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「この人はもう大丈夫」そう確信した患者が退院前夜に…精神科ナースが痛感した“回復”の落とし穴

  • 2026.1.2
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出典:photoAC(※画像はイメージです)

こんにちは。現役看護師ライターのこてゆきです。

私たち看護師は、患者さんの「回復」を何よりも喜びとします。特に精神科では、症状が落ち着き、社会復帰や自宅復帰が見えてくると、チーム全体に安堵感が漂います。

「この人はもう大丈夫だ」そう判断し、自信を持って送り出そうとする瞬間は、看護師のモチベーションの源です。

しかし、私が経験した中で、その「大丈夫」という判断が、思わぬ誤算であったと感じた、忘れられない出来事があります。

 順調な回復が生んだ、私たちの「油断」

それは、社会復帰を間近に控えていたAさんのケースでした。

Aさんはうつ病で入院していましたが、日々のリハビリやプログラム参加にも意欲的で、病棟スタッフとのコミュニケーションも円滑でした。表情も穏やかになり、主治医とも「もう環境の変化に耐えられる」という共通認識がありました。

退院予定日まで残り1週間。

私たちはAさんに対し、残りの時間を社会生活への最終調整に充てていました。

「この調子なら、問題なくスムーズに退院できる」

そんな確信に近い安心感が、病棟の空気にも、私自身の心にも広がっていました。今振り返れば、そこには確かな手応えと同時に、ほんのわずかな「油断」も混じっていたのだと思います。

私は退院の準備を手伝いながら、

「これから楽しみですね!」

と、未来を後押しするような声かけをしました。

Aさんも微笑み、「はい、頑張ります」と答えてくれました。

そのやり取りはとても穏やかで、何の違和感もなく、すべてが順調に進んでいるように見えました。

誰も予想しなかった、退院直前の急ブレーキ

しかし、退院予定日の前夜。状況は一変しました。

夜間巡視に行った際、Aさんは自室のベッドで丸くなり、布団を頭から被っていました。声をかけても反応は鈍く、表情には強い不安と焦燥感がにじんでいました。

「もう…退院なんてできません。私には無理です」

それまで見せていた前向きさは影をひそめ、薬の効果も薄れているかのように、抑うつ状態と強い不安が一気に押し寄せていました。

あまりにも突然の変化に、私たちは言葉を失いました。

なぜ、ここまで順調に回復していたはずのAさんが、最も安全だと思っていたこのタイミングで、ここまで崩れてしまったのか。

数日前に、自信を持って「大丈夫」と判断していた自分の姿が頭に浮かび、私は思わず冷や汗をかきました。

「思わぬ誤算だった」

そう痛感せずにはいられませんでした。

「環境の変化」という、見落とされていたストレス

私たちはすぐにチームでカンファレンスを開き、Aさんの変化の理由を振り返りました。

そこで浮かび上がってきたのは、私たちが「退院」という出来事の重さを、Aさんの心の中で起きている現実として、十分に想像できていなかったという事実でした。

私たちの目には「症状が落ち着いた」「生活リズムが整った」「会話も安定している」という回復のサインがはっきりと見えていました。

一方でAさんの心の中では、「またあの生活に戻らなければならない」「ひとりで本当にやっていけるのか」という不安が、静かに、しかし確実に積み重なっていたのかもしれません。

退院は、ゴールであると同時に、生活環境が一気に変わる大きな転換点です。特に精神科の患者さんにとって、安全に守られた病棟を離れることは、自由を得ることでもあり、同時に不安と真正面から向き合うことでもあります。

私たちは、退院前のAさんに対して、「楽しみなこと」や「これからの目標」といった明るい話題を積極的に投げかけていました。

しかし、Aさんが心の奥に抱えていた「怖さ」や「迷い」に、十分に目を向けられていなかったのかもしれません。

その「大丈夫」の裏側で、看護師が立ち止まるべき瞬間

「この人はもう大丈夫」

その言葉は、看護師にとっての安心であり、喜びでもあります。

けれど同時に、その言葉がかけられた瞬間から、患者さんは誰にも見えない場所で、別の不安と向き合い始めていることがあります。守られた環境を離れる現実、自分の力で生きていくという重さ、そして、もしまた崩れてしまったらどうしようという恐怖。

回復しているように見えるからこそ、その不安は周囲から気づかれにくくなります。患者さん自身も、「ここまで来たのに不安だなんて言えない」と、口に出せずに抱え込んでしまうことも少なくありません。

あの夜、布団にくるまっていたAさんの背中は、私に強く問いかけてきました。

回復とは、決して一直線ではないこと。

そして、「大丈夫」に最も近づいた場所にこそ、いちばん揺れやすい心があるのだということを。

退院という希望のすぐそばで、静かに震えている小さなSOSに、これからも目を向け続けたい。私はこの経験を、今も心の中で、何度も思い返しています。



ライター:精神科病院で6年勤務。現在は訪問看護師として高齢の方から小児の医療に従事。精神科で身につけたコミュニケーション力で、患者さんとその家族への説明や指導が得意。看護師としてのモットーは「その人に寄り添ったケアを」。


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