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「こんな部屋じゃ眠れない!」精神科病棟で"香りを巡るトラブル"に、看護師が患者にかけた一言

  • 2025.7.26

こんにちは、現役看護師ライターのこてゆきです。

今回は精神科病棟での勤務中に起きた、においをめぐる患者トラブルについてお話しします。

においはときに感情を大きく揺さぶります。とくに閉鎖的な空間である病棟では、些細な刺激が思わぬトラブルの引き金になることもあるのです。

今回のエピソードでは、患者さんが大切にしていた宗教的習慣と、集団生活のルールの間で揺れた私たち看護師の対応についてお伝えしたいと思います。

お香の匂いが病棟に広がっていた

その患者さんは50代の女性。統合失調症で長期入院中の方でした。

とても穏やかで落ち着いた印象の方でしたが、ある特定の宗教に強く帰依しており、4つほどのお香袋(匂い袋)を常に肌身離さず持ち歩いていました。

最初のうちはそれほど気にならなかったのですが、日が経つにつれてお香の匂いがかなり強くなっていきました。

3人から6人部屋の多床室が基本の病棟では、その匂いが室内全体に充満し、「くさい」「頭が痛くなる」と訴える患者さんが現れるようになったのです。

「こんな部屋じゃ眠れない!」同室患者の怒り

ある夜、病棟の廊下にまで響くような大きな声が聞こえてきました。

「こんな臭い部屋で寝られるか!なんであんなもん許してるの!?早くなんとかしてよ!」

叫んでいたのは、同室の患者さん。かなり興奮していて、Aさん対しても直接「何それ!あんたのせいで気分悪いんだけど!」ときつい口調で詰め寄っていました。

私たち看護師はすぐに間に入り、双方の話を聞く場を作りました。

「これは私のお守りです。持っていないと…怖くなるんです」

お香袋を持つ女性は、怒られたことにショックを受け、肩をすぼめながらこう話してくれました。

「これは…ただの匂いじゃないんです。昔から持っているお守りで、これがあると落ちつくんです。夜になると嫌な声が聞こえて怖くて。だから、これがないと眠れないんです…」

その表情には、宗教や習慣というよりも安心を守るための行動であることがにじんでいました。

看護師として、どちらか一方ではなく間に立って解決するために

とはいえ、他の患者さんの苦痛を無視するわけにはいきません。

「なんであの人だけ特別なの?」という声も聞かれ、病棟全体の空気が少しずつざわついていくのを感じていました。

個室は有料で空きもなく、すぐに環境を変えるのは難しい状況。そこで、スタッフ同士で何ができるかを繰り返し話し合いました。まずは、Aさん本人の尊厳と周囲の快適さの両立を目指して対応を考え、Aさんにはこんなふうに声をかけています。

「Aさんにとって大切なものだということ、ちゃんとわかっています。でも、他の方がその匂いで具合が悪くなってしまうのも事実なんです。できるだけAさんの気持ちを大切にしたいので、病院で使うお香袋の数を1つにしてみませんか?あと、夜寝るときだけ枕元に置くのはどうでしょうか?昼間は引き出しにしまって、少しだけ匂いが落ち着くようにしてみませんか?」

戸惑いながらも、Aさんは「…やってみます」とうなずいてくれました。

個室の調整は難しかったため、香りに敏感でない患者さんに事情を説明し、Aさんには3人部屋へ移ってもらうことに。新たな同室者とも穏やかに過ごせるよう配慮を重ねました。

他の患者さんにも、「Aさんにとってはお守りのようなものなんです。病棟生活の中で、みんなで少しずつ歩み寄れたらと思っています」

と背景や思いを丁寧に伝えていくことで、不満の声も次第に和らいでいきました。

匂いは安心の象徴になることもある

この経験を通して、私はあらためて「匂い」には感情が宿るのだと実感しました。

それは単なる刺激や習慣ではなく、ときに不安を和らげ、心を支えるよりどころになることもあります。

精神科病棟では、目に見えない「安心」の形が人それぞれ異なります。

だからこそ、すぐに制限したり排除したりするのではなく、まずは「その人にとっての意味」に目を向け、一度受け止める姿勢が何より大切だと感じました。

匂いは目に見えないぶん、時に感情と深く結びつき、人と人との間で衝突を生みやすいテーマでもあります。

今回のようなケースでは、「我慢して」と伝えるだけでは解決しませんでした。それぞれが「なぜそうしているのか」を丁寧に聴き、一緒に折り合いを探っていくことが、トラブルの緩和につながったのです。

看護師はどちらかの味方になるのではなく、互いの思いの間に立ち、橋をかける役割があります。そこに正解はなく、毎回が新しい答えのない問いへの挑戦です。今回の経験は、寄り添うとはどういうことかを、言葉ではなく実感として教えてくれた気がしています。



ライター:精神科病院で6年勤務。現在は訪問看護師として高齢の方から小児の医療に従事。精神科で身につけたコミュニケーション力で、患者さんとその家族への説明や指導が得意。看護師としてのモットーは「その人に寄り添ったケアを」。