1. トップ
  2. 35年前、ダウンタウンが“音楽のマイク”に立った“本気” “音のプロ”たちが可能性を見出したワケ

35年前、ダウンタウンが“音楽のマイク”に立った“本気” “音のプロ”たちが可能性を見出したワケ

  • 2026.2.4

世の中がまだバブルの余韻に浸りながらも、どこか新しい刺激を求めていた1991年。お茶の間の視線を独占しはじめていたのは、関西から現れたふたりの若者だった。彼らが放つ鋭い笑いは、それまでのバラエティの常識を鮮やかに塗り替え、若者たちを中心に熱狂的な支持を集めていた。

そんな中、街のCDショップにそっと並んだ1枚のシングルが、一部の鋭いリスナーたちを驚かせることになる。それは、笑いの戦場で牙を剥き出しにしていた彼らが、音楽という別の表現領域に深く足を踏み入れた瞬間だった。

ダウンタウン『生きろ・ベンジャミン』(作詞:島武実・作曲:佐久間正英)――1991年2月21日発売

画面の奥に潜んでいた「音楽家」としての横顔

彼らの音楽活動といえば、後に世界を驚かせた坂本龍一プロデュースのGEISHA GIRLSや、ダブルミリオンを記録した小室哲哉プロデュースのH Jungle with tを思い浮かべる人が多いかもしれない。しかし、その輝かしい記録の数年前、彼らはすでに極めて純度の高い音楽作品を世に送り出していた。

特筆すべきは、このシングルには松本バージョンと浜田バージョンのふたつが存在していたことだ。同じ旋律でありながら、ふたつの異なる声が吹き込まれることで、作品は立体的な広がりを見せた。それぞれの声が持つ特有の響きが、楽曲の世界観をより深いものへと変えていった。

undefined
ダウンタウン-1988年撮影(C)SANKEI

時代を象徴する才能たちが集結した「音の実験場」

制作陣に目を向ければ、この作品がいかに「本気」であったかが分かる。作詞を手がけた島武実と、作曲・編曲を担当した佐久間正英。日本のロック界やポップス界に多大なる影響を与える彼らが、ふたりのポテンシャルを引き出すために心血を注いでいた。

佐久間正英による緻密な音作りは、非常に現代的な響きを持っていた。笑いという武器を一時的に置き、マイクの前に立ったふたりは、名プロデューサーの導きによって、それまで誰も知らなかった新しい表情を世にさらけ出すこととなった。

さらにこの翌月には、彼らの2ndアルバム『万力の国』がリリースされる。ここでも島武実がプロデュース、佐久間正英が音楽プロデュースを務め、アルバム全体に一貫した高い芸術性を与えていた。

豪華すぎる作家陣が描いた「笑いと芸術の境界線」

アルバム制作に名を連ねた顔ぶれは、まさに壮観の一言に尽きる。奥田民生、所ジョージ、宇崎竜童といった、第一線を走るトップランナーたちが、ふたりのために楽曲を提供していた。彼らは単に曲を書いたのではない。ふたりのキャラクターや、時代が彼らに求めていた「何か」を敏感に察知し、それをメロディや言葉へと昇華させていた。

また、シングル『生きろ・ベンジャミン』松本バージョンのカップリング曲として収録された『いとしのゴルゴ』では、松本人志自身が作詞を手がけているのも興味深い。自身の内側から溢れ出す言葉を、独自の言語感覚で紡ぎ出したその作品は、後の彼の作詞家活動の一端を垣間見ることができる。

35年の時を超えて響く、純粋な創作への渇望

今、改めてこの時代の空気感を振り返ると、彼らが単なるタレントの域を超え、表現者としてどれほど真摯に「新しい何か」を模索していたかが痛いほど伝わってくる。派手な演出や分かりやすいヒットの法則に頼ることなく、良質なメロディと真摯な言葉で編み上げられた楽曲たちは、今の耳で聴いても決して色褪せることがない。

それはきっと、関わったすべてのクリエイターたちが、ふたりの持つ「可能性」に本気で賭けていたからだろう。笑いの頂点を目指しながら、同時に音楽という深い森を彷徨っていたあの頃の彼らの姿は、あまりにも純粋で、どこか美しくさえある。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。