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大橋未歩さん「話すことが苦手だった私がアナウンサーを目指した理由」

  • 2026.8.20
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テレビ東京を退社し、ニューヨークへ移住した大橋未歩さん。新しい環境でも、「苦手なことこそやってみる」という姿勢を貫いています。中学受験、アナウンサーへの挑戦、そして海外生活。自分の人生を歩むためにやってきたことの原点から、アナウンサー時代に抱えていた葛藤まで、率直に語っていただきました。

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「できない自分」を変えたくて、逃げられない場所へ飛び込んできた

──アナウンサーとしての肩書や、それまで築いてきた立場をいったん手放して、ニューヨークに移住。現地では夫が共同オーナーと起業し、オープンしたばかりのお店で店頭に立っているそう。大橋さんは、もともと新しいことに挑戦するのが好きなタイプだったのでしょうか。
アナウンサーを目指したのも、話すことが苦手で人と接することに怯えてしまう自分を変えたいと思ったことがきっかけの一つでした。自分を好きになりたいからこそ、あえて不得意分野に飛び込んでみようとする性格みたいで。苦手なことを前にすると、どうしても委縮してしまう自分が嫌いなんですよね。それを何とかしたいと思っていました。苦手分野を克服するために、私はまず環境から作るという方法をとることがあって。逃げられない環境を作って自分を放りこんで矯正していくと言いますか。アナウンサーになって、人と付き合っていくことを生業にすれば、仕事なので逃げられないと思ったんですね。働きながら、自分を変えていこうと思っていました。いわば荒療治で、さまざまなコンプレックスを解消してきた気がします。アナウンサーになったことも、海外生活も、その延長でした。学生時代から勉強してきたはずの英語はろくにしゃべれない。海外の方にインタビューする機会があっても、思いをうまく伝えられずに悩んだことがありました。そんな自分を変えたくて、「じゃあ行ってしまおうか」と考えたんです。

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──移住を決意する以前にも、苦手の克服を試みたことはあったのでしょうか?

会社員時代にファイナンシャルプランナー2級の資格を取りましたが、実は本当に数字が苦手なんです。このときも、それならばやってみようかと思いました。試験も一度落ちて、二度目でなんとか合格しましたが、数字への苦手意識が少し薄くなり、マーケットのニュースも以前より身近に感じるようになりました。夫がニューヨークでお店を開いた今、数字とにらめっこすることも多くなりました。思ったより抵抗感がないのは、FPの勉強をしておいたからかもしれません。

 

──ある程度キャリアを積んだ後で苦手な分野に挑戦するのは、なかなか勇気のいることだと思います。

今まで経験を積み重ねてきた分野は、そこからさらに極めるとなると、かなり高いレベルを求められますよね。それに比べて、未経験へのチャレンジって結構「お得」だと思うんですよ。今まで避けてきた分野だから、少しできただけでも「私、すごい」とシンプルに思えたり、喜びもひとしおだったり。あくまで自画自賛ではありますが、意外と簡単に成功体験や喜びを得られるのが、なんだかお得だなって思います。そのささやかな喜びで、今日1日楽しめたらもう勝ちじゃんって(笑)。幸せの沸点を下げることが、幸せに生きるために大切だと思っているんですよね。しかも、苦手なことを少しでもかじっておけば、人との会話の糸口も増えますし、新たな世界も広がる。その喜びが動機になっている気がします。勉強が好きというより、新しいことを身を持って知るのが好きなのかもしれません。

憧れの学校と出会い、中学受験しました。隣は従姉妹です。

中学受験で頑張った経験が自分の土台になった

──大橋さんは中学受験も経験されています。受験もご自身の意思からスタートしたのでしょうか。
中学受験は母が二人三脚でサポートしてくれました。小4の頃、母に連れられて、女子校のバザーに行ったんです。有形文化財に指定されている校舎や庭園など、環境がとにかく魅力的で。当時大好きだった『不思議の国のアリス』の世界に迷い込んだようでひと目で気に入ってしまいました。きっと母は、私が気に入ると思って連れていったのだと思います。まんまと「あの学校に行きたい!」と熱望するようになりました。そこから勉強を頑張るようになり、なんとか合格することができました。

