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「こんな神曲があったのか」20年後の今も鳴り響く“熱苦しいロックソング” セルフカバーで再燃した“叫びの名曲”

  • 2025.9.21

「20年前の冬、あなたはどんな声に心を震わせていた?」

2005年1月。まだ街には正月の余韻が残り、冷たい風が頬を刺すように吹き抜けていた。乾いたアスファルトの上を足早に行き交う人々、吐く白い息、耳元にかけたイヤホンからふいに流れ込んでくるのは、鍵盤の一音が号令のように空気を切り開くイントロ。その瞬間、体温がぐっと上がり、胸の奥がざわついていく。その曲はまるで叫びのように響き渡り、聴く者の心に火を点けた。

ウルフルズ『暴れだす』(作詞・作曲:トータス松本)――2005年1月13日発売

鍵盤が告げる衝動の幕開け

『暴れだす』は、ウルフルズにとって27枚目のシングル。すでに『ガッツだぜ!!』や『バンザイ~好きでよかった~』といった国民的なヒットで広く知られていた彼ら。この曲はまずピアノの旋律が前面に押し出されている点で際立っていた。

冷たい空気を切り裂くように響く鍵盤の音は、バンド全体が走り出す合図となり、そこにギター、ベース、ドラムが次々と加わる。その瞬間、音はひとつの塊となり、ロックの熱と融合していく。「静」と「熱」を瞬時に切り替える構造が、聴く人の鼓動を一気に早めるのだ

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ウルフルズのボーカル・トータス松本-2003年撮影 (C)SANKEI

燃え上がるバンドの叫び

トータス松本が紡ぐ直球のメロディに、ギターの鋭いリフ、ベースの重厚なうねり、ドラムの力強いビートがぶつかり合う。歌声はただ旋律をなぞるのではなく、抑えきれない感情を解き放つ咆哮として空気を震わせる。

そこに力任せの粗さはなく、鍵盤の強いアタックが演奏全体に奥行きを与えることで、荒々しさと温かさが同居する独特の質感を生んでいる。聴いた瞬間に「自分も暴れ出したい」と思わせる衝動が自然と胸の内から湧き上がってくるのだ。

魂を刻む“生のグルーヴ”

ウルフルズの最大の魅力は、飾らない言葉と骨太なバンドサウンドにある。『暴れだす』はそのエッセンスを凝縮した一曲だ。

ピアノが曲全体を下支えし、そこにメンバーそれぞれの音が重なり合い、グルーヴを生み出していく。ウルフルズ自身が作り上げたサウンドだからこそ、嘘のない生々しい迫力が宿っている。シンプルでストレートな構成ながら、聴き手に真っ直ぐ突き刺さる力を持っているのは、この“手作り感”が放つ熱ゆえだろう。ライブハウスで育ってきたバンドならではの熱気が、この一曲にも確かに息づいている。

変わらぬ熱を刻む証

『暴れだす』が特別な存在であり続けるのは、その後の歩みが証明している。デビュー30周年を機に制作されたセルフカバー盤『フル盤』(2021年)では『暴れだす V』として再録音され、当時以上に洗練されつつも変わらぬ熱さを放った。

さらに翌年には「M-1グランプリ2022」のプロモーション映像のテーマソングとして採用され、再び多くの人々の耳に届いた。過去の遺産ではなく、今も現役の衝動として鳴り響く。この事実は、バンドと楽曲が時代を超えて生き続けている証なのだ。

記録ではなく記憶に残る強さ

『暴れだす』は、大ヒットシングルのように派手な数字を残したわけではない。けれども、「数字では測れない価値」が確かに存在する。

イントロのピアノが描く緊張感、バンドが一体となって叩き出すリズム、そして声が突き抜けていく瞬間——それらは聴く人の体に直接刻み込まれる。ライブで鳴らされれば、観客は拳を突き上げ、声を合わせて叫び、全身でその熱を受け止める。記録ではなく記憶に残る曲こそが、長く愛され続ける名曲なのだ。

20年後もなお鳴り響くメッセージ

2005年の冬に生まれたこの一曲は、20年後の今も人々の心を揺さぶり続けている。イントロの鍵盤が鳴れば、誰もが「ここから始まる」と胸を高鳴らせる。時代が変わっても「心を揺さぶる衝動」は変わらない

『暴れだす』はただの一曲を超えて、聴く者に再び立ち上がる勇気を与えてくれる存在だ。音楽が持つ力を改めて示しながら、今なお私たちの心の奥で鳴り響き続けている。

20年の時を経てもSNSを中心に「涙を流しながら聞いてます」「今聴いたらおかしいぐらい沁みる」「涙がとまらん…」「こんな神曲があったのか」といった声で溢れている。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。