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【人生を変える料理に会いにいく】沖縄、佐渡、八ヶ岳へ――小川糸が綴る『食堂巡礼』を読む【書評】

  • 2026.4.8
食堂巡礼 小川糸 / 白泉社
食堂巡礼 小川糸 / 白泉社

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人生を変えるような料理と出会いたいと願うなら、作家・小川糸による最新エッセイ集『食堂巡礼』(白泉社)の一読をおすすめしたい。沖縄、佐渡、長野、山形など、作者が気になっていたお店を巡ること、8県20か所。「つくる人の人生を感じる、とっておきの料理に会いに」というテーマにふさわしく、つくり手の人生が透けて見えるような料理が続々と登場する。

遠方から訪れる人も多い沖縄『胃袋』のシチュウ

まず紹介したいのは、沖縄の『胃袋』のシチュウだ。店主である関根麻子さんの料理を食べるために、遠方から訪れる人も多いという。メニューはおまかせで、料理名はない。料理の調味料はほとんど塩のみで、スパイスは多用せず、素材が持つ本来の味を誠実に引き出しているという。

「麻子さん(店主)は、そこにあるもので料理を作ろうとする」と作者は語る。沖縄には扱いづらいとされる植物や物もあるが、そういう食材にこそ魅力があり、むしろそっちの方が調理するのが面白いのだと、店主・麻子さんは語ったそうだ。

引用----

「それが、味わい尽くすということなんだなぁ、と麻子さんの言葉を聞きながら、私は深く納得した。美味しい味だけ味わうのではなく、人生の苦味も辛味も全部全部受け止めて、味わい尽くす。感情そのものを味わう。麻子さんが胃袋でやっていることは、そういうことなのだ」(本文より引用)

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ただ食べるのではなく、食べることで生まれる感情までも味わい尽くす。それは人生をまるごと味わい尽くすことでもあるのだ——。そんな言葉に、生きる上でなくてはならない「食」の存在について改めて考えさせられる。胃袋の料理を食べた自分は何を思うだろうかと、想像を巡らせる時間が楽しかった。

佐渡の食材を使った豊かなフランス家庭料理『ラ・バルク・ドゥ・ディオニゾス』

「旅雑誌の小さな記事で見つけてから行くことを夢見てきた」と作者が語るのは、佐渡島に移住した醸造家のフランス人・ジャンマルクさんが開いたビストロ『ラ・バルク・ドゥ・ディオニゾス』である。畑で採れた野菜、地元の海で採れた海産物など、佐渡の豊かな食材を感じるフランス家庭料理が特徴だ。

ジャンマルクさんの夢は佐渡産のワインを造ることだという。けれど、ぶどうの苗を植えてから3年、醸造に2年と、ワイン造りには時間がかかる。様々な苦難を乗り越え、彼が今取り組んでいるのは、1a(アール)ほどの庭先でぶどうを育てて、それらをまとめてワインに仕立てるという1aプロジェクトだという。

彼の夢や生き方に対して、作者は語る。

引用----

「ものすごく大きなものに全身全霊で取り組んでいるのだから、長い時間がかかって当たり前である。けれど、だからこそ、人生の全てをかけて生み出されたワインの一雫に、思わぬパワーが込められ、飲む人の心を動かすのだろう」(本文より引用)

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いつか完成するであろう佐渡産のワインを飲むことは、ジャンマルクさんの夢であるのと同時に、作者の願いでもあるようだ。誰かのためにつくる人たちの望みは、それを口にする人たちにとっての希望にもなる。その祈りの共有は、なんと尊いものだろうか。だからこそ私たちは、つくる人たちに会いに行くことを止められないのかもしれない。

うどん屋なのに、店先にはパンやドーナツが。長野『やまゆり』

信州で暮らす作者が、気分転換するためにふらっと出掛けるのが、長野県富士見町にある『やまゆり』。うどん屋だが、店先にはパンやドーナツも並ぶ。店主のアッコさんは以前パン屋などを営んでいたが、自分のパンが世の中の流行に取り込まれていく現実に息苦しさを感じ、今のお店に拠点を移したそうだ。

早ければ朝5時半からパンの粉をこね、開店の11時までにゴボウを切ったり、あんこを炊いたりと慌ただしく準備をする。「ギリギリのところでないと、いいものなんか出ない。ゆとりのあるうちはダメ」とストイックな生き方を貫いているそうだ。「自分の触るものは少しでも良くなってほしい」というのもアッコさんの考え方。

引用----

「きっと、生まれたての赤ちゃんがそうであるように、自分の手のひらでひとつひとつ触ったり握ったり味を確かめたり、そうやって自分の体で感じ、納得したものだけを真実にして生きてきた人なのだろう。体全部を使い、体そのもので生きている人だ」(本文より引用)

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何かが違うと感じていても、決断しないとそのまま押し流されてしまう。そんなとき、真実を確かめるための方法が、アッコさんにとっての「触る」なのかもしれない。あえてシビアな環境に身を置き、感覚を研ぎ澄ますのは、誰のものでもない“自分”の人生を貫くため。作中で「パンク」と描写されるアッコさんの生き方は、私たちが自分自身の人生を振り返るきっかけをくれるほどに、刺激的だ。

何を食べるか、どう食べるかということは、どう生きるかということに繋がる

静謐な文章で表現された料理はどれも滋味深い。料理人たちは、納得できる味を追い求めるうちに、素材や調理方法はもちろん、提供する時間や空間までも研ぎ澄ませていく。究極まで磨き抜かれた料理は、ある意味でシンプル。そこにたっぷりと加わるのはつくる人たちの生き方であり、それが美味しい、楽しいという食事体験を生み出しているようだった。すなわち、何を食べるか、どう食べるかということは、どう生きるかということに繋がるのではないだろうか。

小説を書くことと食事をつくることはよく似ているのだと、作者は語る。文章や食事で表現されるのはきっと、その人の生き方そのもの。作者は、つくる人たちの味を堪能することで、どう生きるかの対話をしているようだった。それは読み手である私たちにも、人生そのままでいいのかと問いかけてくる。

文=吉田あき

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