざわざ来てくれたけれど、(撮影準備の関係で)今日はウルトラマンの登場はないよ。たぶん、明日だな!」と言われちゃってね。正直、空振りです。で、仕方がないから次の日も同時刻にスタジオへ行って、なんとかウルトラマンと怪獣の絡みや単体を撮影しましたよ(笑)。

写真を撮っていたときに記憶に残っているのは、やはり古谷(敏)さんの頑張りかな。ウルトラマンを演じていた彼は本当に大変で、いつも汗びっしょりになって芝居をしていた。しかも、本番が終わって疲れているだろうに、私が「古谷さんごめん、ちょっとスチールを撮らせて!」とお願いすると、嫌な態度を見せずにスーツを着たままでポーズを取ってくれる。これには本当に感謝しています。

あと、中島(春雄)さんの怪獣も印象的だった。あの方は東宝でゴジラ役も担当していたので、芝居が上手いのは当然なんだろうけれど、『ウルトラマン』の現場で演じていたガボラやジラースは動きに迫力もあるし、スチールでのポーズもかっこよかった。個人的にも“気に入った写真が撮れた”と思っています。

そして、『ウルトラセブン』へ

『ウルトラセブン』での思い出は、本編撮影でお世話になった森次(浩司、現・森次晃嗣/モロボシ・ダン役)さんかな?

私は普段、特撮番組で人間(ドラマの主人公)はあまり撮らないんだけれど、何故か彼(ダン)のスチールは押さえているんだよね。基地(ウルトラ警備隊の作戦室)の中ではもちろん、TBSの敷地内で行われた撮影会、美セン(東京美術センター)の外、神戸ロケ(第14話、第15話)など、意外と多く残っているでしょう? 彼が(スチール撮影に)協力的だったこともあるし、かっこいいからたくさん撮ったんだね。

これは、だいぶ後になってからの話なんですが、ある日、東映の制作スタッフから「森次さんが『仮面ライダーブレイド』に出演することになり、大島さんに会いたがっているから、撮影にきてくれませんか?」と連絡が来て、次の日、神奈川県の造船所ロケの現場で彼と再会したんです。森次さんは「大島ちゃん、久しぶりだねぇ。元気だった?」と、喜んでくれてね。36年振りに彼(天王路博史役)のスチールを撮りました。

『仮面ライダー』の想い出

cocreco本のゲラ(印刷見本)を見ながら飛び出す大島カメラマンの想い出話が、尽きることはない PHOTO/講談社

『ウルトラセブン』が終わった後は、大伴(昌司)さんから指名されて「週刊少年マガジン」のグラビア撮影を中心に活動していたんだけれど、あるとき、「週刊ぼくらマガジン」編集部の富井(道宏)さんから「講談社で原作漫画を掲載する『仮面ライダー』の撮影を担当してくれませんか?」と頼まれ、受けることにしたんです。

でも、最初は何を撮っていいのかわからなくてね(笑)。とりあえず、仮面ライダーと怪人の単体、絡み、オートバイ(サイクロン号)の走りなんかを中心に撮影しました。そんなとき、藤岡 弘(現・藤岡 弘、/本郷 猛役)さんと出会ったんです。

彼は主役の人物だけじゃなく、仮面ライダー(のスーツアクター)も演じていたから、現場で一緒にいる時間も長いでしょう。だから、話しているうちにだんだんと打ち解けていきました。当時の彼は、いつも危険と隣り合わせのような撮影をしていて大変そうでした。体力的にもきつかったと思いますよ。

特に大阪・エキスポランド(現・EXPO CITY)での撮影時は、ジェットコースターの一番高い場所でアクションをしたり、オートバイで長い石段を駆け上がったりと、いろいろなことにチャレンジしていましたね。

「テレビマガジン」創刊!

cocrecoテレビマガジン創刊号(1971年12月号) PHOTO/講談社

その後、会社からの指示で『仮面ライダー』の撮影(第9話以降)には行かなかったんだけれど、3ヵ月後くらいだったかな? 田中さんから「今度、『仮面ライダー』を中心にした新雑誌を創刊するので、また、撮影に行ってくれない?」と頼まれたんです。

それで、(実質的な)編集長となった彼と東映生田スタジオに行って、所長の内田(有作)さんに話をしたら、「今は地方ロケに行っているから、帰ってきたら参加してもいいよ!」と許可をもらえました。ロケから帰ってくるまでの間は、講談社が撮っていなかった仮面ライダー2号や怪人の写真を生田スタジオで押さえていたんです。

『仮面ライダー』の人気が上昇して「たのしい幼稚園」も本誌で特集を組んだり、絵本を発売するようになり、「たのしい幼稚園」副編集長になっていた富井さんから「ライダーや怪人の写真を大きく引き伸ばしたいから、6×6(ロクロク。大判のポジフィルム)で撮ってくれ!」と頼まれたんです。

