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24年前、離婚寸前で“夫婦の危機”も…“100キロ”を走り抜いた【天然アイドル】夫婦の真実

  • 2026.11.3
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2002年11月、「パートナー・オブ・ザ・イヤー2002」に選ばれた西村知美(C)SANKEI

100キロを走ってきた彼女を、ゴールの直前で支えたひとりの男性がいた。ゴールテープを切ったあと、二人は抱き合った。感動のフィナーレ……のはずが、当の本人は翌日の新聞を見るまで、自分を支えていたのが夫だと気づいていなかった。

天然キャラで知られる西村知美らしい、思わずクスリと笑ってしまうエピソードだ。だが、2002年の『24時間テレビ』チャリティーマラソンで生まれたこの名場面の裏には、単なる美談や笑い話では片付けられない、切実な夫婦のドラマが隠されていた。

24年前の2002年、11月22日の「いい夫婦の日」に向けて選ばれる「パートナー・オブ・ザ・イヤー2002」に輝いたのが、西村知美と、元CHA-CHAのメンバーで料理人に転身していた西尾拓美の夫妻だった。応募総数は4万件超。投票した人の声には、あの夏の100キロマラソンで夫が応援し続けた場面を挙げるものもあった。

しかし、のちに西村自身が明かしたところによれば、あの夏の二人は、世間が思い描くほのぼのとした夫婦の姿とはかけ離れた、どん底の淵から走り出していたのである。

友人歴10年から結婚へ

二人の歴史は長い。デビューして間もない西村が持っていたラジオ番組に、西尾が出たのが始まりで、友人関係は10年近くに及んだ。ドラマ『星の金貨』シリーズで共演し、劇中で夫婦になった西村と西尾が、現実でもゴールインを果たしたのは1997年9月。共通の友人だったさだまさしに背中を押され、西尾が電話で結婚を申し込んだ。

2002年当時、西村は『さんまのスーパーからくりTV』のレギュラーとして、天然キャラクターを炸裂させていた。一方の西尾はすでに芸能界を離れ、レストランの経営に携わっていた。お茶の間から見れば、理想のカップルそのものだった。

離婚の言葉まで出た二人に届いたオファー

だが、その裏で、夫婦関係は深刻な危機を迎えていた。

夫婦の間で「離婚」という言葉までよく出ていたことを、西村は後に明かしている。何年も不妊治療を続けていたころで、子どもを望む西村の気持ちが強すぎるあまり、いつしか二人の歯車は狂い始めていた。

そんな八方ふさがりの二人のもとに届いたのが、『24時間テレビ25』のチャリティーマラソンのオファーだった。

前年に走った研ナオコ(85キロ)を上回る、女性ランナーとしては初めての100キロへの挑戦。当時31歳の西村にとって、過酷な挑戦だった。だが、このオファーが、結果として夫婦の運命を大きく変えることになる。

走ることに集中できたことで、西村の張り詰めていた心は前を向き始めた。そして何より、夫である西尾の献身が妻を支えた。料理人でもある西尾は、栄養の面だけでなく体力の面でも、妻の100キロの挑戦に寄り添った。

ゴールで支えてくれたのは誰?

迎えた8月の本番。声援を受けながら、西村は100キロの道のりを一歩一歩進んだ。

ゴールの直前、走る西村を支えていたのは夫の西尾だった。西村は番組の時間内に100キロを走り抜き、ゴールのあと二人は抱き合った。見ていた人の心を打った光景だった。

ところが当の西村は、自分を支えていたのが誰なのか分かっていなかった。隣にいたのが夫だったと西村が知ったのは、なんと翌日、新聞を見たときだった。そこまで全面的に協力してくれていたのだと、あらためて夫に感謝した。

離婚寸前まで思い詰めていた夫婦が、100キロのゴールで抱き合い、妻はゴール前に自分を支えていたのが夫だったと、一日遅れで知る。なんともあべこべで、温かい大団円だった。

その年、二人は「いい夫婦」に選ばれる。そして翌2003年8月、二人のもとには待望の長女が誕生した。2018年の番組で西村は、あのマラソンのあとに子どもに恵まれたと、目を潤ませながら振り返っている。

55歳のステージに揺れた青いペンライト

あの激走から24年近くが経った2026年3月20日。デビュー40周年を迎えた西村は、東京・渋谷のステージに立っていた。単独ライブの開催は、実に38年ぶりのこと。歌が苦手だからと長く固辞し続けていたステージだったが、昼夜2公演で23曲を歌い上げた。

1曲目のデビュー曲『夢色のメッセージ』から早くも声を詰まらせた彼女は、客席で揺れる青いペンライトを前に何度も涙をぬぐい、「こんな日が来るとは思いませんでした」と口にした。

24年前の夏、100キロのゴールで、西村には隣で支えてくれる夫の姿が見えていなかった。55歳のステージでは、長年自分を待っていてくれた人たちのあたたかな光が、しっかりと彼女の瞳に映っていたのだと思う。


※記事は執筆時点の情報です

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