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清須会議はこう描かれた!【豊臣兄弟!】三法師(清水伊織)と小袖で秀吉(池松壮亮)が主導権を握る

  • 2026.8.14

清須会議はこう描かれた!【豊臣兄弟!】三法師(清水伊織)と小袖で秀吉(池松壮亮)が主導権を握る

2026年のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」。今まであまりスポットライトの当たることのなかった豊臣秀長を主人公に、戦国時代がどう描かれるのか? ここでは、ストーリー展開が楽しみな本ドラマのレビューを隔週でお届けします。今回は、第29回「天下への道」と第30回「清須会議」です。

織田信長(小栗旬)を失った後、諸将たちがどのような思いを抱き、どうその後の道を選んでいったのか、なぜ明智光秀(みつひで/要潤)の野望はあれほどあっけなく潰えてしまったのか。「本能寺の変」以後、秀吉が天下人になっていくまでの状況は、この時代を知るうえで、作品が変わっても、常に興味深いテーマだ。ましてや今回のように、明智光秀が、表面的には穏やかで、羽柴筑前守秀吉(ちくぜんのかみひでよし/池松壮亮)・小一郎長秀(こいちろうながひで/仲野太賀)兄弟とも仲がよい人物として描かれていると、豊臣兄弟でなくとも「なぜ?」という思いを、物語に入り込んで抱いてしまう。

第29回「天下への道」

第29回のタイトルは「天下への道」。まさに秀吉が、信長の跡を継いで天下人になる、その第一歩を踏み出す様を描いた回だ。

天正10(1582)年6月、織田信長・信忠(のぶただ/小関裕太)父子を討ち果たした明智光秀は、有力諸将を味方につけることができないまま、織田軍を迎え撃つべく、山城南部の山崎に陣を構え、勝龍寺城を前線基地とした。光秀の重臣・斎藤利三(としみつ/内藤剛志)は、摂津の戦国武将である中川清秀(きよひで/すがおゆうじ)、高山右近(うこん/市川知宏)までが毛利方から織田方に寝返ったのを知り、土佐の長宗我部(ちょうそかべ)氏へ織田の背後を脅かすよう書状を送ることを進言するが、光秀は「まだわしの手の内じゃ。どんなに敵が躍起になろうとも変えられぬことがある。信長はもうおらぬ。それが我らの勝ち筋じゃ」と動じない。

一方、その頃、織田軍も、信長の三男・織田信孝(のぶたか/結木滉星)を総大将に頂いて、山崎に近い摂津に陣を構えていた。信孝はあくまでも強気に総攻めを主張するが、秀吉と軍師である黒田官兵衛(かんべえ/倉悠貴)は「不用意に攻め込むは危険かと思います」と別案を提案する。

明智はまさにこう予測していたのだ。「織田信長を失い、あやつらは怒りに我を忘れておろう。逆上した敵を返り討ちにするは容易い。しかも急ごしらえに集まったはいいが、わしの首ほしさに各々が勝手に動こうとするは目に見えている。動きが早ければ早いほど、数が多ければ多いほど足並みはそろわぬものだ。織田信長の代わりなど、誰にも務まらん」

秀吉と官兵衛は山崎の地形も考慮して、敵の誘いに乗ることなく、敢えて陣形を広く取り、少しずつ追い詰めるという策を取る。相手がしびれを切らしたところで、高山右近が寝返ったように見せかけて明智陣に入り込み、光秀を生け捕りにするという計画だ。「生け捕り」という言葉に反感を持つ者もいたが、秀吉は「わしは知りたいのじゃ。なぜこのようなことになったのか」と反論する。

そうこうするうちに、光秀の思惑どおり、ぶつかり合いが始まる。見かねた小一郎は信孝に強い口調で進言する。「畏れながら、上様はどのような敵も決して侮るようなことはありませんでした。こたびの戦も最善の策をもって攻めるべきかと存じます」

信孝もそれを聞いて「それでは筑前のもうした策を……」と言ったとき、信長の次男・信雄(のぶかつ/山脇辰哉)より、「ともに父上の仇を討とう」という書状が届く。そこには続けて「合流するからそれまでは無闇に動くなと」書かれていたのだが、信雄に先を越されることを恐れた信孝は、独断で「やはり、ここは一気に総攻めじゃ」と言い渡す。そして、その采配を秀吉に任せることにした。

このままでは織田は二つに割れてしまうと危惧する家臣たち。「そうなったらどちらにつくのじゃ」と問われて、秀吉は「皆に頼みがある」と告げる。ほかの有力武将たちの反応も様々で、三河・岡崎城の徳川家康(松下洸平)は秀吉の備中からの帰還を知って、今から参陣しても意味がないと判断、甲斐・信濃を守ることに徹しようと決断する。

また越前・北庄(きたのしょう)城の柴田勝家(かついえ/山口馬木也)は、やはり秀吉が備中からすでに戻ったと知らされて、明智討伐の先を越されたことを激しく悔しがった。

