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39年前、日本中が恋に落ちた“普通っぽいアイドル”  「飾らない」ゆえに一時代を築いた先駆者の存在

  • 2025.5.9
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(C)SANKEI

1986年、アイドルは“つくられた偶像”から“等身大の憧れ”へとシフトし始めた。

「39年前、どんな女の子に憧れていたか覚えてる?」

松田聖子や中森明菜が“歌姫”として絶大な人気を誇っていた1980年代半ば。そんな中、“歌”より“存在そのもの”が注目された、新しいタイプのアイドルが現れる。

渡辺満里奈――1986年10月8日、シングル「深呼吸して」でソロデビュー。

おニャン子クラブ会員番号36番としての人気を背景にしながら、彼女は“飾らない透明感”と“カルチャー感覚”をまとい、アイドルシーンに新しい風を吹き込んだ。

キラキラじゃない。でも、ずっと見ていたくなる

渡辺満里奈の魅力は、なんといっても“ナチュラルでニュートラルな存在感”。

同じおニャン子クラブ出身の工藤静香が“大人びた色気”で魅せるなら、渡辺満里奈は“清潔感と親しみやすさ”で、男子だけでなく女子の支持も集めた。

特別に派手な演出があったわけでもないが、カメラの前に立つと、ふわっと場が和む。“普通っぽいのに、どこか洗練されている”その空気感が、当時の若者文化にマッチした。

なぜ渡辺満里奈は特別な存在になったのか?

アイドル=ステージで輝く特別な存在、という固定観念がまだ根強かった1980年代。そんな中で、彼女は「雑誌」「ラジオ」「テレビバラエティ」といった“日常的なメディア”で活躍し、“隣にいそうな女の子”としての人気を獲得した。

しかもその立ち位置は、ただの“癒し系”ではない。読書好きで感性が鋭く、渋谷系やサブカルにも明るいという、当時としては新しい“知的でカルチャー寄りなアイドル像”を体現していた。

のちに「Dunk」などの雑誌で活躍したことからも分かるように、渡辺満里奈は若者カルチャーを身にまとう存在だった。

アイドルとサブカルの架け橋となった人

渡辺満里奈が支持されたもう一つの理由は、“脱アイドル”の自然さにある。

おニャン子クラブ解散後、ソロとして一時代を築いた後、すぐに女優や司会業に移るわけではなく、“暮らし”“読書”“インテリア”など、自分の関心をそのまま発信するスタンスでメディアに登場し続けた。

その自然体の姿が、“アイドルを卒業してもファンでいられる”という理想のロールモデルに。

1990年代以降も、TV・エッセイ・ナレーション・雑誌連載など幅広い活動を展開し、家庭を持った現在でも、変わらぬナチュラルな魅力で支持されている。

39年経っても、“好き”でいさせてくれる存在

渡辺満里奈が教えてくれたのは、“完璧じゃなくていい”“静かに芯を持っていればいい”ということだった。

時代が変わっても、彼女のように「好きなものを大切にして、自分らしく生きる」ことを貫く姿勢は、今のライフスタイルアイコンの先駆けとも言えるだろう。

39年経った今でも、「満里奈ちゃんが好き」と言えることが、ちょっと誇らしい。それは彼女が、“時代を超えてずっと信頼できる存在”であり続けてくれているからだ。


※この記事は執筆時点の情報です。