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「あまりにも生々しい…」「目を疑った」“リアルすぎる濃厚描写”に上映禁止命令も…だけど「忘れられない」映画史に残る名映画

  • 2025.8.9

映画の中には、公開を待ち望まれながらも、さまざまな事情によって上映中止に追い込まれた作品があります。今回は、そうした“一度上映禁止になった邦画”の中から5本をセレクト。

本記事ではその第5弾として、映画『愛のコリーダ』(東宝東和 / ギャガ・コミュニケーションズ / アンプラグド)をご紹介します。過激な性描写が問題視され、日本では“修復版”のみの公開に。国内上映の“封印”を経て、世界の舞台で絶賛された異色の問題作とは――。

※本記事は、筆者個人の感想をもとに作品選定・制作された記事です
※一部、ストーリーや役柄に関するネタバレを含みます

あらすじ

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Google Geminiにて作成(イメージ)
  • 作品名(配給):映画『愛のコリーダ』(東宝東和 / ギャガ・コミュニケーションズ / アンプラグド[修復版])
  • 公開日:1976年10月16日 / 2000年12月2日 / 2021年4月30日(修復版)
  • 出演:藤竜也(吉蔵) / 松田英子(定)

昭和11年、東京・中野にある料亭「吉田屋」で、住み込みの仲居として働きはじめた阿部定(松田英子)は、店の主人・吉蔵(藤竜也)と出会い、たちまち強く惹かれあいます。

やがてふたりの関係は吉蔵の妻に知られ、周囲から逃れるように駆け落ち。誰にも邪魔されず、ただ互いの身体と心だけを求め続ける日々が始まります。

しかし、重ねた愛情は次第に執着へと変わり、やがて首を絞め合うなど、常識を逸した危うい行為にのめり込んでいきます。吉蔵のすべてを独占したいという思いに駆られた定は、ついには包丁を手に取り――ふたりの愛は、取り返しのつかない結末へと向かうのでした。

海外で編集、日本へ“逆輸入”…実在事件を描いた衝撃作

映画『愛のコリーダ』でメガホンを取ったのは、『戦場のメリークリスマス』などで知られる故・大島渚監督です。本作では、1936年に実際に起きた『阿部定事件』を題材に、愛と欲望の果てを真正面から描いています。

検閲を避けるため、日本で撮影したフィルムを未現像のままフランスへ送り、現地で編集して“逆輸入”するという前代未聞の手法で完成した本作は、「表現の自由とは何か」を強く問いかける作品となりました。

製作総指揮を務めたのは、ドキュメンタリー『夜と霧』などで知られる世界的プロデューサー、アナトール・ドーマン氏。彼が大島監督にポルノ作品の企画・制作を持ちかけたことが、映画誕生の出発点でした。

主演には、“二枚目俳優”として人気を集めていた藤竜也さんが起用されました。出演にあたって事務所から猛反対を受け、藤さんは事務所を辞めて本作に臨んだといいます。

ヒロインの定役には、寺山修司さんの劇団“天井桟敷”出身の女優・松田英子さんが抜擢されました。
本作で見せた強烈な存在感と身体表現は圧巻で、媚びのない表情や無言のまなざしが、痛々しいほどの情念を体現しています。

称賛と規制された芸術表現

1976年、大島渚監督が全身全霊で完成させた映画『愛のコリーダ』は、日本での公開にあたって大きな壁にぶつかりました。問題視されたのは、身体の一部露出を含む過激な性描写。公開版ではフィルムが2分間以上もカットされ、該当シーンにはボカシ処理が施されるなど、大幅な修整が加えられることになります。

海外での対応は国によって大きく異なりました。

1976年、本作はニューヨーク映画祭に正式招待され、藤竜也さんや大島渚監督も現地を訪れました。しかし、検閲の問題から上映直前に公開が中止され、予定されていたリンカーンセンターでの上映は実現しませんでした。藤さんは当時を振り返り、北米最大の日本映画祭ジャパン・カッツの授賞式で次のように語っています。

我々は上映のためにリンカーンセンターに行ったわけです。ところがとても残念で悲しいことに本編の検閲の問題で上映が出来なかった。私たちはとてもがっかりしたし、犯罪者か何かになったような気分でね
出典:『日本映画祭ジャパン・カッツ 授賞式』日本時間2024年7月18日開催

ほかにも、ベルギーをはじめ複数の国で公開が禁止。
イスラエルでは1987年に“ポルノ的内容”として検閲の対象となり、公式に上映が禁止されました。

一方、無修整のまま上映された国も多く、とくにフランスのカンヌ映画祭では絶賛を浴び、芸術作品として高く評価されました。

こうした状況のなかで、あらためて“表現の自由”をめぐる問題が浮き彫りになっていきます。日本国内で修正版による公開を余儀なくされた大島監督は「これは私の作品ではない」と強い憤りをあらわにしたといいます。

さらに追い打ちをかけるように、映画のスチール写真や脚本を収めた書籍が“わいせつ文書図画”に該当するとされ、監督本人と出版社の社長が起訴される事態に発展します。社会は一気に、「芸術か、わいせつか」という対立に引き裂かれていきました。

法廷の場で大島監督は、「わいせつ、なぜ悪い」と訴え、真正面から問題に向き合います。その主張は単なる反発ではなく、ひとりの表現者としての信念そのもの。1979年の第一審、そして1982年の控訴審でも無罪判決が下され、7年に及ぶ闘いは“勝訴”というかたちで幕を閉じました。

時を越えて、再びカンヌの舞台へ

映画の公開後まもなく、映画『愛のコリーダ』に関する書籍が摘発され、大島監督の自宅は家宅捜索を受けました。この騒動を受け、祖母は幼い子どもたちに作品の存在を悟られないよう、あえて口にせず、家庭には緊張した空気が漂っていたといいます。

それから24年後の2000年、本作は『愛のコリーダ2000』としてリバイバル上映されました。フランスからオリジナルプリントを取り寄せ、カットされた部分を復元。映倫の規定により一部にボカシは残されたものの、ノーカットに限りなく近い形での公開が実現します。

そして2017年、カンヌ国際映画祭クラシック部門で、フランスのオリジナルネガをもとに復元された4K版が公式上映。かつて“上映できない映画”とされた本作が、世界の映画史に刻まれる名作としてスクリーンに甦りました。現地では上映後に拍手がわき起こったといいます。

さらに2021年には、色調補正や映像修復を施したデジタル修復版愛のコリーダ 修復版』が全国公開。昭和から令和へと時代を越え、“封印された映画”はついに多くの人の目に触れることとなりました。

“芸術か、わいせつか”…映画史に残る異端作

長らく“封印”されてきた映画『愛のコリーダ』。その再評価が進むなか、SNSではさまざまな声があがっています。

「あまりにも生々しい…」「目を疑った」というコメントがある一方で、「3回くらい観て、やっと良さがわかる作品」「ノーカット版を観る為だけにフランスに来る甲斐がある名作」「大島監督の最高傑作」「忘れられない」といった称賛の声が多く見受けられます。

また、「藤竜也の匂い立つ色気が凄い」といった俳優陣への評価も。

“芸術か、わいせつか”という問いを乗り越え、スクリーンに戻ってきた本作。“一度上映禁止になった邦画”として、今あらためて注目を集めています。


※記事は執筆時点の情報です