1. トップ
  2. “令和では放送不可能”…34年前、バラエティの歴史を変えた【伝説のコンプラアウト番組】が高視聴率を叩き出したワケ

“令和では放送不可能”…34年前、バラエティの歴史を変えた【伝説のコンプラアウト番組】が高視聴率を叩き出したワケ

  • 2026.1.30

1990年代頃、今では考えられないようなバラエティ番組が放送されていた。それが『進め!電波少年』である。政治家や暴力団に体当たりロケを実施し、地上波で流していたというから驚きだ。

本記事では、伝説のテレビ番組『進め!電波少年』を紹介していく。

あらすじ

『進め!電波少年』は、1992年から1998年まで日本テレビ系列で放送されたバラエティ番組。最高視聴率は30.4%を記録し、1990年代の日本テレビを支えた番組としてその名が知られている。

番組は「見たいものを見る、したい事をする、会いたい人に会う」という3つのコンセプトを基に、アポなし・突撃・ヒッチハイクなどに挑戦。首相官邸や暴力団などを訪問する危険なロケから、著名人に無茶ぶりする企画など幅広い題材が番組ロケに起用された。番組は攻めた内容が多かったため、再放送の時にはカットされている回があるほどだった。

令和ではあり得ない壮絶なロケ

undefined
1993年撮影、松村邦洋(左)と松本明子(右)(C)SANKEI

番組のメインキャストは松本明子さんと松村邦洋さんで、自ら過酷なロケに繰り出している。例えばアポなしでロケをする企画が壮絶で、永田町周辺でブラックリストに載ったりスラム街で拳銃で脅されたりした経験を持つ。「昔のテレビは面白かった」と耳にするのも仕方がないと感じる程、当時のバラエティ番組の中でも際立ったスリル感があった。企画はヒヤヒヤする内容が多く、画面から目が離せない上に見ごたえがもの凄い。

後のバラエティ番組に影響を与えたスタジオ収録

当番組で松本明子さんと松村邦洋さんは、ロケに出るだけでなくMCとしても活躍。スタジオトークではセットを使わずに、2人の顔だけを映し出していた。出演者の顔が伸びたり破裂したり、映像効果を取り入れたのも独特だった。またVTRのナレーションにテロップを付けて突っ込む方法も、当時は斬新で後のバラエティ番組に影響を与えたと言われている。

undefined
2023年撮影、松本明子(C)SANKEI

特に番組MCの松本明子さんは表情が豊かでトーク力が高く、当番組での活躍でバラドルとしての地位を確立したのだろう。現在でも情報番組やラジオなどで活躍している。

伝説の番組としてその地位を築いた

『進め!電波少年』は、元々2ヶ月だけの予定で放送を開始したにもかかわらず、不動の人気を博した。後続で『電波少年INTERNATIONAL』や『進ぬ!電波少年』なども放送され、長期に渡るシリーズに発展した。これだけの人気番組に君臨したのは、企画力はもちろんタレントの実力も兼ね備わっていたからだろう。この番組から出世していったタレントも数多くいる。これほどインパクトの強いテレビ番組には、今後出会えないかもしれない。


※執筆時点の情報です。