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  2. 6年前に放送された“悪役扱い”の人物が主人公の異色作 “悲劇的な最終回”を迎えた【NHK大河ドラマ】

6年前に放送された“悪役扱い”の人物が主人公の異色作 “悲劇的な最終回”を迎えた【NHK大河ドラマ】

  • 2026.2.22

誰もが知っている戦国時代の英雄といえば織田信長だろう。逆に主君の信長に謀反を起こした明智光秀は、悪役として語られることが多い。だが2020年から2021年にかけて放送されたNHK大河ドラマ『麒麟がくる』は、明智光秀を主役にすることで、戦国時代と織田信長をこれまでとは違う角度から見つめ直す異色の歴史劇となっていた。

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長谷川博己 (C)SANKEI

物語は美濃の明智荘を襲った野盗の襲撃を明智十兵衛光秀(長谷川博己)が仲間と共に撃退する場面から始まる。ドローンによる空撮のカット、色鮮やかな着物や田園風景の映像。

そして冒頭から派手に戦う光秀のアクションシーンなど、見応え盛りだくさんの冒頭だが、光秀は、争いが続く世の中に苛立ち「何度戦えば、ここを守れる」「何度戦えば!」と刀を振りながら険しい顔で言う。このシーンの光秀の険しい表情に本作のテーマは全て凝縮されている。 タイトルにある「麒麟」とは、穏やかな国に表れる伝説の動物のことで、乱世に翻弄される人々は、麒麟がくる平和な国を作る王が現れるのを待ち望んでいる。そして光秀も、戦いが延々と続く時代を終わらせてくれる王を求めて彷徨うことになる。

時代の空気が反映される戦国時代の描き方

劇中では光秀が戦国時代を代表する英雄たちと次々と出会い、交流を重ねていく姿が描かれるのだが、最終的に物語は光秀と織田信長(染谷将太)の愛憎劇へと収斂していく。 大河ドラマでは、戦国時代を舞台にした物語が多数作られているが、どの作品にも作られた時代の日本の空気が強く反映されている。

1973年に放送された『国盗り物語』は、日本は右肩上がりの好景気だったため、高度経済成長の渦中の気分が反映されたエネルギッシュで力強い物語となっていた。その気分は平成初頭の1996年に放送された『秀吉』まで続き、バリバリ働く昭和のサラリーマンのように戦国武将が描かれてきた。

だが、2014年の『軍師官兵衛』や2016年の『真田丸』といった平成末の大河ドラマでは、信長や秀吉の周辺にいた人物を主人公にした作品が増えていき、かつては昭和のサラリーマンの理想像として魅力的に描かれた豊臣秀吉も、権力に囚われた哀れな老人として描かれるようになっていった。

そして令和初頭に制作された『麒麟がくる』の秀吉(佐々木蔵之介)は、明るく愛嬌があるが腹の底では何を考えているのかわからない胡散くさい男として描かれており、真面目で不器用な光秀は秀吉に翻弄されることとなる。このような不気味な秀吉像は、現在放送中の『豊臣兄弟!』でも展開されており、不穏な演技に定評のある池松壮亮が演じていることもあってか、目的のためなら手段を選ばない不気味な男としての側面がより深まっている。

戦国時代を舞台にした大河ドラマを観ていると、昭和、平成、令和と時代を経ることに日本人が豊臣秀吉に感情移入できなくなっていることがよく理解できる。

ブラック企業のパワハラ社長としての信長

対して織田信長は、2023年の『どうする家康』では岡田准一が演じ『豊臣兄弟!』では小栗旬が演じていることからもわかるように、圧倒的なカリスマ性を持った華やかで力強い英雄という共通理解が今でも定番となっている。 だが、『麒麟がくる』で染谷将太が演じた信長は、子どもがそのまま大人になったかのような精神的に幼い存在となっており、染谷の怪演もあってか、とても不穏で危うい信長となっていた。

本作の信長は自分の思い通りにならないことがあると光秀たち家臣に厳しく当たり、容赦なく罰を与えるため、ブラック企業のワンマン社長が部下にパワハラをしているようだと、放送当時は話題になった。 職場での働き方やハラスメントに対する意識が年々高まっている令和という時代を反映してか、英雄の暗い側面として他人の気持ちが理解できず、パワハラを繰り返すブラック企業の社長のように信長を描く傾向は近年、強まっている。

2023年に劇場公開された北野武監督の映画『首』に登場する信長も、部下に酷いパワハラをおこなう暴君として描かれていた。 一方、『麒麟がくる』の明智十兵衛光秀は、劇中で何度も仕える主君が変わり、一時期は浪人時代もあったため、非正規雇用の派遣社員が様々な職場を渡り歩いているように見えた。

そんな光秀が、信長から酷い扱いを受けている姿を観ていると、就職できずに仕事を転々とした末にやっとブラック企業の正社員になれた男が、社長から酷いパワハラを受けているように見えて、いたたまれない気持ちになる。その意味で、バブル崩壊以降の不安定な労働環境を生きる平成~令和の労働者の象徴として光秀が描かれていると感じた。

「本能寺の変」を『麒麟がくる』はどう描いたのか?

『麒麟がくる』の信長は承認欲求の塊で、正室の帰蝶(川口春奈)に母を求め、帰蝶の父・斎藤道三(本木雅弘)に父を求めていた。そして、光秀に対しては心を許すことができる部下であると同時に親友として接しており、度重なるパワハラは精神的に依存して甘えていることの裏返しに見える。そんな信長は天下統一まであと一歩と言う所で謀反に遭うのだが、戦国時代における最大の謎と言われる『本能寺の変』を光秀が起こした理由が、終盤で判明する。

第43話。帰蝶は、今の信長を作ったのは斎藤道三と光秀だと語る。そして最終話(第44話)で、信長は戦のない世の中を作ろうと光秀と語り合った過去を振り返り、将軍を討ち、世の中が平和になったら「二人で茶でも飲んで暮らさないか、夜もゆっくり眠りたい。明日の戦のことも考えず、子どもの頃のように」と光秀に語りかける。最終話を観ていると、平和な世の中を作りたいという光秀の理想こそが信長を怪物に変えてしまったのだと改めて実感する。

だからこそ光秀は、責任は自分にあると思い、信長を解放するために謀反を起こす。つまり、『麒麟がくる』は、光秀の信長に対する親友としての愛情が引き起こした悲しい事件として『本能寺の変』を描いたのだ。だからこの最終回は切ない。最後まで見終えて、二人が平和な世の中で、お茶を飲みながら幸せに暮らす道はなかったのかと、何度も考えてしまった。


ライター:成馬零一
76年生まれ。ライター、ドラマ評論家。ドラマ評を中心に雑誌、ウェブ等で幅広く執筆。単著に『TVドラマは、ジャニーズものだけ見ろ!』(宝島社新書)、『キャラクタードラマの誕生:テレビドラマを更新する6人の脚本家』(河出書房新社)、『テレビドラマクロニクル 1990→2020』(PLANETS)がある。