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主人公の放った恐怖の一言に“ゾクッ” ただのドロドロじゃ終わらない…話題の“木曜ドラマ”

  • 2025.5.8
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(C)AbemaTV,Inc.

タイトルに込められた“死ぬほど愛して”の意味が、回を追うごとに輪郭を帯びてきた。第6話では、神城真人(成宮寛貴)の過去における重要な事件がさらに明らかになり、彼と南沢夕陽(久間田琳加)の叔母との関係、さらに真人に取り憑かれたような人々の心理が浮かび上がる。ひとつひとつの言動に“異常”と“切実”が同居し、善悪の境界が揺さぶられるスリリングな展開だった。

真人にとっての“愛”とは、所有か、救済か

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(C)AbemaTV,Inc.

南沢夕陽の叔母(青山倫子)は、心臓の持病を抱えながらも、自立して生きる芯の強い女性であったという。しかし、10年ぶりに“良い男になった”真人と再会してからの彼女は一変する。「真人なしでは生きていけない」とまで言い切り、人生をかけて続けてきた店を閉めるという決断まで下した。そして結婚後、わずか2ヶ月で急性心不全で亡くなった。

この死は、本当に“自然な死”だったのか?

石黒颯馬(細田善彦)の調査によれば、薬の飲み合わせや毒物を用いれば、自然死に見せかけることは可能だという。医師の診断を受けていないままの“突然死”には、得てして見過ごされがちな異変が潜んでいることもある。夕陽の叔母もまた、真人によって巧妙に洗脳され、命を落とすこととなった“被害者”である可能性が濃厚である。

また第6話では、真人が投資家・真澄(筒井真理子)に監禁される場面も描かれた。真澄は「一生飼ってあげる」「奴隷にしてあげる」と、真人を“愛する”がゆえに異常な支配欲を剥き出しにする。しかし、真人はその支配を断固として拒否する。「こんなのは愛じゃない。だから殺してやらない」と言い放つその姿に、視聴者は一抹の違和感を覚えるだろう。

真人はこれまで、夕陽の叔母、そして夕陽本人に対しても執着に近い“愛”を向けてきた。現在の妻・澪(瀧本美織)にも、洗脳ともいえるマインドコントロールを施しており、澪はすでに“真人の言うことが正しい”という認知のなかで日々を過ごしている

このような“支配的な愛”を正当化しうるのか、それともそれはただの暴力なのか。真人の言う“愛しているからこそ殺す”という発想は、常軌を逸していながらも、彼自身のなかでは筋の通ったロジックであるらしい。

このドラマにおける“ハッピーエンド”とは

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(C)AbemaTV,Inc.

石黒は澪に接触し、真人の本名が金倉俊紀であること、夕陽らを殺した可能性があること、澪自身にも多額の生命保険がかけられていることなどを伝える。しかし、澪はすぐには信じようとしない。それどころか「真人のことアイツなんて言わないで」と、現実から目を背けるような反応を見せた。

視聴者にとっても、ここがもっとも苦しく、もどかしいポイントである。澪が異変に気づいていないわけではない。むしろ心の奥底では「おかしい」と感じているはずだ。しかし、現在の“ぬるま湯のような愛情”から抜け出す決断を、澪はまだ下せていないのだ。夕陽が命をかけて遺した“証拠”が、真人の仮面を暴く日が来るのだろうか。

『死ぬほど愛して』というタイトルが、回を重ねるごとにその意味を更新し続けている。第6話時点で、すでに3人の女性が真人の“愛”によって人生を狂わされている。これが“本当の愛”であるはずがない。しかし、それを否定しきれないほど、真人というキャラクターは悲しく、どこか共感すら誘ってしまう危うさを孕んでいる。

SNS上でも「3話以降の動きにワクワク」「ただのドロドロじゃない」など、キャラクターの心理描写や表現に対しての反響が大きい。「何が正しいのか」「どこまでが愛なのか」を問う本作は、もはや単なるサスペンスではなく、“倫理観を揺さぶる問いそのもの”と化している。



ABEMA『死ぬほど愛して』
[放送日時]3月27日(木)夜11時より ABEMAで配信開始
[出演者]成宮寛貴、瀧本美織ほか
[番組トップページ]https://abema.tv/video/title/90-2024

ライター:北村有(Kitamura Yuu)
主にドラマや映画のレビュー、役者や監督インタビュー、書評コラムなどを担当するライター。可処分時間はドラマや映画鑑賞、読書に割いている。Twitter:@yuu_uu_