そして天正10(1582)年6月13日、秀吉は山崎において明智軍と対峙する。中央最前列に高山右近、中川清秀、右翼に池田恒興(つねおき/堀井新太)、左翼の山に小一郎と黒田官兵衛を配し、秀吉は中央最後尾に本陣を敷いた。この時でもなお、秀吉の中には、自分が織田信澄(のぶずみ/緒形敦)を助けてほしいと頼まなければこのようなことにならなかった、自分が信長を殺したようなものだとの後悔の念が拭い去れずにいた。

その気持ちを聞いた小一郎はこう言う。「そうかもしれんな。じゃが兄者だけのせいではないわ。己一人を責めたところで何も変わらぬ。この世は何かが間違っておる。わしは明智殿のことが嫌いではなかった」

「わしもじゃ」と秀吉も返す。そこへ羽柴与一郎(よいちろう/大西利空)が「高山・中川勢が攻撃を受けて敵陣に攻め入った」と知らせに来る。秀吉は自分が正面から援軍を送るが、小一郎には官兵衛とともに山側から回り込むよう指示する。小一郎についていこうとする与一郎を小一郎は制して、総大将・信孝に戦況を知らせ、その身を守るように命じた。

最初は優勢だった明智軍だが、秀吉をはじめとする織田軍の攻撃に一斉に退き始める。するとその報告を受けた信孝は、自分も前に出ると宣言する。「明智の首を取るまではこちらにいてくださいませ」という丹羽長秀(ながひで/池田鉄洋)の説得も聞かずに前線に出ていき、与一郎もこれについていくことに。前線で味方を鼓舞しようと前に出た信孝の扇を、紛れていた敵が射抜く。そしてその身が狙われようとしたとき、咄嗟に与一郎が前へ出て信孝に覆いかぶさり、背中に矢を受けてしまう。尊敬する父・小一郎の言いつけを守ったのだ。

一方、明智方は、斎藤利三が最後の抵抗をするなか、光秀を坂本城へ逃がすが、その日の夕刻、織田軍に敗北した。

秀吉は攻撃に出る前「皆に頼みがある」と告げていたが、その後に続いた言葉は「明智殿と会って話がしたい。何とかならぬか」だった。ほかの者に先を越されて首をはねられる前に、彼らは坂本城へ向かう光秀を捕らえた。

茶室の秀吉のもとへ、捕らえられた光秀がやってくる。「教えてくだされ。なぜ上様を。信澄様と手を結んでおられたのか」と尋ねる秀吉。「いや、こたびのことはわしが一人で決めたことじゃ。たまたまその好機に巡り合ったまで」と光秀は答えつつ「安堵いたしたか」と秀吉に聞く。そして、「わしからその答えを聞きたかったのであろう。上様が死んだのは己のせいではないとそう思いたかったのだろう。そのとおりじゃ。お前など関わりなきこと。思い上がるでないわ! やったのはこのわしじゃ。わしの手柄じゃ。わたしが織田信長を討ったのじゃ、このわしが」とまくしたてる。

あと少しで信長の天下一統が成って、新しき世が訪れたのになぜ、と重ねて問う秀吉に、光秀が出した答えはこうだった。「わしが見たかったのは、足利義昭様の世じゃ。わしがまことにお仕えしたかったのは生涯ただ一人、公方様だけじゃ」。そして覚悟を決めたようにこう言うのだった。「悔いてはおらぬ。羽柴殿、存分に恨みを晴らされるがよい」

この場面は今回の物語のオリジナルだろうが、ともに歩んできた盟友であればこその互いの思いのぶつかり合いが細やかに描かれていて、心を揺さぶられる。秀吉は相手を責めながらも内心「なぜこの男を救えなかったのか」と自身を責め、光秀からはまた、すべて自分が企てた手柄だと不遜を装うことで、秀吉の「信長を守れなかった」という自責の念を軽くしてやろうという気遣いが感じ取れるのだ。

翌朝、茶室から出てきた秀吉は家臣にこう告げる。「明智殿の首は、百姓の落ち武者狩りに遭い、我らに届けられたことにする」。秀吉の配慮は、光秀の最後の誇りをも守ろうとするものだった。

一方、信孝を庇って傷を負った与一郎は、長浜城で養生をしていた。羽柴家の人々は、寧々(ねね/浜辺美波)、なか(坂井真紀)、とも(宮澤エマ)、そして、あさひ(倉沢杏菜)や夫の副田甚兵衛(じんべえ/前原瑞樹)に至るまで、精のつく食材や薬草、何より与一郎の好物の干し柿を手に入れて回復を願った。

