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【黒柳徹子】私が出会った麗しい「美輪明宏」の願いとは

  • 2026.9.11
黒柳徹子さん
©Kazuyoshi Shimomura

私が出会った美しい人

【第52回】歌手・俳優 美輪明宏さん

先日、美輪明宏さんがお亡くなりになりました。この連載のタイトルは、「私が出会った美しい人」ですが、私にとっての美輪さんは「美しい」以上に「麗しい」という形容詞がピッタリと当てはまる方でした。日本語には、“美人”に“佳人”、“麗人”など、「綺麗な人」のことを指すいろんな表現がありますけれど、「麗人」とは、ただ見た目や心が綺麗なだけでなく、もっと深い何か……。生き方そのものがメッセージになっているような迫力が感じられる人を表現している気がして、まさに美輪さんは「麗人」そのものでした。もちろん見た目も、みなさんご存知の通りとびきり艶やか。独特の縁起のいいオーラを放っているので、「美輪さんの写真を待ち受けにすると御利益がある!」という噂を耳にしたときは、「徹子の部屋」に美輪さんに出ていただいたときに撮ったツーショットを、携帯電話の待ち受けにしていたほどです(笑)。

実際の御利益? それは特に何も思い出せないけれど、美輪さんはずっと「正負の法則」……つまり「世の中には何かいいことがあれば、それと同じだけ悪いことが起こる、プラスマイナスはゼロですよ」という考えの持ち主でしたから、本当は、「御利益」よりも、悪いことを寄せ付けなかったり、挫けそうな心を奮い立たせる「魔除け」という意味合いの方が強かったのかもしれません(笑)。私がこれまでの人生で出会った身近な人で、もう一人「あの人はまさしく麗人だった」と思うのが向田邦子さんなのですが、向田さんも私に、「禍福は糾える縄のごとし」という中国の諺を教えてくれた人でした。「幸福と不幸はより合わせた縄のように表裏一体で、交互に訪れる」という意味の言葉で、「正負の法則」といっていることは大体同じです。「良いことばかりは続かない。でも、悪いことばかりも続かない。だから、悪いことが起きたときは、“やがて状況は好転する”と信じて生きていきましょう。大丈夫、人生は生きる価値のあるものです」というメッセージは、たくさんの困難を乗り越えた人が言ってこそ、説得力があるのだと思います。

美輪さんが若い頃から大変な苦労をなさっているというのは、みなさんきっとご存知のことと思います。戦前に長崎で生まれて、10歳のときに被爆。14歳でシャンソンと出合って、16歳のとき当時の国立音大附属高校に進学するために上京したのに中退して、17歳で「銀巴里」というシャンソン喫茶のステージに立つんです。進駐軍のキャンプを回ってジャズを歌っていたら、シャンソンブームが起きて、そこから自分で訳詞なんかも手がけたりするのですから、大変な才能です。22歳で「メケ・メケ」という曲が大ヒットしたときのキャッチフレーズが、「神武以来の美少年」と「シスターボーイ」。NHKの紅白歌合戦でも披露された「ヨイトマケの唄」が大ヒットしたのは、美輪さんが31歳のときでした。

30代の美輪さんは、寺山修司や三島由紀夫のような天才たちとの交流の中で、舞台や映画で活躍するようになり、37歳のときに、「丸山明宏」から「美輪明宏」に改名なさっています。1976年2月に「徹子の部屋」がスタートしたその月にはもうご出演いただいていて、50年前から美輪さんは「ぜひこの人の話を聞きたい!」と思われる、唯一無二の存在だったことがわかります。ただ、40代半ばから10年ほどは、体調がすぐれない時期を過ごしていたようです。92年に「徹子の部屋」に出ていただいたときは、バラエティ番組にも積極的に出演するようになった頃でした。渋谷の東京山手教会の地下にある渋谷ジァン・ジァンという小劇場で月に2回コンサートを開催していて、バラエティ出演の影響なのか、そこに来てくれる若い人たちが増えたっていうの。小学生まで足を運んだというからビックリしちゃう。そのとき美輪さんは、「(私が)サインしながら『どうしてなの?』と聞いてみたら、『とっても自由に生きているみたいだから』って。それが羨ましいらしいの。私たちから見ると、今の人たちの方が自由に見えるけど、すべて管理されているのよね。生き方の基本がわからない人が多いのよ。人生相談でもいちばん多いのは、『信じるものや尊敬できるものが何もない』ってこと。でも、それは常識にとらわれているからで、永遠に変わらない真理を価値基準にして、判断していけば間違いないんです」とおっしゃっていました。

美輪さんの願いは、「この世からあらゆる差別、偏見をなくし、すべての人が平和で明るく楽しく生きていける共生社会の実現」だったそうです。戦争が終わって81回目の夏。そんな美輪さんの願いを後世に受け継いでいくために、私にできることはなんでもやっていきたいなぁと思うのです。

美輪明宏さん

歌手・俳優

美輪明宏さん

1935年生まれ。長崎県出身。国立音大附属高校中退。17歳でプロ歌手としてデビュー。1957年「メケ・メケ」が大ヒットし、従来の美の基準を超越した美貌とファッションで一世を風靡する。66年、自作曲である「ヨイトマケの唄」の大ヒットの翌年に寺山修司主宰の「演劇実験室◎天井棧敷」旗揚げ公演で俳優として初舞台を踏む。以後、「毛皮のマリー」、三島由紀夫の戯曲「黒蜥蜴」など、伝説と呼ばれる舞台の主役を務める。舞台以外にも、コンサート、講演会、執筆活動、90年代からはバラエティ番組出演など、幅広く活躍。68年に刊行された自伝『紫の履歴書』は、三島由紀夫が「昭和有数の名著」と絶賛した。2026年6月20日、老衰のため永眠(享年91)。

─ 今月の審美言 ─

永遠に変わらない真理を価値基準にして、判断していけば間違いないんです

取材・文/菊地陽子 写真提供/時事通信フォト

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