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俳優・神野三鈴さんが語る、ロンドン演劇留学と人生の転機「ワタシのホンキがくれたミライ」

  • 2026.10.6

数々の名舞台やドラマで存在感を放つ俳優・神野三鈴さん。家族や介護のことで精一杯だった30代、夫の一言に背中を押されて飛び込んだロンドン留学と、そこで見つけた人生の原点について綴っていただきました。

ワタシのホンキがくれたミライ

我が青春の地、ロンドン。
30歳になったばかりの私が数か月過ごした、とても特別な場所だ。
 
子どもの頃は家族が喜ぶことを、結婚してからは妻として、親の介護と、人のことを優先する性格だった。
 
結婚当時、私は駆け出しの舞台女優で、夫も私が仕事をすることを望んでいなかった(いまでは考えられない!)。
 
キャパを超えて背負い込んでいた親の介護のこともあり、スタートラインに立ったばかりの舞台から離れていた。
 
あるとき、クラシックに縁ができた夫に『アマデウス』という舞台を観て欲しくて、初めてふたりで出かけた。久しぶりの劇場に足を踏み入れると、もう自分のことを誰も知らない故郷に、ひっそりと帰ってきたような感じがした。
 
暗闇に身を沈め幕が開く。途端に日常は消え去り、私はモーツアルトとサリエリの物語を一緒に生きていた。
その夜、私のなかで抑え込んでいた思いが決壊した。
 
自分でもびっくりするほど泣きじゃくりながら「芝居がしたい」と叫んだ私に、「本気なら続ければいい」と夫は言った。
 
そのときに初めて「本気で」私はなにを求め、なにがしたいのか、自分と向き合った気がする。
そこで選んだのが(お待たせしました)ロンドンの演劇学校だった。
 
劇団や事務所に入ったこともなく、たまたまオーデイションに受かり、素晴らしい方々に引っ張りあげていただいた幸運で、勉強もしていない、仲間もいない根無草。
なによりチェーホフの名作『かもめ』のニーナに抜擢された舞台で大千秋楽に喉を潰してしまい、最後の最後におじさんのような声になってしまったことは、死んでしまいたいくらい落ち込んだ。
 
我慢しているつもりで親の介護や夫のことに必死になっていたのは、自信のない己から目を背けていたのかもしれない。そこでまず私は発声を学びたくて、憧れていたイギリスの役者がどんなトレーニングをしているのかを調べた。
 
そして、本気になったときに起きる奇跡なのか、奨学金の補助で、イギリスの名門演劇学校の短期クラスに参加する資格を得た。
母の介護と猫の世話は夫や友人に任せ、朝から晩まで演劇漬け、貧乏留学生の夢を叶えたのだ。
 
寒い寮の湿って重くなったベッドマットは人型に凹んでいて、裏返したらもっと深い人型の凹みが。
シャワーは冷たい水がチョロチョロ、食事はパンにチューブのマッシュルームペーストを塗って凌いだ。
 
一銭も1秒も無駄にしたくなかった。
それでも授業のなんと豊かなこと!
 
英語についていくのは至難の技だったが、毎日、身体感覚で掴むことに目から鱗が落ち続けて、私の瞳はキラキラ輝いていたはず。
発声も私のレベルで5、6種類のアプローチがあった。クタクタになった夜は課題の戯曲の翻訳を読んで寝落ち。
受験勉強などの経験がある方には普通のことなのかもしれないが、私には、物心がついて初めての経験だった。
 
なにより週末に学校が回してくれるチケットでプロの芝居を観に行く度に、情熱の燃料がどんどん焚べられた。
 
あるクリスマスのキリスト生誕の芝居では、客席の椅子をなくし、小さい子どもたちを自由に床に座らせて、羊飼い役の俳優がロープを使い、場面ごとに子どもたちを誘導し、演技エリアや道を作る。
観客の子どもたちは羊に変わる。
3人の賢者が頭に被っている帽子は工事用のコーン、ローマ法王の座る高い椅子は床屋の回転椅子、マリア様はキッチンにいて台拭きの 布の幼子イエスを大事そうに抱く。
 
子どもの頃、なんとかごっこをした日々を思い出す。
想像力とアイデアでどんな場所もどんなものも自由に姿を変えたあの時間。
劇場では人間の想像力を互いに信じ合う信頼関係が存在する。
 
magic of theaterにかかった私は、役者の道を本気で歩みはじめた。そして10数年後、私はエリザベス女王一世を演じるために縁の地を訪ねた。
彼女の眠る墓に「この地で学ばせていただいたご縁が、いまの私を貴女様の元へ導いてくださいました。どうかこの身をお使いください」と祈った。
 
そして今回、来年に控えた数年ぶりの舞台のために、またレッスンに訪れている。
 
この「本気」はどんな冒険になるのだろうか。

今回レッスンをしてくれたのは、当時クラスメイトだった日本人のSACHIさん。
今は名優ジュディ・デンチが校長を務めるMountviewという演劇学校で、信頼の厚い先生として活躍している。

ここは、治安の悪かった場所に、市が130 年近く土地を無償で貸し出す約束で運営され、若者たちの未来の可能性を広げている。

『アマデウス』を観たあの日から30 年近く、今回、夫はロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団にソリストとして招かれた。
オケが用意してくれた部屋は音楽家のための特別仕様! もちろん、マットは人型に凹んでいない。

MISUZU KANNO
神奈川県鎌倉市出身。第47回紀伊國屋演劇賞個人賞、第27回読売演劇大賞最優秀女優賞を受賞。代表作に舞台『メアリー・ステュアート』『組曲虐殺』、映画『37セカンズ』『TOKYOタクシー』、ドラマ『アンチヒーロー』『あんぱん』『時計館の殺人』(Hulu)など。映画『平行と垂直』が8月28日(金)公開予定。

photograph & text: Misuzu Kanno
 
大人のおしゃれ手帖2026年9月号より抜粋
※画像・文章の無断転載はご遠慮ください

この記事を書いた人

大人のおしゃれ手帖編集部

大人のおしゃれ手帖編集部

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