──志望校に合格した後はいかがでしたか。思い描いていた学校生活は送れたのでしょうか?
母校は自主性を重んじる学校で、制服も校則もなく、ルールを作るときは生徒が自分たちで決めます。自分で考え、自分で選択するという自主性を養う上で土台になりました。ただ、私は必死に勉強してなんとか入学したので、入学後早々に勉強についていけなくなってしまったんです。周りには、成績優秀な子が山ほどいた。そこで初めての挫折を経験しました。それでも、「努力すれば叶うんだ」という経験ができたことは当時としては大きく、その後、苦手なことほど挑戦してみるという考え方の原点になっているような気がします。「努力」という概念を教えてくれた母には感謝しかありません。

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“女子アナ”に対する思い込みに、窮屈さや虚しさを覚えたことも

──今回の書籍には、局アナ時代に感じていた葛藤も正直に書かれています。テレビ局では「女性アナウンサーらしさ」を求められることもあったと思いますが、当時はどんな思いを抱えていたのでしょうか。
「“女子アナ”はその場の潤滑油」「声高に意見を言うものではない」といった空気がまだ残っていた時代です。さらに「“女子アナ”なんて、女の世界だからバチバチしているんでしょう」といった固定観念で見られることも多く、窮屈さや虚しさを覚えることもありました。自分自身の人格ではなく、“女子アナ”という外枠だけで判断されているような違和感も。そういう誤解を一つずつ覆していこうとすると、心も体も消耗します。何かを言っても聞いてもらえないと無力感を感じて、もういいやと諦めてしまうこともありました。とはいえ、私自身も自分の話を聞いてもらうための伝え方があっただろうと今は思います。たとえば上司と意見がぶつかったとき、当時は自分が正しいと思ったら意見を通そうと必死でした。ただ、人間関係は合わせ鏡。自分が相手に対してマイナスの感情を持っているときは、向こうも同じような気持ちでいるかもしれません。そこに思い至れば、相手への伝え方も変わってくるだろうなと当時の自分を振り返って思うようになりました。

 

──今は、意見が異なる相手に対して、どのような伝え方を心がけていますか。

最初から注文や不満を伝えるだけではなく、まずありがとうの気持ちを伝えて、その後に「ご提案」という形でお願いするよう努めるようになりました。こっちが正しい! 譲れない! と言いたくなることはありますが、「たとえば、こういう方法はどうでしょう」と一案として話してみるだけでも、相手の受け取り方は変わると思います。人と意見が違うこと自体は当たり前で、意見が違った時の「感情のコントロール」と「伝え方」を大事にしたいと思います。できているかは全く自信がありませんが(笑)

Profile

大橋未歩さん(おおはし・みほ)

1978年兵庫県生まれ。2002年にテレビ東京に入社し、アナウンサーとして、スポーツ、バラエティ、情報番組など幅広い分野で活躍。その後、2013年1月に脳梗塞を発症。休職期間を経て同年9月に復帰する。2017年のテレビ東京退社後はフリーアナウンサーに。2023年からはアメリカ・ニューヨークに住まいを移し、現在は日米を行き来しながら活動中。インスタグラムは@o_solemiho815

大橋未歩さんの新刊エッセイ

 

 

『ニューヨークの林檎をむいて食べたい』(大和書房)

仕事も暮らしも肩書きもいったん手放し、ニューヨークへ。英語が話せない不安、異文化の洗礼、思い通りにいかない日々、それでも人との出会いや表現の力に背中を押され、少しずつ自分の居場所を見つけていく。人生のままならなさを抱えて生きる切実さまでも軽やかにすくい上げる、極上の自己解放エッセイ!

撮影/Nara〈vale.〉 取材・文/樋口可奈子

※本文中の写真は大橋未歩さん提供

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