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39年前、大御所芸人が放った“悪ノリ歌謡” おふざけソングが20万枚売れたワケ

  • 2025.12.23

「39年前の今頃、街角のスピーカーからどんな音が流れていたか覚えてる?」

冬の冷たい空気に、ほんのり漂う昭和歌謡の匂い。センチメンタルなラブソングが主流だった80年代半ば、その雰囲気を“真面目にふざける”ことで遊び倒した二人組がいた。

その名は、とんねるず。彼らが1986年の年明けに放った一曲は、ムード歌謡の甘く湿った世界観を継ぎはぎしながら、どこか憎めない笑いに包んだ“異端の歌謡曲”だった。

とんねるず『歌謡曲』(作詞:秋元康・作曲:見岳章)――1986年1月21日発売

前作『雨の西麻布』に続くムード歌謡路線で、発売直後から話題に。ランキングでは、うしろゆびさされ組『バナナの涙』に首位を奪われ、結果は2位。しかし20万枚以上を売り上げ、その“異色さ”は確かに時代に刻まれた。

ふざけているのに、どこか本気だった冬の匂い

1986年の街を想像すると、どこか霞がかったネオンと、夜更けの喫茶店のざわめきが蘇る。

その空気をまとった『歌謡曲』は、ムード歌謡が持つ“湿り気”を大胆に引用しながらも、聴き手の肩の力をスッと抜いてくれるようなユーモアが宿っていた。

秋元康の詞は、昭和歌謡にある“言い回し”や“比喩”をあえて大げさに散りばめ、まるで既視感のある恋愛劇をわざとらしく演じるような仕掛けになっている。

そこに見岳章のメロディが重なり、古き良き歌謡曲のフォーマットが、いたずらっぽい笑いとともに立ち上がる。

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とんねるず-1985年撮影(C)SANKEI

ムード歌謡を“おふざけ”として成立させた異才のバランス感

とんねるずが歌うと、どんなに湿っぽいメロディも、どこか軽やかに聴こえてしまう。

その理由は、2人のキャラクターが歌謡曲の甘さを中和し、大げさなのに妙にリアルな“昭和劇場”を演じてみせるからだ。

石橋貴明のやや芝居がかったボーカルと、木梨憲武の飄々とした軽さが、ムード歌謡の“重さ”を緩ませ、楽曲を“コントでもパロディでもない、歌として成立した面白さ”へと導いた。

それは真剣にふざける、とんねるずにしかできない芸当だった。

秋元康×とんねるずが生んだ、小悪魔的ムード歌謡

秋元康は、この頃すでに“流行の空気を描く天才”として頭角を現していた。

とんねるずとのタッグでは、シリアスとジョークの境界線を曖昧にし、歌謡曲の持つ“世界観”をあえて崩すことで、新しい面白さを提示していた。

前作『雨の西麻布』でその手応えを掴み、その“続編”的な位置づけとして生まれたのが『歌謡曲』。

ムード歌謡の王道をリスペクトしつつ、小粋な悪ふざけを織り込むことで、当時のテレビと音楽の“境界が溶けた時代感”を象徴する一曲になった。

時代の空気に“風穴”を開けたポップカルチャー的存在

1986年の歌番組に現れたこの“悪ノリ歌謡”は、音楽番組を一瞬ざわつかせ、視聴者の記憶に妙な引っかかりを残した。

ランキング1位を逃したとはいえ、20万枚以上のセールスを記録し、当時の人々にとっては“笑って聴ける歌謡曲”として忘れがたい存在に。

今聴いても、ムード歌謡の甘美な香りと、とんねるずの軽妙な味わいが絶妙に混ざり合い、“懐かしいけど古くない”独特の温度を持っている。

39年経っても薄れない、あの“遊び心”の余韻

『歌謡曲』は、昭和歌謡が持っていた情緒と、とんねるずの自由奔放さが重なり、“娯楽としての音楽”がどれほど豊かだったかを思い出させてくれる。

あの頃、テレビと街の音がひとつにつながっていた時代。その空気を軽やかにすくい取ったこの曲は、39年経った今も、不思議と心のどこかをくすぐる。

くだらないのに、胸に残る。

派手じゃないのに、時代の色をまとっている。

そんな、一筋縄ではいかない“歌謡曲”の魅力が、今も静かに息づいているのだ。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。