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石油王の孫、ジョン・ポール・ゲティ3世を襲った残酷な「富の呪い」

  • 2026.10.22
Bettmann / Getty Images

裕福な家庭に生まれながらも、不条理な生涯を送ったジョン・ポール・ゲティ3世。16歳で158日間におよぶ誘拐事件に巻き込まれ、過酷なトラウマから逃れるためのドラッグと全身麻痺に苦しんだ晩年。「世界で最も幸運で、最も不運」と呼ばれた1人の青年を襲った不幸と、ゲティ一族にかけられた「富の呪い」に迫ります。

Hulton Deutsch / Getty Images

名門一族の影で崩壊した「黄金の少年」

1956年、世界一の大富豪である石油王の孫として生まれたジョン・ポール・ゲティ3世。父は一族の三男ジョン・ポール・ゲティ・ジュニア、母は元女優のアビゲイル・ハリスという、富豪一族に生まれついた彼のことを世間は「ゴールデン・ボーイ」と呼び、世界一幸運な少年と羨みました。

しかし彼の幼少期は決して幸福なものではありませんでした。両親は彼が8歳のときに離婚。父は薬物中毒の深い沼へとハマり、子供へ関心を示すことなく、ネグレクト状態。さらに母が離婚時に十分な慰謝料を受け取らなかったため、世界一の大富豪の孫とは思えない、困窮した環境で育ちました。

成長したポールは名門のインターナショナルスクールに入るも14歳で退学処分となります。以降はヒッピー文化に浸り、夜のローマの街で自作の絵画やジュエリーを売り歩くなど自由奔放で無防備な少年時代を送ったのです。

Len Trievnor / Getty Images

金の亡者な祖父、無関心の父。富が生んだ歪み

ポールの人生を狂わせたのは、祖父ゲティと父ジュニアという二人の家族の存在でした。祖父ジャン・ポール・ゲティの金銭への執着は狂気的で、12歳の末息子が脳腫瘍で闘病した医療費には「高い」と文句をつけ、その子が亡くなると葬儀には出席しない、という徹底した利己主義者でした。

その冷酷さは孫であるポールにも向けられます。貧困に喘ぎヒッピー生活を送る彼への援助を固く拒み、クリスマスには自社ロゴ入りの安物ノベルティを贈るだけ。世界一の富を誇りながら、家族には1ペニーの温もりすら与えませんでした。

一方、父ジョン・ポール・ゲティ・ジュニアは、重度のヘロイン中毒に。再婚相手の女優タリサが薬物の過剰摂取で謎の死を遂げると、ロンドンの屋敷に何年も引きこもり、鬱病状態に陥ります。大富豪ながら守銭奴の祖父と、ドラッグの沼へ堕ちた無力な父。二人の歪んだ存在が、ポールを孤立無援の悲劇へと追い込んでいきます。

Vittoriano Rastelli / Getty Images

切断された右耳と値切られた身代金

1973年7月10日未明、16歳のポールはローマの広場で犯罪組織ンドランゲタに拉致され、カラブリア州の暗い洞窟に監禁されます。犯人は1,700万ドル(約45億円)の身代金を要求。祖父ゲティは「今1ペニーでも支払えば、他の孫たちも誘拐の標的になる」として支払いを全額拒否します。そこから5か月もの間、実に10回もの脅迫文のやり取りが続けられました。

一向に身代金を払おうとしない祖父に対し、焦った犯人側は金額を段階的に引き下げます。それでもなお動こうとしないゲティ一家に痺れを切らした犯人グループは、ポールの右耳をカミソリで切り落とし、新聞社へ送りつけるという暴挙に出ました。

この凄惨な事態に至り、ようやく重い腰を上げた祖父でしたが、この極限状態にあってもなお更なる身代金の減額を要求。最終的に300万ドルで合意したもの、祖父が自腹を切って支払うことを承諾したのは、税金控除が適用され、自身の資産が1ペニーも減らない上限額である220万ドルのみでした。そして、不足した約80万ドルについても、愛する孫の命がかかっている場面であるにもかかわらず、実の息子(ポールの父)に「年利4%の利息付きで貸し付ける」という冷血極まりない取引を突きつけたのです。

さらに耳を疑うのは、孫の命には金を出し渋りながら、裏では趣味である数百万ドル単位の美術品や骨董品を平然と買い漁っていたというところ。美術品は資産、身代金は損失という、孫が死の淵をさまよう中で示された歪んだ価値観は、凶悪な犯人グループすら同情を寄せるほど非情なものでした。

Michael Ochs Archives / Getty Images

地獄からの決死の生還も、そこはまた地獄

1973年12月、158日間に及ぶ拉致からようやく解放されます。ポールは、助けてくれた祖父に感謝の電話をかけますが、祖父はその電話に出ることすら拒否したといいます。

耳を切られた際、衛生環境の劣悪な洞窟でまともな医療処置も麻酔も行われませんでした。傷口からの激痛と高熱にのたうち回るポールに対し、犯人グループは死なれると身代金が入らなくなるため、痛みを紛らわせる麻酔代わりとして大量のブランデーを強制的に与え続けました。

未発達な16歳の身体に、連日大量のアルコールと強力な抗生剤が投与され続けたことで、解放された時点ですでに彼の身体と脳は強いアルコール依存・薬物依存の引き金を作られてしまっていたのです。

解放された後も、耳を失った自身の姿、いつ殺されるか分からなかった158日間の暗闇の恐怖、そして家族に見捨てられたという絶望感が24時間彼を襲いました。正気ではいられない日常の恐怖や不眠から逃れるため、彼は監禁中に体に染みついてしまった「お酒と薬で感覚を麻痺させる方法」にしがみつくしかなくなり、重度の依存症へと落ちていってしまったのです。

Bruno Vincent / Getty Images

54歳で訪れた「お金の呪い」からの旅立ち

1974年、18歳で6歳年上のドイツ人女性と結婚し、一児の父親となるも、過去のトラウマは消えず、酒とドラッグによる逃避行為がさらにエスカレートしていきました。そして1981年、24歳のときに劇薬によるオーバードーズを起こし、深刻な脳卒中を発症。この事故によってポールはほぼ全盲となり、言葉を失い、四肢麻痺となって車椅子生活を余儀なくされたのです。

20代で過酷な障害を負ったポールの傍らに寄り添い続けたのは、息子を想い続けた実母ゲイルでした。莫大な資産を手にしながら息子の医療費の支払いを突っぱねる元夫に対し、母は法的措置をとって介護費用を確保。自ら献身的にポールの介護にあたり、壮絶な闘病生活を支え抜きました。

耳を切り落とされた16歳のあの日から、生きながらにして過酷な宿命を背負わされ続けたポール。かつて「美しきヒッピー少年」と呼ばれた面影は消え去り、2011年2月5日、バッキンガムシャーの邸宅で母や家族に見守られながら54歳で息を引き取りました。その死は、一族の深い陰謀と金銭の呪いに翻弄された人生からの解放でした。

※この度は2026年10月22日時点のものです。

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