10歳で事故に遭い、25年間眠り続けた少女が目覚めたとき、世界はすっかり変わっていた。日本テレビ系 連続ドラマ『35歳の少女』は、過ぎ去った時間を取り戻せない現実とどう向き合うかを描く物語だ。家族も、友人も、自分を取り巻く環境も大きく変化し、インターネットの普及によって人間関係のあり方さえ変わってしまった現代。そんななか、主人公・望美(柴咲コウ)は「いまを生きる」ことを決意する。本作が問いかけるのは、過去ではなく未来にどう進むか。その切なさと希望に満ちた物語を紐解く。
25年、時間が止まっていた“浦島少女”の「取り戻せない時間」
「目覚めなきゃよかった」。
10歳の望美(柴咲コウ)は、自転車事故により意識を失い、25年ものあいだ眠り続けていた。そして35歳になった彼女が目覚めた世界は、知っているはずのものとはまるで様変わりしていた。
かつて明るく元気だった母・多恵(鈴木保奈美)は年老いて疲れ果て、父・進次(田中哲司)は離婚して新しい家庭を築き、可愛がっていた妹・愛美(橋本愛)もすっかり大人になって、望美に冷たい態度を取る。望美にとっては、たった一晩の出来事だったが、周囲の人々には25年という膨大な時間が流れていたのだ。
本作の根幹にあるのは「失われた時間は決して戻らない」という、ままならない現実である。
望美は事故に遭う前「友達と中学や高校に行くのが楽しみ」「大学で勉強して、アナウンサーになりたい」と夢をふくらませていた。しかし、25年経って目覚め35歳になった望美にとって、その夢を叶えることは難しい。「もし事故がなければ」と悔やみ、過去を取り戻そうと無茶さえする姿は痛々しくもある。
しかし、物語のなかで望美は少しずつ「過去に戻るのではなく、いまを生きる」ことを選ぶようになる。その象徴が、家族4人で豆腐を食べるシーンだ。事故の原因となった「豆腐」を、望美はあえて家族のために買いに行く。食卓を囲み、4人で豆腐を食べながら、望美は「私は成長するね」と笑顔で語るのだ。
この一言には、大きな意味が込められている。「子どものままの自分」ではなく「失った時間を受け入れ、大人として生きていく」ことを、望美自身が決意した。過去は取り戻せない。でも、未来は自分で選べる。望美は、そのことに少しずつ気づき始めるのだ。
「時間泥棒」に支配された現代社会
望美が目覚めた25年の間に、世界は大きく変わった。その象徴が「インターネット」だ。
「今はネットってやつができたせいで、人間みーんな変わっちゃったの」と語るのは、10歳のころに望美と友人だった広瀬結人(坂口健太郎)。
かつての友人たちは、25年前の夢とは違う道を歩んでいた。一人は非正規で会計事務所に勤め、もう一人は専業主婦に。望美は「また会おう」「何でも相談して」と言われるが、それを聞いた結人は「それは優越感に浸りたいだけ」とバッサリ切り捨てる。
確かにインターネットが普及し、人間関係は変わった。本編で結人が言っていたように、表では優しい言葉をかけながら、裏では匿名の場で他人を笑う。望美が知っている「優しさ」と現代の「優しさ」には、大きな違いが生まれていた。
望美はそんな世界も含め、『モモ』に登場する「時間泥棒」に支配された国のようだと目の前の社会を評する。「みんなせかせかしてて、全然周りを見てないし」。25年前にはなかったスマホ。誰もが画面を見つめ、SNSに時間を吸い取られる。そんな時代に突然放り込まれた望美の視点は、新鮮でありながらも、どこか本質を突いている。
時間に追われ、情報に溺れ、本当に大切なものを見失っているのは、現代を生きる私たちなのかもしれない。
「娘を守る母」と「自立したい娘」愛と執着の境界線
『35歳の少女』は、望美の物語であると同時に、母・多恵の物語でもある。
多恵は、25年間、望美の回復を信じ、毎日リハビリを続けてきた。誰よりも強く、誰よりも娘の目覚めを願い、支え続けた母だった。しかし望美が目覚めた瞬間、その「支える」という役割は終わったはずだった。
しかし多恵は望美が成長し、自立していくことを恐れ、彼女を手放すことができない。「娘が目覚めれば、幸せになれる」と信じていたが、実際にはそう簡単にはいかない。25年間、望美を守ることにすべてを捧げてきた多恵は、「守ること」をやめることができず、過干渉がエスカレートする。
監視カメラの設置、外出の制限、家の鍵を外からかける。愛が、執着へと変わっていく。しかし多恵が本当に望んでいたのは、「娘に感謝されること」ではなく、ただ単に「頑張ってきた自分を認めてもらうこと」だったのではないか。
望美は、10歳のころの方法で母と仲直りしようとする。結局、多恵が求めていたのは、「娘とのつながり」だったのかもしれない。
「娘を守ること」と「娘を縛ること」の境界線はどこにあるのか? それは、多くの親が抱えるテーマでもある。『35歳の少女』は、「時間を取り戻す」物語ではなく、「失った時間とどう向き合うか」を描いた物語だ。
望美は、25年間を失った。しかし、その時間を取り戻すことはできない。だからこそ、彼女が選んだのは「いまを生きる」ことだった。家族、友人、社会……変わってしまったものをどう受け入れ、どう歩いていくのか。それは、望美だけの話に限らない。
変わり続ける社会に生きる私たちもまた「過去に戻りたい」と願う瞬間があるだろう。しかし、本作は静かに問いかける。「時間は戻らない。でも、未来は自分で選べる」。その希望を、望美は体現しているのかもしれない。
ライター:北村有(Kitamura Yuu)
主にドラマや映画のレビュー、役者や監督インタビュー、書評コラムなどを担当するライター。可処分時間はドラマや映画鑑賞、読書に割いている。X(旧:Twitter):@yuu_uu_