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32年前、掠れた透明ボイスで魅了した“歌うクリエイター” 選手たちをそっと応援した“凛とした祈りの歌”

  • 2026.2.19

1994年の冬。日本中が北欧・ノルウェーの小さな町、リレハンメルから届けられる映像に釘付けになっていた。白銀のジャンプ台を舞う鳥人たちの姿、氷上を滑走する戦士たちの吐息。そんな凍てつく情景に、驚くほど温かく、そして凛とした強さを持った歌声が重なっていた。

髙橋真梨子『遥かな人へ』(作詞:髙橋真梨子・作曲:松田良)――1994年2月2日発売

あの冬、テレビから流れてくるメロディを聴くたびに、私たちはどこか遠くにいる「大切な誰か」や、自分自身の「譲れない誇り」を思い出したものだ。それは単なるスポーツのBGMではなく、激動の時代を生きる人々の心に深く沈殿するような、祈りの歌であった。

凍てつく空気を溶かす、唯一無二の響き

1994年という年は、日本にとって大きな転換点のひとつだった。バブルの余韻が完全に消え去り、人々が地に足のついた「本当の価値」を探し始めていた頃だ。そんな時代の空気に、髙橋真梨子の成熟したボーカルは見事に合致した。

この楽曲は、NHKのリレハンメル・オリンピック放送のテーマソングとして書き下ろされたものだ。当時のオリンピック中継は、現在よりもさらに重厚なドキュメンタリーとしての側面が強く、一曲のテーマソングが持つ役割は極めて大きかった。

髙橋真梨子の歌声には、一瞬でその場の空気を塗り替える圧倒的な密度がある。ハスキーでありながら透明感を失わず、低音から高音までが一本の太い光のように伸びていく。その唯一無二の響きが、北欧の厳しい自然と、そこで戦うアスリートたちの孤独な魂を鮮やかに代弁していた。

派手な演出で鼓舞するような応援歌とは一線を画し、静かに、しかし確実に背中を押してくれるような包容力。それが、当時のリスナーがこの曲に抱いた最大の安心感だったに違いない。

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髙橋真梨子-2008年撮影(C)SANKEI

記録よりも記憶に刻まれた、白銀の情景

この楽曲が30万枚を超えるセールスを記録した背景には、当時のオリンピックの名シーンとの強い結びつきがある。原田雅彦や葛西紀明といったスキージャンプ陣の激闘、阿部雅司・河野孝典・荻原健司によるノルディック複合の快進撃。彼らの歓喜と涙の背景には、常にこの旋律が流れていた。

松田良による美しいメロディ、そして編曲を担当した岩本正樹の手腕も光る。繊細なエレクトリックピアノの導入から始まり、次第に壮大なストリングスが重なっていく構成は、まさに雪解けから春の息吹を感じさせるようなドラマティックな展開を見せる。

オーケストレーションの重厚さを保ちつつ、ボーカルの邪魔をしない絶妙な引き算の美学。この緻密な音作りがあったからこそ、彼女の歌声はより一層の説得力を持ち、テレビ画面を越えて私たちの茶の間まで届いたのだ。

この曲は、リリースから数十年が経過した今でも、イントロを聴いただけであの冬の冷たくも熱い記憶を呼び起こす「タイムマシンのような一曲」となっている。

華やかさの裏側にある、職人たちの矜持

髙橋真梨子自身が手がけた言葉の数々も、この曲が長く愛される理由のひとつだ。彼女は歌手であると同時に、卓越した作詞家でもある。アスリートに向けた視点でありながら、同時にそれは日常を懸命に生きるすべての人への眼差しでもあった。

この時期の彼女は、まさにアーティストとしての黄金期を迎えていた。アイドルでもなく、ただの歌謡曲歌手でもない。「大人のためのポップス」を確立させた彼女のスタンスは、流行に敏感な若者層だけでなく、酸いも甘いも噛み分けた世代からも絶大な支持を集めた。

30万枚という数字は、単なる流行の結果ではない。それは、「本物の音楽」を求めるリスナーたちの意志が積み重なった証である。 派手なダンスパフォーマンスや奇抜な衣装、過剰なタイアップ戦略。そうした外側の装飾を削ぎ落とした先に残る、声とメロディの純粋な力。

デジタル技術が急速に進化し、音楽の作り方が変わりつつあった1990年代半ば。そんな時代にあっても、血の通った生の演奏と、魂を削り出すようなボーカルが共鳴したこの作品は、今もなお色褪せることのない輝きを放ち続けている。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。



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