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朝ドラの“思いが届かない展開”に視聴者からも嘆く声「苦労の連続」「イマイチ」“初期アンパンマン”はなぜ不評なのか?

  • 2025.9.12
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『あんぱん』第24週(C)NHK

朝ドラ『あんぱん』第24週「あんぱんまん誕生」は、これまで積み上げてきた物語を一段と深める週となった。柳井嵩(北村匠海)が“太ったおんちゃん”を主人公に据えた物語について、のぶ(今田美桜)と対話する場面で提示された概念。それは“正義とは何か”という、普遍的でありながら重い問いでもあった。嵩はこう語る。「正義をおこなうということは、自分も傷つくことを覚悟しなきゃいけない」。この言葉は、『アンパンマン』の生みの親であるやなせたかし自身が、繰り返し語ってきた思想をなぞるものだ。

初期アンパンマンと“撃ち落とされる正義”

1969年、雑誌に掲載された短編の『アンパンマン』は、いまの子どもたちが知る“優しくカッコ良いヒーロー像”とは大きく違っていた。戦争の場で、空腹の人々にパンを届けてまわる太ったおんちゃん。国境を越えた瞬間に、敵と誤解されて撃ち落とされてしまう。そんな衝撃的な結末で終わる。

嵩がこのエピソードについてのぶに語る際、自身が傷つくことを覚悟してこそ、正義をおこなえることを暗に示す。善意の行為ですら、権力や境界の線引きひとつで“脅威”とされる世界。撃ち落とされた『アンパンマン』は、ただの悲劇ではなく、正義の普遍性が揺らぐ事実を象徴している。

戦後日本は平和国家としての歩みを掲げながらも、国際社会においてその善意が常に理解され、共有されるとは限らない、と不安を抱えていたはずだ。敗戦国としての劣等感、そして、外の世界から向けられるまなざし。『アンパンマン』が国境を越えた途端に撃ち落とされる構図は、当時の心理をなぞるかのようだ。

つまり、この物語は“正義は国境を越えられるか”という問いを孕んでいるとも解釈できる。『アンパンマン』の善意は普遍ではなく、ときに政治や権力の文脈に絡め取られ、相対化され得る。これはまさに戦後日本が経験した”善意の無力さ”そのものだ。

深い問いとメッセージを含んだ『アンパンマン』だが、本編では、なかなか周囲の理解を得られない。掲載された雑誌の読者層と合っていないのか、SNS上でも「苦労の連続」「反応はイマイチ」と、なかなか『アンパンマン』の受けが悪い状況を嘆く言葉が目立つ。

のぶの問いと、女性の視点

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『あんぱん』第24週(C)NHK

嵩の「正義をおこなうということは、自分も傷つくことを覚悟しなきゃいけない」という言葉は、やなせが1973年に発刊された絵本『あんぱんまん』(フレーベル館)のあとがきに記した言葉と響き合う。2025年9月8日掲載のマグミクスでは下記の様に記載されている。

1973年の絵本『あんぱんまん』(フレーベル館)のあとがきでは、やなせさんは「ほんとうの正義というものは、けっしてかっこうのいいものではないし、そして、そのためにかならず自分も深く傷つくものです。そしてそういう捨身、献身の心なくしては正義は行えません」と語っています。引用元:マグミクス 2025.09.08 配信

戦後を生きたやなせの倫理が、嵩の口を通してふたたび語られる。この継承の瞬間に、視聴者は“正義をおこなうことの痛み”を実感する。子ども向けヒーローの背後に、戦後社会が抱えた複雑な倫理が重ねられているのだ。

一方で、のぶの言葉も重い。「えいことしゆうのに、なんで撃ち落とされるが?」。彼女は戦時中、軍国少女として「お国のために」を信じて生きた過去を持つ。その経験を経た彼女が発する問いは、単なる素朴な疑問ではない。国家が定めた正義と、個人が信じる正義の齟齬を突くものだ。

のぶの視点が入ることで、この場面はさらなる奥行きを帯びる。女性の身体や感情さえも、国家の“正義”に動員されてきた歴史を踏まえれば、彼女の問いは“正義に従うことの残酷さ”を、女性の立場から浮かび上がらせている。

手嶌の映画との共鳴

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『あんぱん』第24週(C)NHK

また、同じ週では手嶌治虫(眞栄田郷敦)が「映画は、観た人の人生観が変わるほど、とびっきりおもしろいものであるべきなんです」と語っている。嵩の『アンパンマン』と、手嶌の映画。どちらも、芸術が社会にどう作用するのかを問う創作でもある。

芸術は祈りであり、ときに作者の思想を代弁する。だが同時に、その祈りが社会に拒絶される危うさを抱えている。撃ち落とされる『アンパンマン』と、未来を変える映画。その対比が、創作と社会の緊張関係を鮮やかに映し出しているようにも見える。

やがて『アンパンマン』は、“太ったおんちゃん”から、子どもに愛されるヒーローへと変貌を遂げる。この変化は、戦後日本が被害者としての自己像から、分け与える存在へと移行していく歴史の縮図とも読める。

カッコ悪いヒーローから、自己犠牲も辞さないヒーローへ。その過程は、戦後社会が模索してきた“正義の再定義”の物語にほかならない。

『あんぱん』第24週は、単なる夫婦の対話を超えた意味を帯びていた。『アンパンマン』の姿を通して描かれたのは、正義は普遍的なものではなく、ときに誤解され、拒絶されることもある、という現実。そしてそれは、戦後日本が抱き続けた影と深く結びついている。

それでもなお、『アンパンマン』はパンを配り続ける。顔を削り、傷を負いながらも、人と人をつなぐために飛び続ける。この矛盾に満ちた姿こそが、やなせたかしの遺した“ほんとうの正義”であり、朝ドラ『あんぱん』がいま、視聴者に問いかけるメッセージなのかもしれない。


連続テレビ小説『あんぱん』毎週月曜〜土曜あさ8時放送
NHKプラスで見逃し配信中

ライター:北村有(Kitamura Yuu)
主にドラマや映画のレビュー、役者や監督インタビュー、書評コラムなどを担当するライター。可処分時間はドラマや映画鑑賞、読書に割いている。Twitter:@yuu_uu_