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「ポツンと一軒家」四代目・美人店主が守り続ける! 山奥で50年の鹿児島名物「そうめん流し」

  • 2026.9.30

衛星写真でみつけた謎の一軒家の実態を徹底調査する番組「ポツンと一軒家」(ABCテレビ)。9月27日(日)の放送回では、鹿児島県のポツンと一軒家を訪れた。

【TVer】鹿児島の山奥で受け継がれる鹿児島名物の夏の味――。家族でつなぐ“そうめん流し”の名店とは!?

いつものように最寄りの集落で情報収集をする捜索隊。地元の方々の電話リレーにより「目指すポツンと一軒家はそうめん流しの店」だという情報を得ると、さらに電話リレーを重ね、その店でアルバイトをしていたという人が登場。店主に直接連絡を取ってつなげてくれた。

大きな山の中、生い茂る緑に覆われた深い谷間にある広大な敷地に建つ店で、捜索隊の突然の訪問に驚きながらも快く迎えてくれたのは、この店の四代目店主(40歳)と、夫(52歳)の夫婦。

全国的に知られる「流しそうめん」は、そうめんを水の流れる竹の樋(とい)に流し、箸ですくって食べるもの。一方「そうめん流し」は、丸い回転式の器械でそうめんを流しながら食べる。昭和37年に鹿児島県指宿市・唐船峡の店が提供したのが始まりだと言われている。その後、このそうめん流しが観光名物として鹿児島県内に広く普及して定着したのだそう。

店の創業は50年前。かつて山深いこの場所には、集落があった。かつて山の木を切り炭を焼き、木を切り尽くしたら次の山へ移る「渡り山師」たちが暮らしていたが、彼らが去った跡地を初代店主が買い取り、当時流行り始めていたそうめん流しの店を始めた。

三代目となったのが現店主の父。三代目は美しく冷たい水が豊富なこの地でわさび栽培を行おうと考えた。しかし、二代目の土地を売る条件が「店を引き継ぐこと」だったために、店の運営も続けた。

川に沿って建てられたそうめん流しの店舗は、6月から9月まで営業。最大300人ほどが収容できる大型店で、お盆時期には県外からも客が詰めかける人気の名店だ。店ではそうめん流しだけでなく、鯉のあらい、鯉こく(鯉のあらで作る味噌汁)、マスの塩焼きのほかにも、三代目店主が仕留めたイノシシやシカなどジビエも出す。

9月にそうめん流しの営業を終えると、秋には敷地内で「もみじまつり」を開催し、夫自作のピザ窯で焼いたピザも販売する。そして冬には、ぼたん(イノシシ)鍋を提供。ぼたん鍋は、かつて山師の詰所だった場所を改装した別棟で出している。

三代目の子どもは三人。ほかに経営する空調設備会社を長男と次男が継ぎ、この店は末っ子の現店主が継いで四代目となり10年が経った。店主は、地元の高校卒業後、服飾専門学校に進み、アパレル会社に就職。23歳のころに母とカフェを開業。同時にこのそうめん流しの店も手伝うようになり、30歳で店を引き継いだ。

それからの10年間には、コロナ禍で絶体絶命の危機も経験。客足が遠のき、3年以上もの間苦境に立たされた。それでも店主が店を閉めずに続けてきた理由を「鹿児島名物だし、市内に1軒しかないから無くしてはいけない。それに、わざわざ遠くまで食べに来てくれる人もいるし」と語る。

「ケンカしたことがない」という優しい夫は、外壁工事の仕事をしながら、週末は店を手伝う。年が離れていたこともあり、三代目は結婚に反対。ようやく許しを得た結婚式で、夫は号泣したという。今では店主夫婦の三人の息子たちも店を手伝ってくれる。鹿児島名物「そうめん流し」を多くの人に楽しんで欲しい一心でコロナ禍にも負けず暖簾を守ってきた。これから先もあと40年は自分で店を切り盛りする覚悟の店主。来年もこの山で夏の風物詩に出会える。

ゲストに小手伸也と原菜乃華を迎えたバラエティ番組「ポツンと一軒家」(ABCテレビ)は、9月27日(日)の放送で紹介された。

ABCテレビ・テレビ朝日系列「ポツンと一軒家」は、毎週日曜ごご7時54分から放送中。TVerでも無料見逃し配信。

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