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朝ドラ脚本家が描く実話に基づいた“約5年分”の家族記録 視聴者の“打たれ弱さ”を逆手に取った覚悟がにじむ連続ドラマ

  • 2025.8.21
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小澤征悦(C)SANKEI

日曜夜10時15分からテレビ朝日系で放送されている朝日放送テレビ制作の連続ドラマ『こんばんは、朝山家です。』は、足立紳が自分自身の家族をモデルにした朝山家の物語で、脚本を足立紳本人が担当し、1、2話の監督も務めている。
朝山家は脚本家の朝山賢太(小澤征悦)、賢太のために芸能事務所を作り社長となった妻の朝子(中村アン)、高校1年生の蝶子(渡邉心結)、小学6年生の晴太(嶋田鉄太)の4人家族。
ひ弱な少女が筋トレを頑張る姿を描いた国民的ドラマ(通称・国ドラ)『ムキムキ』の放送が始まり、売れっ子脚本家となった賢太は、自身の家族をモデルにした初監督作品となる映画『夜山家の人々』を撮るために、朝子と企画を進めていた。
一方、発達障がいの特性がある晴太は朝が弱くて不登校気味。そして蝶子は所属している野球チームで孤立して苦しんでいたが、映画の仕事と発達障がいの息子にばかり関心を向けて、自分のことに無関心な両親にイライラしていた。

家族のギスギス感を全面に打ち出す作家としての度胸

物語は賢太の映画製作の裏側をおもしろおかしく見せる芸能界内幕モノと、学校に馴染めない二人の子どもを抱えた夫婦のホームドラマが同時進行していくのだが、観ていてとても気になるのが、賢太と朝子の険悪な夫婦関係。

調子の良いことばかり言って仕事をサボろうとし、家族の問題とも真面目に向き合おうとしない賢太に対し、朝子は常に厳しいことを言って批判するのだが、このギスギスした空気は人を傷つけない優しいフィクションが全盛の現代においては珍しいやりとりとなっている。
もちろん、朝子の口調が厳しいのは愛情の裏返しで、仕事での叱咤激励はクリエイターとしての賢太に期待しているからだと観ていればわかる。むしろ、家族だからこそ本音をぶつけ合うことができる朝山家の人々のカラッとした人間関係にだんだん好感を抱くようになっていくのだが、こういった逆説的な愛情表現は年々視聴者に通じなくなってきており、少しでも辛いシーンがあると観るのを辞めてしまう。
そんな打たれ弱い現代の視聴者に向けて、カラッとしたギスギス感を真正面から打ち出す足立紳の度胸に、まず何より驚かされる。

足立紳は映画『百円の恋』や松尾諭の自伝風エッセイをドラマ化した『拾われた男 LOST MAN FOUND』が高く評価されている脚本家だ。『喜劇 愛妻物語』や『雑魚どもよ、大志を抱け!』といった映画では脚本だけでなく監督も務めている。
中でも一番有名なのは、櫻井剛と共同で脚本を執筆した2023年度後期のNHK連続テレビ小説(以下、朝ドラ)『ブギウギ』だろう。本作は昭和の人気歌手・笠置シヅ子の半生をモデルにしたフィクションだが、『こんばんは、朝山家です。』に登場する国ドラの『ムキムキ』にまつわるエピソードは、朝ドラの『ブギウギ』執筆時のことを下敷きとしている。

今回の『こんばんは、朝山家です。』は、足立紳と妻の足立晃子の共著『ポジティブに疲れたら俺たちを見ろ!! ままならない人生を後ろ向きで進む』が原案となっている。
本書は「GetNaviweb」で2020年から約5年にわたって連載された日記風エッセイをまとめたものだ。 足立紳が書いた日記に時々、妻の晃子が厳しいツッコミを入れるスタイルで進んでいくユニークな構成となっている。逆に夫が多忙な時は妻の晃子が日記を執筆し足立紳がツッコミを入れる形で執筆しており、本書を読んでいるとドラマ内の賢太と朝子の関係そのままだと感じる。

私小説ホームドラマとでも言うべき新たなジャンルを開拓

実は今年の冬クール(1~3月)にも足立紳は自身の小説『それでも俺は、妻としたい』を自身の脚本、監督でドラマ化している。
本書も足立紳が、妻と子どもとの関係を赤裸々に描いたノンフィクションに近いドラマだが、まだ彼が売れない脚本家だった頃の話で、妻とのセックスレスの悩みを中心に描いたホームドラマとなっていた。
放送当時、自分の家族をモデルにした私小説風のドラマを自分の脚本、監督で撮るという大胆な試みが話題になったが、同じ年に自身の家族をモデルにしたドラマを脚本、演出で再び手掛けたことにとても驚いた。
間を置かずに異なる出演俳優で、ほとんど同じ題材の話をドラマ化するというのは、よっぽど題材に自信があるのか、自分の家族を描くということにこだわる強い根拠がないとできないことだが、おそらくその両方が彼の中にあるのだろう。
脚本家として仕事がなかった時代を描いた『それでも俺は、妻としたい』に対し、朝ドラを書く人気脚本家となった時代を描いた『こんばんは、朝山家です。』は、足立紳をモデルとした主人公を取り巻く環境こそ大きく変化しているが、脚本家、監督として作品を世に出すことのプレッシャーや、口喧嘩の絶えない家族の関係に思い悩む姿はどちらも変わらない。

特に家族との関係は、前作では登場しなかった娘の蝶子の存在が加わったことで、よりギスギス感が増している。
このギスギス感に対して、不快だからこれ以上観たくないと感じるか、これこそが人間の真の姿と捉えるかで、作品の評価は大きく割れるのではないかと思う。
筆者の意見は後者で、確かに観ている時は苦しくて決して楽しくないのだが、何故か目が離せない。おそらく心の奥底で、このギスギス感にリアルなものを感じているのだと思う。

原作エッセイのタイトルの中には「ポジティブに疲れたら俺たちを見ろ!!」という力強い文章があるが、いつの間にかドラマの中ですら、ポジティブで優しいことしか言えなくなっている状況に対して息苦しさを感じている自分がいたことに、本作を観ていると気付かされる。

自分と家族のことを描く私小説的な作風の向こう側に、ギスギスとした家族間のやりとりを通して人間の本質に触れようと手を伸ばす気概こそが、作家としての足立紳の独自性だろう。

自分の家族をモチーフにした物語を本人の脚本と演出で見せる私小説ホームドラマとでもいうべき独自のジャンルを開拓した彼がどこに向かうのか、とても楽しみである。


ライター:成馬零一
76年生まれ。ライター、ドラマ評論家。ドラマ評を中心に雑誌、ウェブ等で幅広く執筆。単著に『TVドラマは、ジャニーズものだけ見ろ!』(宝島社新書)、『キャラクタードラマの誕生:テレビドラマを更新する6人の脚本家』(河出書房新社)、『テレビドラマクロニクル 1990→2020』(PLANETS)がある。