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紫式部と清少納言は本当に仲が悪かった?日記から読み解く平安女性のリアル

  • 2026.1.10

※本記事は、歴史資料(『紫式部日記』『枕草子』)や一般的な学説をもとに再構成した読み物です。 史実として断定するものではありません。

一方で、清少納言が紫式部について何を書いていたのかを見ると、

実は『枕草子』には紫式部への直接的な記述はありません。

「紫式部と清少納言は犬猿の仲だった」 そんな定説を聞いたことはありませんか?

現代のSNSで炎上しそうなほどのバチバチ関係…と言われることもある2人ですが、 実際のところは少し違います。

今回は、2人が残した日記や作品をもとに、 本当に仲が悪かったのか?という歴史ミステリーを読み解いていきます。

なぜ不仲説が広まったのか?

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2人が同時代の宮中で働いたことは事実です。 しかし、不仲説の根拠は主に 紫式部の『紫式部日記』の一文 によります。

そこには、清少納言についてこう書かれています(要旨): 「学問をひけらかして得意げにしているのは、どうかと思う。」

やや辛口の評価ですが、ここだけが切り取られ、 嫌っていたと誤解されたという説があります。

清少納言は紫式部をどう見ていた?

実は『枕草子』では、紫式部への直接的な記述はありません。

・批判もなし ・悪口もなし ・感想もなし

つまり、 清少納言は紫式部を意識していない = スルーしている可能性が高いとも言われます。

むしろ清少納言は、 明るく、鋭く、ユーモアたっぷりな性格。 他者を皮肉る場面はあっても、紫式部個人への攻撃は見当たりません。

宮中の立場が違いすぎた

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2人は同じ才能ある女流作家ですが、 実は 働いていた場所も、仕えていた人物も、性格も正反対 でした。

◎ 紫式部 清少納言 ◎ 紫式部 … しっとり静か・内向的 ◎ 清少納言 … 朗らか・外向的 彰子(上品で落ち着いた皇后)に仕える 定子(明るく活発な皇后)に仕える…

派閥が違う=価値観も違う。 この違いが、後世の不仲だったに違いないという想像を生みました。

紫式部が書いた辛口コメントの真意とは?

紫式部が清少納言を批判したように見える文章は、 実は 清少納言本人ではなく、当時の宮中全体の風潮を批判した と読む説があります。

平安時代は知識をひけらかす文化が人気で、 紫式部はその雰囲気が苦手だった可能性があります。

つまり、 清少納言が嫌だったというより、 自分とは違うタイプの女性像への感想だった とも読めます。

そもそも、会っていない可能性も高い

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これが最大のミステリー。

2人が直接言葉を交わしたという記録は一切ありません。 宮中とはいえ、仕えた皇后や部署が違い、勤務時期も重なっていない可能性が高いため、

実際には会ってすらいないかもしれない

という説が現在有力です。

にもかかわらず、後の時代の人々は、

・対照的な性格 ・対照的な文学作品 ・別々の皇后に仕えていた

このわかりやすい構図から、 2人をライバルとして描きたくなったのです。

【結論】仲が悪かった証拠はない。むしろ創作されたライバル関係

✔

つまり、

本当のところは不仲だったかどうかもわからない。

✔

この対比があまりに魅力的で、 人々は宿命のライバルとして物語化してきたのです。

歴史が生んだ最大のミステリー… それが、紫式部と清少納言の関係なのかもしれません。

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