病床で自分がそれでも信孝の覚えがめでたくなったことを嬉々として話す与一郎に、母である慶(ちか/吉岡里帆)も小一郎も目を細めるが、突然、苦しみ始めて重篤な状態に陥ってしまう。結局、皆の祈りも虚しく与一郎はこの世を去った。小一郎は自分が「信孝様をお助けせよ」と言ったことを、また慶は「父上に従うこと」告げたこと、そもそも戦に行かせたことを悔いて、ともに嘆く。そこへ秀吉が帰還する。

「わしら、いつの間にか偉くなって、いいもん着て、うまいもん食うて、けど、何にも変わっとらん。あの頃からなんも変わっとらん。わしらは、何のために侍になったんじゃ!」とやり場のない怒りを秀吉にぶつける。

その小一郎の嘆きを受け止めて秀吉はこう告げるのだった。「お前がわしに言うたのじゃぞ。己を責めても何も変わらんと。この世は何かが間違っておると。だからのう小一郎、わしが変えるわ。これはまだ我らだけの秘め事じゃ。信雄様でもない、信孝様でもない、このわしが上様の思いを継ぐ」。秀吉が「自ら天下を取りに行く」と初めて口にしたのだった。

第30回「清須会議」

そして第30回は、歴史的にもよく知られた「清須会議」である。天正10(1582)年6月、信長亡き後の後継者を決める評定が尾張の清須城で持たれたのだ。順当に行くと、後継者は、亡き信忠の嫡男・三法師(さんぼうし/清水伊織)になる。だが、三法師はまだ3歳と幼かった。よって、誰かが名代(みょうだい)とならなければいけないのだが、それを次男の信雄と三男の信孝が争っているのだった。信雄は一門衆筆頭の立場であったが、失策が続いて信長からも見限られていた。また信孝は、山崎の戦いで手柄を立てたことを盾に、自分こそが名代にふさわしいと考えていた。

秀吉はなぜか家族に、三法師に着せるための立派な小袖を仕立てるよう頼み、小一郎を伴って清須城へ向かった。

小一郎は、評定に出席する武将たちの意向を探ることに注力する。池田恒興は摂津を任されることを条件に信雄を推そうとしていることがわかり、柴田勝家は信孝を推すだろうことが想定されたが、丹羽長秀は胸の内を明かそうとはしなかった。秀吉は、信雄、信孝を抜きにして、勝家、長秀、恒興と自身の4人での話し合いを提案し、その夜、4人は集った。

その席で、秀吉は、全員で三法師を支える後見役となるという案を出した。そのうえで、勝家に市(いち/宮﨑あおい)を娶ることを提案した。秀吉には信長から預かった養子の秀勝がいて、長秀の妻は信長の親戚、恒興は信長の乳兄弟で、皆何らかのつながりが信長とあるので、勝家も織田家と深いつながりを持つべきだと説いたのだ。自分はそんな立場ではないと固辞する勝家だが、その前に、秀吉は市のもとを訪れ、この縁談を打診していたのだった。結局、市を娶ることは省きつつも、3人ともこの案に賛成した。

しかし、そこへ三法師の姿が見えなくなったと小一郎が慌てて入ってくる。信雄が侍女風の女を使って三法師をさらったことがわかったが、城内を4人がくまなく探した末、無事その姿が見つかった。侍女風の女は、その場で首を掻き切って果てた。そして翌日の評定で、彼ら家老たちが合議で政に当たることが宣言された。また、秀吉は畿内の主要地を手に入れ、織田家中で最大の勢力へと躍進を遂げた。

数日後、京の妙覚寺(みょうかくじ)で三法師の初お目見えが行われた。勝家、長秀、恒興とも着座しているにもかかわらず、秀吉だけが後から三法師を抱きかかえて現れた。その三法師が着ているのは、秀吉が家族に仕立てさせた小袖である。

三法師と並んで上座に着いた秀吉は高らかに宣言する。「これからは織田家筆頭家老となったこの羽柴秀吉が、ここにいる者たちとともに力を合わせて、三法師様をお支えいたしまする」

そして三法師にも目で合図を送ると、幼子は「言われたとおり」に素直にこう述べるのだった。「うむ、頼りにしておるぞ、秀吉」。すると、「ははあ! すべてお任せくださりませ! よいな、皆の衆」。評定に参加した武将3人は、秀吉に出し抜かれた悔しさを隠しきれずにいた。

目端が利いて、少々強引なことをしても皆がゆるしてしまうぐらい人の懐に飛び込む愛嬌もあって、土壇場のひらめきがある。秀吉のような人物は、こうした己の才をフルに活用して地歩(ちほ)を固めていったということがよくわかるストーリーだ。天下への道を歩み始めた秀吉が、この先どうやって上り詰めていくのか。また、市と勝家はどのようにして夫婦になっていくのか。

そういえば、今回、成長した茶々(ちゃちゃ/井上和)も初登場であった。秀吉とも顔を合わせたわけだが、この出会いもこの先どうなっていくのか。そしてそういう秀吉を、小一郎はどう支えていくのか。この先も気になることが満載である。楽しみに見守っていこう。

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