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40年前、日本中が騒然とした“過激すぎるコンプラアウトソング” 今では到底許されない“80年代の傑作”

  • 2025.9.8

「40年前、テレビから流れてきた“禁断の歌”を覚えてる?」

1985年の秋、渋谷の交差点にはネオンが輝き、放課後の学生たちはカセットテープを片手に歌番組を追いかけていた。そんな時代に、デビュー間もない大型アイドルグループが放った2枚目のシングルは、世間を驚かせることになる。

おニャン子クラブ『およしになってねTEACHER』(作詞:秋元康・作曲:佐藤準)——1985年10月21日発売

秋元康が描いた“危うい青春”

『およしになってねTEACHER』は、同年7月にリリースされ大ヒットとなったデビュー曲『セーラー服を脱がさないで』に続く作品。一大ブームを巻き起こしたテレビ番組『夕やけニャンニャン』から生まれたおニャン子クラブは、単なるアイドルソングの枠を超え“時代の空気を切り取る歌”を次々に世に送り出した。

現役の女子生徒たちが歌うグループに、秋元康は「教師と生徒の関係」というタブーを題材に持ち込み、当時のテレビシーンに大きな衝撃を与えた。

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おニャン子クラブ-1985年撮影 (C)SANKEI

今では“放送禁止級”の歌詞世界

タイトルのとおり、この曲が描いたのは教師と生徒の恋愛。しかも、生徒側からの積極的な誘惑に加え、教師にはすでに妻がいる設定という、現在のコンプライアンス基準から考えれば到底許されない内容だった。

「アイドルが歌うにはあまりに過激すぎる歌詞」は、当時の視聴者にも大きな波紋を広げ、「問題作」として取り上げられた。歌番組での歌唱シーンが放送されるたびに、茶の間には「こんな曲を娘に歌わせて大丈夫なのか」といった声が飛び交ったことだろう。

今ではまずリリース不可能だと思われる内容だが、逆に言えば80年代の自由さと挑発性を象徴する記録でもある。

佐藤準が支えた80年代ポップの勢い

そんな危うい歌詞世界に音楽を与えたのが、作曲を手がけた佐藤準だった。

井上陽水『Make-up Shadow』を「彩目映」名義で作曲したほか、チャゲ&飛鳥『モーニングムーン』、アン・ルイス『あゝ無情』など数々の名曲で編曲を手掛けた才人である。特に編曲家としての手腕は高く評価され、当時のヒットチャートを彩った数々の楽曲に深く関わっていた。

おニャン子クラブにおいては、デビュー曲『セーラー服を脱がさないで』での作曲・編曲をはじめ、本作以降のシングルやメンバーのソロ楽曲まで幅広く担当し、グループ全体の音楽的な骨格を形づくった存在でもある。

『およしになってねTEACHER』では、バブル前夜の高揚感をそのまま切り取ったような華やかさを加えつつ、可愛らしさと大人びた危うさが同居するおニャン子クラブのイメージを見事に結びつけていた。結果として、ポップなサウンドが歌詞の刺激性を一層際立たせ、楽曲全体のインパクトを増幅させていたのである

“おニャン子現象”を加速させた一枚

このシングルは、当時フジテレビの夕方番組『夕やけニャンニャン』とともに爆発的な人気を得ていたおニャン子クラブの勢いを象徴する作品でもある。

グループとしてはまだ活動初期でありながら、すでに世間を巻き込む社会現象に発展していた。放課後のテレビの時間を支配し、街にはメンバーのグッズやポスターがあふれ、同世代の女子中高生が憧れの存在として熱狂した。挑発的なテーマと完成度の高いサウンドが合わさり、時代の熱狂をさらに押し広げていったのである。

振り返れば“時代の危うさ”の証拠

あれから40年。『およしになってねTEACHER』を耳にすると、当時のテレビや音楽が持っていた奔放さ、そして社会全体が許容していた“危うさ”が鮮明によみがえる。軽やかなサウンドに隠された過激な物語は、バブル直前の80年代という特殊な時代の空気を映し出す証拠のようでもある。

ただし、これは教師の立場を悪用した犯罪的な状況を歌にしているとも言える。だからこそ、タイトルにある「およしになってね」という言葉が、どこか皮肉にも響いてしまうのだ。

今も語り継がれるのは、決して楽曲の明るさだけではない。「こんな歌がテレビで流れていたなんて信じられない」——その驚きこそが、80年代という時代の輪郭を浮かび上がらせている。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。


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