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25年前、日本中を包み込んだ“首相から生まれた夏のバラード” 世界に届いた“優しさの音”

  • 2025.7.31

2000年、世紀の変わり目に世界の目が“沖縄”に注がれた。

九州・沖縄サミットが開かれ、国際的な舞台に立ったこの夏、日本中に静かに広がっていった一曲がある。

安室奈美恵『NEVER END』(作詞・作曲:小室哲哉)――2000年7月12日リリース。

それは、歓声ではなく“祈り”で始まる夏ソングだった。華やかさや高揚感ではない。静かで、深い共鳴。

透き通る歌声と、波のように寄せるシンセサウンドに乗せて、“未来”や“つながり”へのメッセージが、ゆっくりと心に染み込んでいった。

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2000年 九州・沖縄サミットの歓迎レセプションで歌う安室奈美恵 (C)SANKEI

“国際会議”発の夏ソング、時代を映す情緒

『NEVER END』は、安室奈美恵にとっては17枚目のシングル。この曲は九州・沖縄サミット(第26回主要国首脳会議)のイメージソングとして制作され、世界と地元・沖縄をつなぐ記念すべき一曲だった。

知名定男やネーネーズら沖縄音楽会の重鎮たちがレコーディングに参加し、30人の沖縄の小中学生がコーラスに加わるなど、“沖縄の音”を積極的に導入した構成も印象的だ。最終的に60万枚以上を売り上げた。

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2000年当時の森喜朗首相(中央)を表敬訪問した安室奈美恵(右)とプロデューサーの小室哲哉(左)(C)SANKEI

歌声に託された、“あの夏の静かな願い”

『NEVER END』の誕生には、特別な経緯があった。

2000年、夏の沖縄で主要国首脳が集うサミットを前に、当時首相だった小渕恵三氏が小室哲哉に直接依頼をかけたことから、この楽曲は生まれた。

「みんなに愛される曲を」――その願いを受け取った小室は、“限りない優しさ、思いやりの気持ち”をテーマに詞を重ねていく。

その後、小渕氏は急逝。完成した曲は、首相官邸に届けられ、そして安室奈美恵の歌声によって、各国の首脳が集う歓迎の場で披露された。

爆発ではなく、祈りのように広がるサビ。静かに波打つシンセと重なり合う重層的なコーラス。この曲は、ひとつのヒット曲というよりも、「日本が世界に贈った心のかたち」だった。

静かな展開ながら一番深く心に響く。圧倒的な音像ではなく、少し胸に引っかかる余白こそが、現代にまで残る強さなのだ。

今も、いつでも鳴っている理由

2000年の夏、サミットの中継映像、街のスピーカー、テレビの朝の情報番組――あらゆる場所に『NEVER END』の音が流れていた。

それはただの主題曲ではなく、ひとつの季節を包み込んだ空気のような存在だった。

25年経った今も、この曲がふと耳に入ると、その頃の夏が静かに立ち上がってくる。

世界と向き合おうとしていた日本の表情、未来を信じようとしていた空気感。“あの夏にだけあった、ゆっくりとした時間”が、たしかにそこに残っている。

『NEVER END』は、安室奈美恵の声とともに、時代の節目にそっと添えられた、もうひとつの「記憶の風景」として、今も静かに鳴り続けている。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。