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納得できない結末なのに“傑作”…信じがたい終わり方をした90年代の“名作ドラマ”を振り返る

  • 2025.5.8
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(C)SANKEI

1997年に放送された『青い鳥』は、長野県の地方都市で駅員として働く30歳の青年・柴田理森(豊川悦司)が、籠の鳥のような生活に苦しんでいる人妻のかほり(夏川結衣)を救うために、彼女の娘・誌織(鈴木杏)と3人で逃避行を図る連続ドラマだ。

あらすじだけ抜き出すと、よくある不倫ドラマだが、ドラマから受ける印象は大きく異なる。

第1話では田舎町で暮らす理森たちの鬱屈した日常が丁寧に描かれるのだが、近年の忙しない展開のドラマに慣れていると物語のゆったりとしたトーンに驚かされる。

駅員の理森、人妻のかほり、娘の誌織、かほりの夫・綿貫広務(佐野史郎)、そして理森の幼馴染の秋本美紀子(永作博美)。この5人が主要人物だが、どの人物も描写が精密で人間ドラマとして、とても見応えがある。

タイトルの『青い鳥』は、劇中で誌織が読んでいるチルチルとミチルの兄妹が幸せの青い鳥を探して様々な世界を旅するモーリス・メーテルリンクの童話劇から取られている。田舎町で駅員として真面目に暮らしていた駅員が人妻とその娘と逃げる逃亡劇と『青い鳥』の世界を重ねているのが、本作のグロテスクさの中にある美しさだが、この歪さが90年代後半の暗い世相と強くマッチしていた。

寂れた田舎町を舞台に男女の逃避行を描いた本作を観て、随分クラシカルなドラマだと当時は感じたが、今の視点で観るとglobeの主題歌「Wanderin' Destiny」が小室哲哉ブーム真っ只中だった90年代後半の荒涼とした世紀末感を見事に反映しており、この曲の流れるオープニングで展開される牢屋のような場所でもがき苦しむ豊川悦司の映像を観ていると、90年代後半は確かにこういう鬱屈した気分だったなぁと、懐かしく感じる。

暗い色気を放つトヨエツのPVみたいなドラマ

そんな豊川悦司が醸し出す暗い色気こそが、『青い鳥』の一番の魅力だろう。 近年はNetflixの配信ドラマ『地面師たち』の詐欺師グループの元締め・ハリソン山中を演じた怪優というイメージが強い豊川だが、90年代後半はトヨエツと呼ばれるイケメン俳優として人気を博していた。

彼は元々、舞台俳優で80年代末から映画に出演し実力派俳優として高く評価されていたが、テレビでは、武田真治と超能力者の兄弟を演じた深夜ドラマ『NIGHT HEAD』で注目された。

90年代に入るとテレビドラマに脇役として次々と出演するようになり、94年には野沢尚脚本のドラマ『この愛に生きて』にもエリートサラリーマン役で出演している。

そして、常盤貴子とW主演を果たした95年の恋愛ドラマ『愛していると言ってくれ』でろう者の青年画家を演じて以降は、名実ともにトップ俳優となり主演作も増えていった。

『青い鳥』は豊川がイケメン俳優として人気のピークだった頃に撮られた作品で、30代前半のトヨエツの魅力が刻印されており、後半はほとんど苦悩するトヨエツの暗い色気を堪能するPVのようなドラマとなっている。 豊川の魅力は、暗い内面の発露となる狂気スレスレの演技で、本来はプライムタイムのテレビドラマで主演を張るタイプの俳優ではなかったのだが、90年代という暗い時代の気分と彼の暗い魅力がマッチしたことで人気が爆発した。

理森とかほりを巡って争う綿貫広務を演じた佐野史郎も当時は90年代の闇を一心に背負っていた怪優で、その意味でも90年代だからこそ成立した連続ドラマである。

大人のドラマを書き続けた野沢尚の作家性が強く打ち出された『青い鳥』

本作の脚本を担当する野沢尚は、80年代は映画や2時間ドラマを手掛けていたが、1992年に連続ドラマ『親愛なる者へ』を書いて以降、連ドラの脚本家として活躍するようになる。

当時はフジテレビの木曜劇場という大人向けドラマ枠を主戦場としていたが、その中でも野沢の書くドラマは硬派で大人っぽく、70年代の映画を観ているような重苦しさが漂っていた。

90年代のテレビドラマは80年代後半のテレビドラマを席巻したトレンディドラマの時代が終わり、バブル崩壊後の暗鬱とした気分を先取りしたような暗いドラマが増え始めていた。 その空気にいち早く反応し、ショッキングな暗いドラマを多数手掛けることで時代の寵児となったのが『愛という名のもとに』や『高校教師』の脚本家として知られる野島伸司だった。

暗い物語を好んで描く野沢尚と野島伸司の作風には共通点が多いのだが、核にあるものは大きく異なり、野沢にはハードボイルド小説のような硬派な文学性が宿っており、より大人向けだと当時は感じた。

残念ながら2004年に44歳の若さで亡くなってしまったため、野沢の作品は多くないのだが、どのドラマも傑作で今観ても色あせていない。 知名度と評価においては、中山美穂と木村拓哉が主演を務めたミステリードラマ『眠れる森』が一番有名だが、彼の作家性が最も出ていた作品は、この『青い鳥』ではないかと思う。

本作はTBSの金曜ドラマで野沢が書いた作品だが、老舗ドラマ枠として脚本家の作家性を第一に考える金曜ドラマと野沢の相性はとても良かった。 残念ながらTBSで書いたドラマはこの一作のみとなってしまったが、もしも『青い鳥』以降も野沢がTBSで連続ドラマを書いていたら、多くの名作が生まれただろうにと、悔やまれる。それくらいクオリティの高い作品だ。

だが、本作の結末に対しては評価が割れている。 逃避行の末にかほりが自殺したことで理森は殺人の罪を着せられて服役。6年後に仮出所した後、成長したかほりの娘・誌織(山田麻衣子)と再会し、最終的に二人のラブストーリーとなる結末には、今観ても受け入れがたいものを感じる。

作り手もそれをわかっていたからこそ、誌織とは一度別れさせ、理森が再び服役した後、大人になった誌織と再会して結ばれるという段階を踏んだのだろうが、それでも前半でみせた3人の疑似親子関係が魅力的だっただけに、理森と誌織のラブストーリーにはしてほしくなかったという視聴者の声は多い。

だが、この受け入れ難い結末にこそ野沢尚の作家性を感じる。 おそらく他の脚本家が書いていたら、理森と誌織が心中するか、理森が幼なじみの秋本美紀子と結ばれるという結末を選んでいただろうし、その方が視聴者も納得したと思うのが、視聴者の感動や納得よりも、野沢が書きたい美学を貫いたというのが『青い鳥』というドラマだ。

その意味でも野沢作品としての純度が高い孤高の傑作である。


ライター:成馬零一
76年生まれ。ライター、ドラマ評論家。ドラマ評を中心に雑誌、ウェブ等で幅広く執筆。単著に『TVドラマは、ジャニーズものだけ見ろ!』(宝島社新書)、『キャラクタードラマの誕生:テレビドラマを更新する6人の脚本家』(河出書房新社)、『テレビドラマクロニクル 1990→2020』(PLANETS)がある。