1. トップ
  2. 33年前、“視聴者の声”がストーリーを変えた…悪役が主人公になった“前代未聞のドラマ”

33年前、“視聴者の声”がストーリーを変えた…悪役が主人公になった“前代未聞のドラマ”

  • 2025.5.8
undefined
(C)SANKEI

今ではだいぶ減ってしまったが、昔のテレビドラマは結末を決めずに放送がスタートし、視聴者の反応を作品にフィードバックすることで、内容を変えていくことが多かった。

そのため、始まった時と終わった時では全く違う作品に変わってしまうこともあり、悪く転がるとコンセプトがブレブレの駄作になってしまうのだが、うまく転がると毎週放送されるテレビドラマならではのライブ感が生まれ、作り手の想像を超えた時代を象徴する大傑作が生まれることもあった。

1992年に放送された『ずっとあなたが好きだった』はその代表だろう。

本作は、お見合い結婚をした30歳の女性・美和(賀来千香子)と、実業団のラグビーチームに所属する大岩洋介(布施博)のラブストーリーとして始まった。

二人は高校時代の恋人で、美和にとっては初恋の相手。ある事情で両親に無理やり別れさせられたのだが、実は今でも二人は惹かれあっており、タイトルの『ずっとあなたが好きだった』とは二人の関係を示しているのだと当初は思われていた。

一方、美和にはお見合い結婚した夫の桂田冬彦(佐野史郎)が、大岩には中井律子(宮崎ますみ)という恋人がおり、現在の恋人(夫)と元恋人を間に挟んだ2つの三角関係が物語を引っ張る要素として描かれた。その意味で本作はトレンディドラマブームの影響下にある恋愛ドラマだったのだが、冬彦の存在感があまりにも強烈だったため、途中から「冬彦さん」のドラマに変わっていくという異常事態が発生した。

トレンディドラマから冬彦劇場へと変貌した『ずっとあなたが好きだった』

冬彦さんは、マザコンのオタクで銀行で巨額のお金を動かす仕事をしていた。対して美和の初恋の人である大岩は明るく優しい体育会系のスポーツマン。大岩を演じる布施博は多くのトレンディドラマに出演していた人気俳優でモテる男の象徴だった。 対して冬彦を演じる佐野史郎は映画を中心に活躍していた不気味なカルト俳優。 大岩と冬彦の対立は、今風に言うと「陽キャ」と「陰キャ」の対立で、テレビドラマのセオリーで言うならば冬彦は憎むべき悪役だったが、視聴者が求めたのは冬彦の物語だった。

東大卒のエリートで勉強も仕事もできるが、母親に過保護に育てられたために、人の心がわからず恋愛経験もない。結婚した後も美和とはうまく信頼関係を結べず、仕事が多忙なために家に帰るのも遅く、帰ってもゲームばかりしていて美和とはセックスレス。そのくせ、大岩に対しては嫉妬心を抱いて冷たく当たる冬彦に耐えられず、美和は家を出ていってしまう。

そこから今は恋人がいるため気持ちを抑制しているが、ついつい会ってしまい大岩に悩みを打ち明ける姿が描かれるのだが、序盤は明らかに美和と大岩のラブストーリーとして作られている。

冬彦の出番も少なく心理描写も薄いため「こんな話だっけ?」と今観ると戸惑うのだが、冬彦が改心して美和との生活をやり直そうとする第7話のあたりから、作品のトーンが大きく変化し、冬彦の描写が増えていく。そして佐野史郎の怪演が爆発し「冬彦劇場」とでも言うような異様なドラマへと本作は変貌する。

大人の嫌な部分の集合体みたいな芝居をする佐野史郎

当時の佐野史郎は、映画を中心に俳優として評価される傍ら、『ゴジラ』や妖怪、クトゥルフ神話に詳しいホラーマニアとしてもメディアに露出しており、オタク的な有名人の元祖みたいな存在だった。

俳優としての佐野を、筆者が初めて意識したのは小学生の時に観た1988年の映画『ぼくらの七日間戦争』だったが、本作で佐野は管理教育を推し進める生徒に厳しい嫌な教師を演じていた。

メガネにスーツ姿でぬるっとした顔立ちで目の細い佐野の佇まいは、大人の日本人男性の不快な要素を詰め合わせたような不快感があり、子どもの頃の自分にとっては大人の嫌な部分の集合体みたいな存在だった。 そういった大人の日本人のマイナスイメージを演じさせると日本一の俳優で、当時は佐野史郎がテレビの画面に映るだけで、何か嫌なことが起こるのではという不穏さがあった。

「冬彦さん」はそんな佐野史郎の怪優ぶりが楽しめるという意味ではホラードラマだったが、不快極まりない悪役だったはずの冬彦さんに多くの視聴者がいつの間にか感情移入して、もっとも愛すべき哀しい存在だと思うように変わっていくところが本作の凄まじさだ。

最終的に、美和と自分自身を開放するために母親を刺して逮捕された冬彦は、刑務所に面会に来た美和に、実は美和とは過去に出会っており、初恋の人だったと告白する。そこでタイトルの『ずっとあなたが好きだった』が美和と大岩の気持ちだけでなく、冬彦が美和に抱いていた気持ちだったと判明し、最終的に冬彦の哀しい恋の物語に本作は完全に上書きされてしまったのだ。

一つの作品の中で悪役が主人公に変わってしまうような価値観の転倒は、当時のテレビドラマでも前代未聞だったが、これは作品の作り手が視聴者の反応を見て冬彦の出番を増やしていった結果、生まれた超展開だったと言える。

本作で俳優として広く知られるようになった佐野史郎は、その後も冬彦さんのような不気味な悪役を演じる一方、1994年の映画『毎日が夏休み』では、登校拒否の娘と「何でも屋」を始める優しいお父さんを演じており、不気味で嫌な奴というパブリック・イメージを逆手にとって実は良い人だったといった起用も増えていった。

そのため現在は佐野史郎=気持ち悪い悪役というイメージはだいぶ薄まっている。これは佐野の存在が広く認知されたことで「不気味さが薄まった」ことが一番の原因だが、それ以上に、佐野が冬彦さんで体現した、マザコンで恋愛に奥手なオタク的な大人像が男女問わず今では珍しい存在ではなくなったからだろう。

その意味で「推し活」が推奨され、誰もがオタクとなった現在の私たちの方が冬彦さんのことを理解できるのではないかと思う。 当時の私たちが冬彦さんを恐がりながらも目が離せなかったのは、不器用な彼の中に自分自身の姿を見出したからだったのかもしれない。


ライター:成馬零一
76年生まれ。ライター、ドラマ評論家。ドラマ評を中心に雑誌、ウェブ等で幅広く執筆。単著に『TVドラマは、ジャニーズものだけ見ろ!』(宝島社新書)、『キャラクタードラマの誕生:テレビドラマを更新する6人の脚本家』(河出書房新社)、『テレビドラマクロニクル 1990→2020』(PLANETS)がある。