1. トップ
  2. 33年前、当時の若者から熱烈に支持されていた“トレンディドラマ” 今見ても“色あせない名作”の凄み

33年前、当時の若者から熱烈に支持されていた“トレンディドラマ” 今見ても“色あせない名作”の凄み

  • 2025.5.22
undefined
(C)SANKEI

1992年に放送された連続ドラマ『愛という名のもとに』は、大学のボート部で出会った7人の若者の青春群像劇だ。

私立の男子校で英語の教師として働く藤木貴子(鈴木保奈美)。
代議士の父親の秘書をやりながら政治家を目指す高月健吾(唐沢寿明)。
軽薄な性格で大学卒業後、音信不通となっていた神野時男(江口洋介)。
大学時代にファッションモデルとしてデビューし、男子部員のお姫さまだった斎藤尚美(中島宏海)。
小説を書く時間を作るために区役所の職員になったいつも冷静な塚原純(石橋保)。
デパートで働く感激屋で泣き虫のノリこと、飯森則子(洞口依子)。

そして、証券会社の営業職として働くチョロこと、倉田篤(中野英雄)。
大学卒業後、7人の交流は途絶えていたが、尚美が病院に運ばれたことをきっかけに再会する。
実は尚美は妻子のいる男との不倫に悩んでおり、自殺未遂を起こしたところを偶然、彼女の家を尋ねた時男に助けられたのだった。

そして、貴子たちも悩みを抱えていたことが、次第にわかってくる。
貴子は受験勉強を第一に考える高校の教育方針に違和感を抱いており、結婚相手の健吾には政治家の妻になるのであれば、仕事を辞めてほしいと言われていた。 一方、健吾も父親が汚職事件に関わっていることを知り、政治家の理想と現実の狭間で心を痛めるようになる。
そして、自由に生きているように見える時男は、日本社会の窮屈さに苛立っており、一時は電話による有料情報サービスを用いたアダルトビジネスに手を出すものの、雇っていた女子高生が客との売春行為に及んだことで、警察沙汰となってしまう。

一方、純はノリと付き合い始めたことをきっかけに、諦めかけていた小説家になる夢と再び向き合うが、出版社にはまともに取り合ってもらえず、疲弊していく。 対してノリは純を支えることで自己評価の低い卑屈な性格を克服しようとするが、純との子を妊娠したことで二人の関係は気まずくなっていく。

そして証券会社でバリバリ働いているように装っていたチョロは成績が全然伸びず、上司から酷いパワハラを受けていた。

野島伸司の転換点となった『愛という名のもとに』

本作の脚本は1991年に『101回目のプロポーズ』が高視聴率を獲得し、人気脚本家として注目を集めていた野島伸司が担当している。

1988年に第2回フジテレビヤングシナリオ大賞を受賞し、脚本家としてデビューした野島は、当時のトレンディドラマブームに乗る形で『君が嘘をついた』等の明るく楽しい恋愛ドラマを多数執筆していた。しかし、元々彼は『岸辺のアルバム』や『ふぞろいの林檎たち』といった山田太一脚本のテレビドラマに強い影響を受けており、作家としてのバックボーンは、1960~70年代のフォークソングを筆頭とする泥臭いカウンターカルチャーにあった。

そのため、社会問題から目を反らし、明るく楽しく過ごせればいいじゃないかという80年代後半の空気に対して強い違和感を抱えていた。 そんな野島の社会に対する批判的な眼差しと若者の心に踏み込んでいく強い文学性が本格的にテレビドラマに持ち込まれたのが、この『愛という名のもとに』である。

本作以降、野島の作風は社会問題やタブーに切り込んでいくショッキングで重苦しいものへと変わっていくのだが、その変化を象徴しているのが、大学のボート部でキラキラとした青春を過ごした貴子たちが、社会に出て冴えない日々を送っているという過去と現在の落差だろう。

7人の男女の人間模様を描いていく本作はトレンディドラマの基本的な見せ方を踏襲しており、貴子が真面目な健吾と飄々とした時男の間で揺れるといった三角関係も描かれている。しかし、ラブストーリーとしては薄味で、あくまで一人ひとりがどういう風に生きていくか? という人生の問題と、仲間とどう支え合っていくのか? が大きなテーマとなっていた。

明るく楽しいトレンディドラマの世界からシリアスな社会派ドラマに作風を転換させることで、野島は時代の寵児となっていったのだが、彼の作風の変化は、1991年のバブル崩壊以降、経済不況が進み社会の空気が殺伐としていく日本の変化と呼応していた。 だが、彼の社会問題の描き方に対しては批判も多く、ワイドショー的に事件の表面をなぞって過激な味付けをしているだけだという意見も当時は多かった。 残念ながらこの批判は正しかったと思う。受験ノイローゼ、政治汚職といった当時の社会問題に対するアプローチは、90年代前半の記録として見る分には面白いが、それ以上の価値を見出すことはできない。

今見ても色褪せることがない青春群像劇としての面白さ

逆に今見ても鮮烈なのが、7人の若者の悩みを見せる青春群像劇としての面白さだ。

中でも圧巻なのがチョロの描き方である。

チョロは7人の中で自分が一番劣っていると感じており、貴子や健吾に対して強い憧れと、その裏返しとしての劣等感を抱いていた。証券会社でもお荷物扱いされており、自分は誰からも必要とされていないのではないかと悩んでいた。そんな時に偶然知り合ったバーで働いているフィリピン人の女性・JJ(ルビー・モレノ)に恋心を抱き、「母親が病気で手術に200万が必要だ」という、彼女の言葉を信じ、仕事で預かった200万円をJJに渡してしまう。

その後、彼がどうなるかについては是非、本編を観て欲しいのだが、多くの視聴者にとって、本作は「チョロのドラマ」として記憶されているのではないかと思う。

チョロを演じているのは、人気俳優の仲野太賀の父親として知られる中野英雄だが、大きな身体なのに気が弱いチョロの弱さを見事に演じきっており、後半になるほど彼の存在感は増していった。

劇中でノリが、7人の関係を将棋の駒にたとえる場面がある。

貴子は王将、健吾と時男は飛車と角行、純と尚美は金将と銀将、そして自分とチョロは“歩兵”だとノリは語る。一見仲良しに見える7人の中にも歴然とした格差があることをノリとチョロが自覚している残酷な場面だが、自分のことを将棋の歩のような存在だと思っている人間をドラマの重要人物として丁寧に描いたからこそ、本作は当時の若者から熱烈な支持を獲得したのだ。


ライター:成馬零一
76年生まれ。ライター、ドラマ評論家。ドラマ評を中心に雑誌、ウェブ等で幅広く執筆。単著に『TVドラマは、ジャニーズものだけ見ろ!』(宝島社新書)、『キャラクタードラマの誕生:テレビドラマを更新する6人の脚本家』(河出書房新社)、『テレビドラマクロニクル 1990→2020』(PLANETS)がある。