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「額が竹中直人に似ていた」から映画出演…JR社員→照明助手だった【名俳優】54歳で初主演をつかむまで

  • 2026.11.3
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2017年8月、映画『蠱毒 ミートボールマシン』の舞台挨拶に出席した田中要次(C)SANKEI

35年前の1991年11月、ひとつの特異な日本映画が劇場公開された。竹中直人の初監督・主演作『無能の人』である。

つげ義春の同名漫画を原作に、多摩川の河原で拾った石を売る、売れなくなった漫画家とその家族の哀歓を描いた作品だ。ベネチア国際映画祭の国際批評家連盟賞をはじめ、国内外で高い評価を受けた。

この記念碑的な現場の片隅に、照明助手として加わっていた一人の青年がいた。JR東海を脱サラして上京したばかりで、のちに名バイプレイヤーとして名を馳せることになる田中要次である。

裏方として参加していたはずの彼が、なぜスクリーンに映ることになったのか。いまや『HERO』の「あるよ」でお馴染みの名脇役の原点は、映画の撮影現場ならではの、あまりにもユーモラスで幸福な偶然にあった。

線路を守る国鉄マンから映画の熱気へ

長野・木曽で育った田中は、高校卒業後に国鉄へ就職。線路の保守・点検を担う保線の仕事に従事していた。1987年の分割民営化に伴いJR東海の社員となり、愛知県へ異動する。

転機となったのは、休日に通い詰めていた名古屋の映画館だった。映画好きが高じて上映を手伝うまでになり、そこで山川直人監督と巡り合う。アマチュアバンドで活動していた経験を買われ、山川監督の短編音楽ビデオに出演することになったのだ。

初めて足を踏み入れた撮影現場で、田中はものを作る手応えと、現場にいる楽しさを知る。この体験に背中を押されるようにして、田中は1990年、27歳でJRを退職する。安定した職を捨て、東京へと飛び込んだ。

竹中直人の額が招いた奇跡の出番

役者を志しての上京だったが、すぐに役が回ってくるほど甘い世界ではない。山川組で縁のできたスタッフを頼り、まずは照明部の助手として業界の門を叩いた。その現場こそが、奇しくも竹中の初監督作『無能の人』だった。

撮影現場で、フィルムテストの時間が訪れる。しかし、主演兼監督の竹中はまだ現場に到着していない。撮影技師がテストのモデルに指名したのは、助手の田中だった。決め手となったのは、なんと額が竹中に似ていたことだ。

テスト映像を見た竹中が田中の顔を面白がり、田中はエキストラとして本編にも映ることになった。

運転席の自問自答と覚悟の役者一本

映画に映ったとはいえ、生活の中心は依然として裏方の仕事だった。バブル景気のさなか、撮影スタッフとして忙しく働く日々が続く。

そんなある日、スタッフとして車を運転していた田中は、このままでいいのかと考え込むうちに事故を起こしてしまう。田中自身がのちの講演で、俳優として動き出すきっかけに挙げた、人生の分岐点である。

竹中直人との縁も続いた。竹中が再び監督した映画『119』(1994年)への出演を機に、田中はスタッフとの掛け持ちをやめ、俳優一本で生きていく覚悟を決めた。

たった3文字の「あるよ」に込めた職人魂

田中の名がお茶の間に決定的に刻まれたのは、2001年のドラマ『HERO』だ。木村拓哉演じる型破りな検事が通うバーの、寡黙なマスター役である。どんな無茶な注文にも「あるよ」と応じるこの役で、田中の顔は瞬く間に知られることになった。

だが、田中の最初の台詞はこの3文字ではなく、「ビール」の一語だった。「あるよ」が登場するのは第4話から。当初は自分をエキストラの一人くらいに捉えていた田中だったが、第1話の終わりに主人公と一緒に画面に映る自分を見て、役の重さに気づく。

同じ台詞でも決まりきった言い方にはしたくないと、田中は回ごとに「あるよ」のニュアンスを変えた。

後に当時を振り返って、「あるよ」を求められることを、犬が「お手」と言われているようだと笑った。恥ずかしい時期もあったが、いまは自分のバロメーターのように受け止めている。

27歳という遅い出発だったからこそ、焦りはなかった。無理はせず、しかし諦めない。2017年には映画『蠱毒 ミートボールマシン』で、54歳にして初の映画主演を果たす。

初日舞台挨拶では「センターに立つことが初めて」と緊張気味に語り、「今日からが勝負」と続けた。かつて監督の代わりにテストのフィルムに映った男が、半生をかけてスクリーンの真ん中へたどり着いた瞬間だった。

大河ドラマで再び交わる二人の道

そして2026年のNHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』で、田中は尾張・中村の山寺の住職、了雲和尚を演じた。のちの豊臣秀長と秀吉の兄弟を、幼いころから見守る役どころだ。

同じ作品には、戦国乱世の梟雄・松永久秀を演じる竹中直人の姿がある。竹中といえば、ちょうど30年前に大河ドラマ『秀吉』で主演を務めた人だ。

35年前の撮影現場で、監督の到着を待つあいだ、竹中の代わりにカメラの前に立たされた照明助手の青年。その青年、田中要次が、いまは竹中と同じ大河ドラマのキャストに名を連ねている。

スポットライトの当たらない影の場所から始まった、田中要次の役者人生。求められた現場で一言ずつ違う味わいを出してきたその足跡は、35年かけてここまで延びてきた。


※記事は執筆時点の情報です

(文・野方希望)

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