1. トップ
  2. エピソード
  3. 彼女が推しの話をしなくなって半年。「無理」と言った俺がライブ会場へ行った理由

彼女が推しの話をしなくなって半年。「無理」と言った俺がライブ会場へ行った理由

  • 2026.10.4
ハウコレ

「あなたといるより楽しい」。そう言って去った人の顔を、目の前の彼女に重ねていました。会場で探していたのは彼女ではなく、言葉を取り消す場所だったのかもしれません。

風呂から上がると、ベランダで電話をしている彼女の笑い声が、閉めた窓越しに聞こえました。俺と話すときより、半音高い声。通話相手は大学時代からの友人で、話題は推しのライブでした。窓を開けないまま、半年前に自分が言った言葉を、初めて彼女の側から聞き直していました。

「無理」と言った本当の相手

「推しがいる女は無理」

半年前、彼女にそう言ったとき、頭にあったのは彼女ではありませんでした。前に付き合っていた人です。舞台俳優を追いかけていて、公演のたびに予定が消えました。誕生日も、旅行の約束も、最後は「あなたといるより楽しい」の一言で終わっています。

だから彼女が、俺の誕生日とライブが重なったと言ったとき、皿の上の料理より先に、あの日の言葉が並びました。前日でいいと提案してくれているのに、耳に入ったのは「当日は行きたい」の部分だけ。

「悪い、言いすぎた」

続けて謝りはしましたが、取り消したことにはなりませんでした。彼女はうなずいて、別の話をしました。俺が触れたくないものに、彼女が蓋をしてくれた。そのときは、それで助かったつもりでいました。

本当は、次に同じ話題が出たとき、また同じ言葉を言いそうな自分が怖かっただけです。

押し入れの奥に消えたもの

それから、彼女の口から推しの名前が出なくなりました。部屋にあったペンライトも見かけなくなり、出かける予定は「友達と」の一言にまとめられます。俺が望んだ形のはずでした。

なのに、ベランダで聞いた声が耳から離れません。ベランダで聞いたような笑い声を、俺は最近聞いていませんでした。

無理だと言ったのは俺なのに、片付けたのは全部彼女でした。推しの話をしなくなり、ペンライトをしまい、ライブの日まで「友達と」に言い換えるようになった。

俺の側で変わったものは、何もありません。前の人にされたことを、彼女がするとは限らない。わかっていながら、先に線を引いて、その内側で暮らす手間を彼女に押しつけていました。

ライブの日付は、彼女のスマホを見なくても知っていました。ベランダの会話で、友人が何度も口にしていたからです。公式のリセールを開き、1枚だけ申し込みます。取れたら行く、とだけ決めました。

数日後、当選の通知が届いたとき、喜ぶより先に、行く理由を自分に説明できないことに気づきました。

人混みの中で探した顔

会場前の広場に着いて、すぐに後悔しました。同じ色のタオルを首にかけた人の群れの中で、黒いシャツの自分だけが浮いています。物販で買ったペンライトは、開け方もわからないまま手の中にありました。

彼女がどこにいるかは、知りません。「今日だよね」と送ったきりで、返事は来ていませんでした。つま先立ちで列を端から見ていくうちに、半年前の自分の姿が重なりました。

あのとき求めていたのは、彼女に自分のほうを向いていてほしいということでした。そのために、彼女の好きなものを遠ざけた。今は、その好きなものがある場所へ、自分から彼女を探しに来ています。

探している間、彼女の「友達と出かける」という声がずっと頭で鳴っていました。あの言い換えを作ったのは、俺です。

名前を呼ばれて振り向くと、物販の列に彼女がいました。友人と並んで、こちらを見ています。列の横まで歩いて、彼女の前に立ちました。

「なんでここにいるの」

「一回、見てみたくて」

本当は「取り消したくて」と言うつもりでした。出てきたのは、その手前の言葉です。友人が列を離れ、彼女は「チケット、どうしたの」と続けました。「取れた」。それだけ答えて、開場のアナウンスが流れると、逃げるように「先に入ってる」と入口を指していました。

そして...

フロアでは、彼女がいそうな後ろの方を避けて、少し前に立ちました。開演前、リュックを胸に抱えたまま、ペンライトの袋の切れ目を探し続けます。振り向けば見つけられる距離のはずですが、開演してから、後ろの彼女の方を1度も振り返れませんでした。

ペンライトは、隣の人に「ここを回すんですよ」と教えられて、やっと光ります。周りより遅れて揺れる青い光を、彼女が後ろから見ているのはわかっていました。俺が半年前に消させた光が、今どれくらいの高さにあるのか、確かめる勇気は最後までありませんでした。

終演後、出口の近くで待って、出てきた彼女に「楽しかった?」と聞きました。返ってきたのは「楽しかった」の一言です。「そっか」。それだけ言って、彼女の手の中でまだ光っているペンライトを見ました。

駅までの人波の中で「半年前のは、取り消していい?」と聞きました。彼女は少し歩いてから、「次は、先に見せる」と答えます。もう「友達と出かける」と言い換えない、という意味だとすぐにわかりました。

今、次の公演の先行抽選の受付画面を、自分のスマホで開いています。枚数の欄を「2」にしてから、彼女に画面を見せました。

「次、俺も行っていい?」

半年前とは逆に、今度は彼女の返事を待っています。

(20代男性・営業職)

本記事は、読者アンケートに寄せられた実体験をもとにした本人視点の記事を参考に、相手側の心情を想定して制作しています。実際の相手本人への取材ではなく、編集部による解釈を含みます。

(ハウコレ編集部)

元記事で読む
の記事をもっとみる

注目コンテンツ