35ミリならともかく6×6で同じポーズの写真をいろいろな編集部のために撮るのは、(カメラ用の)マガジンに入るフィルムの枚数には制限があるもので、「どうしたものかな?」と考え、写真部に72枚分のフィルムが入るマガジンを手に入れてもらいました。このことによって特写で同じキャラクターのポーズを各6枚ずつ撮影できるようになり、関係する編集部に写真が行き渡るようになりました。

『仮面ライダー』チームの一員となるまで

cocreco壮年期の大島カメラマン。ベテランの味が光る! PHOTO/講談社

『仮面ライダー』の撮影で一番気にしていたのは、やはり大野剣友会との付き合いだね。とにかく、彼らの協力がなければライダーや怪人の写真は撮れないんだから。メンバーを束ねていた中村(文弥)さんからも、最初は「現場で動いているカットはいくら撮ってもらっても構わないけれど、単体や絡みの特写には協力しない!」と言われてしまいました。

困った私は、休憩中の彼らに気を遣って飲み物を差し入れたり、冷房が効いたハイヤーの中で休んでもらったりと、徐々に信頼関係を築いていったんです。そうしたら中村さんも私のことを“仲間”と認識してくれるようになり、剣友会の若手に「大島ちゃんの特写にだけは、力を貸すように!」と言ってくれたんです。

おかげで、撮影スタッフからは「ジュースのおじさん」という“愛称”で呼ばれ、撮影中にも支障なく写真が撮れるようになりました。

地方ロケではアクシデントも

ロケでよく行ったのは、(生田スタジオの)近くだと稲城の三栄土木や多摩美公園、鶴川のおばマン(通称・おばけマンション)、(旧多摩)聖蹟記念館、遠方だと下田港や三浦海岸だね。

そうそう、あそこ(三浦海岸)の砂浜で納車直後のオートバイ(にせ新サイクロン号)をロケの合間に撮影していたんだけれど、海水を浴びせて故障させちゃってね。「これは弁償だな!」と思って落ち込んでいたら、内田所長から、「同じ釜の飯を食った仲間なんだから、気にするなよ!」と言ってもらったことは、今でも忘れませんね。

地方だと九州・えびの高原や南紀・白浜でのロケかな? 撮影隊と行動を共にしていたから、かなり細かく写真を撮っていました。梅雨時期に行った白浜ロケは雨で撮影が進まず、やることがないので、殺陣師の高橋(一俊)さんに頼んで仮面ライダー1号や2号、怪人(モスキラス)の特写を撮らせてもらいました。

まぁ、私も「編集部からの期待を背負ってロケに来ているんだから、少しでも良い写真を撮らなくちゃ!」と考えて行動していましたね。

あらためて、当時を振り返って

cocreco抜群の記憶力を発揮する大島カメラマン。次から次へと想い出話が PHOTO/講談社

『ウルトラマン』の撮影から60年、『仮面ライダー』から55年も経ったなんて、本当に信じられませんよ。当時は私も若かったから必死に撮影していたし、だからこそ皆さんに「いいね!」と思っていただける写真が残ったんでしょう。

それに、私の写真で「週刊少年マガジン」や「テレビマガジン」のグラビアを構成してくれた編集部の方々にも本当に感謝しています。

大島康嗣氏プロフィール

1942年(昭和17年)8月1日埼玉県生まれ。写真専門学校を卒業後、1964年(昭和39年)に講談社写真部のカメラマンとなり、「若い女性」や「週刊少女フレンド」と並行しつつ、1965年(昭和40年)から「週刊少年マガジン」グラビア特集の撮影を担当。『丸出だめ夫』や『ウルトラマン』、『ウルトラセブン』などの特撮作品に関わる。

1971年(昭和46年)、『仮面ライダー』の放送中に創刊した「テレビマガジン」を中心とした児童誌の仕事を中心とするようになり、2020年(令和2年)の『仮面ライダーゼロワン』までの54年間にわたって多くのベストスチールをカメラに収めた。

まさに究極の一冊! 『仮面ライダー 究極』2026年9月3日発売!

大好評発売中の「テレビマガジン特別編集 ウルトラマンシリーズ60周年記念 全ウルトラマン記録大鑑」(講談社刊。税込み定価:1万6500円)に続いて発売される、「テレビマガジン特別編集 仮面ライダー 昭和46年~48年 講談社所蔵写真集 究極」(講談社刊。税込み定価:1万9800円)は、その名のとおり、「仮面ライダーシリーズ」とともに歩んできた講談社の所蔵する全写真を洗い直して、全バリエーションの掲載に努めた400ページ超の写真資料集です。

スチールカメラマンはもちろん、講談社の雑誌・ムック掲載の特撮スチールを撮影し続けてきた大島康嗣カメラマン! 放送順ではなく制作順にページを構成していますので、制作の過程にも思いをはせることができるかもしれません。

仮面ライダーファンには必読の本となっています!

cocreco「テレビマガジン特別編集 仮面ライダー 昭和46年~48年 講談社所蔵写真集 究極」(講談社刊。税込み定価:1万9800円)

©石森プロ・東映

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