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“義母の介護”を引き受けるも《言いたい放題》→疲弊するも…施設の職員からの“一言”に救われた瞬間

  • 2025.7.18
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出典:Photo AC ※画像はイメージです

 

高齢化社会が進む中、親の介護は多くの家族が直面する問題です。特に施設に入所した後も、家族による細やかなサポートが欠かせません。しかし、家族の中で介護負担が偏ってしまうことも少なくありません。

今回は、施設に入所した義母の世話を一手に引き受けた次男の嫁が、家族間の温度差に悩まされた体験について、50代女性Aさんのエピソードを紹介します。

「まだ何でもできる」と言い張る家族との温度差

これは、Aさん(仮名)が経験した、義母の介護と家族関係にまつわる体験談です。

義母が施設に入所してから、週に2〜3回の頻度で洗濯物の受け取りや衣類・おむつの購入など、いわゆる「雑用」を一手に引き受けていたのは、次男の嫁という立場にあるAさんでした。

しかしその献身が、家族全体に正しく伝わることはありませんでした。

たとえば、パジャマのボタンについて「マジックテープ式のほうがいい」と提案しても、「まだお母さんはなんでもできる」と義妹や親戚たちは取り合おうとしません。けれど、いざAさんが義母の元を訪れると、「これやっぱりマジックにして」と言われ、自分でテープを縫い付ける羽目に。

おむつの使用についても同様です。義母本人から「おむつがいい」と言われて購入したものの、親戚が勝手に持ち帰ってしまう。「まだ早い」「自分でトイレに行かないと歩けなくなる」と、義母の意思よりも“理想論”を押し付けているような感じだったそうです。

また、ズボンを3着購入して持っていった際も「違う、返品してきて」と突き返されたこともあり、義母もAさんには言いたい放題だったといいます。

それでも義母のもとに足を運び続けたAさん。しかし、義母の部屋には義妹家族の写真が飾られているのに、一番多く行ったであろう自分と子どもたちの写真は一枚もありませんでした。

そんな日々が続き、義母が亡くなったとき——真っ先に声をかけてくれたのは、施設の職員さんでした。

「ご愁傷様でした。そしてお疲れさまでした」

Aさんは、そのひと言に「私の苦労が報われた」と語ります。

義母にとって何が必要か、現実を見ようとせず「まだ大丈夫」と言い張る家族が多かった中で、自分の努力を認めてくれる人がいた。その事実だけで、これまでの苦労が報われた気がしたといいます。介護のかたちも、家族との関係性も一様ではありません。ただ、真摯に向き合ったその時間を、きちんと見てくれる人がいたということ。それが、Aさんにとって何よりの救いとなったのでした。

介護の現実を理解してくれる人の存在の大切さ

Aさんのエピソードは、介護における家族間の温度差と、実際に世話をする人への理解の重要性を浮き彫りにしています。

義母の身体的な状況を一番よく把握していたのは、Aさんでした。マジックテープ付きパジャマやおむつの必要性を感じていたにもかかわらず、他の家族は「まだ何でもできる」と現実を受け入れようとしませんでした。その結果、実際の介護を担うAさんが板挟みになってしまう構造が生まれていました。

さらに、義母からの「言いたい放題」の要求に応えていたにもかかわらず、部屋に飾られているのは義妹家族の写真だけという状況は、Aさんの心境を複雑にしたことでしょう。

しかし、義母が亡くなった際に施設の職員から「お疲れさまでした」と声をかけてもらったことで、Aさんの苦労が報われたと感じることができました。日々の介護の現実を目の当たりにしている第三者からの理解と労いの言葉は、家族からの評価以上に深い意味を持っていたのかもしれません。

介護は家族全体の問題でありながら、実際の負担は特定の人に集中しがちです。そんな中で、現実を理解し、努力を認めてくれる人の存在がいかに大切かを教えてくれるエピソードでした。


※本記事では読者の皆さんに投稿していただいた体験談を紹介しています。

アンケート実施日:2025年7月14日
投稿方法:TRILL 募集フォームより
投稿者:50代女性