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11月11日!センターバックなのに背番号「11番」を着用した世界レベルの5名

  • 2025.11.11

本日は11月11日。ヨーロッパのシーズンは始まってまだ3か月ほどだが、日本の2025シーズンは佳境を迎えている。

今回は本職がセンターバックにもかかわらず、FWやサイドアタッカーが好む「背番号11」を付けて活躍したサッカー界のレジェンドたちをご紹介しよう。

シニシャ・ミハイロヴィッチ

画像1: (C)Getty Images

セルビア・モンテネグロ代表(ユーゴスラヴィア時代を含む):
63試合10得点(1991-2003)

11番をつけたチーム:
セルビア・モンテネグロ代表、ラツィオ、サンプドリア、インテル(イタリア)

センターバックで11番と言えば、真っ先に思い出されるのはこのシニシャ・ミハイロヴィッチであろう。

ラツィオ最盛期に活躍したセルビア出身のスターであり、フリーキックのみでハットトリックを達成した伝説をもつサッカー史上に残る左足の名手だった。

日本では指導者としてミラン時代に本田圭佑、ボローニャ時代に冨安健洋を指揮したことでも知られる。

ただ2019年に白血病であることを公表。闘病しつつ現場に立ち続けていたが、2022年12月に53歳の若さで亡くなっている。

リカルド・カルヴァーリョ

画像2: (C)Getty Images

ポルトガル代表:
89試合5得点(2003-2016)

11番をつけたチーム:
レアル・マドリー(スペイン)

頭脳的なカバーリングを武器にヨーロッパの第一線で活躍し続けた元ポルトガル代表のセンターバック。

同胞であるジョゼ・モウリーニョ監督からの信頼は厚く、ポルト、チェルシー、レアル・マドリーと国を跨いで3つのクラブで師弟関係にあった。

その彼は晩年だった2012-13シーズン、成長株のDFラファエル・ヴァランに2番を奪われ1シーズンだけ11番を背負っている。

森岡隆三

画像3: (C)Getty Images

日本代表:
38試合0得点(1998-2003)

11番をつけたチーム:
清水エスパルス(日本)

ライン統率に優れ、当時のフィリップ・トルシエ監督が絶大な信頼を寄せた元日本代表のセンターバック。同タイプの宮本恒靖(現・日本サッカー協会会長)とはライバル関係にあった。

1994年に桐蔭学園から鹿島アントラーズでプロ入りしたが、出番を与えられず翌年夏には清水エスパルスへ。ここで11番と出会った。

当時はまだ固定番号制ではなかったため、年輩のベテラン選手が若い番号から選んでいく風潮があった。その結果、若手だった彼に残っていたのが最後の11番だった。

自身は特にこだわりはなかったようだが、清水では背番号が固定された1997シーズンから10年間に渡り11番を付けている。

ジョナタン・ゼビナ

画像4: (C)Getty Images

フランス代表:
1試合0得点(2005)

11番をつけたチーム:
トゥールーズ(フランス)

セリエAで長く活躍した大型センターバック。ローマ時代には中田英寿らとプレーし、スクデットを獲得した。

潜在能力の高い選手でリリアン・テュラムの後継者として期待を集めた。ただ最高のプレーをしたかと思えば不用意なミスをする欠点があり、最後まで正当な評価を受けられなかった。

晩年には母国のトゥールーズでキャプテンを務め、2シーズン11番を背負ってプレーしている。

アレッサンドロ・コスタクルタ

画像5: (C)Getty Images

イタリア代表:
59試合2得点(1991-1998)

11番をつけたチーム:
ミラン(イタリア)

ミラン黄金期といえばファンバステン、フリット、ライカールトのオランダ人トリオが有名であるが、彼らを後方から支えたのがバレージ、マルディーニ、そしてこのコスタクルタだ。

いぶし銀な守備のスペシャリストとして20年間にわたってロッソネロ(赤黒)に在籍。通算663試合出場はマルディーニ、バレージに次ぐ歴代3位の記録となっている。

背番号は5番の印象が強いが、セリエAが固定番号制となって2年目の1996-97シーズン、退団したドナドーニの後を受けて1年だけ11番を背負っている。

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