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『ゲド戦記』 実は“かなり複雑”だった驚きの制作事情 『となりのトトロ』に感動した原作者が漏らした、作品への本音

  • 2025.3.7
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© 2006 Ursula K. Le Guin/Keiko Niwa/Studio Ghibli, NDHDMT

3月7日、金曜ロードショー(日本テレビ系)で『ゲド戦記』が放送される。宮崎駿の息子である宮崎吾朗の初監督・脚本作品でもある本作は、アメリカの小説家であるアーシュラ・K・ル=グウィンの原作を元にしたストーリー、1983年に宮崎駿が描いた絵物語『シュナの旅』のキャラクタービジュアル(2007年発売のWorks ofゲド戦記による)を参考に制作された。

原作小説との違い

ジブリ作品において、原作とは違う設定にすることは珍しくない。『ゲド戦記』も、いくつかの設定や展開が、原作とは異なっている。まず、原作は巻ごとに主人公が異なっているのに対し、映画ではアレンのみに変更されている。ジブリがこれまで描いてきた少年少女の冒険譚という側面を際立たせるために、アレンという若者が自身の中にある心の闇と向き合う過程を描写したと考えられる。また、これに伴って影という存在の作中での役割も微妙に異なる。原作では、影=心の闇であるのに比べて、ジブリ制作の映画では実体化しているアレン自身が心の闇に支配された影の存在であり、影は心の光であるという小説とは逆になっている。

実体化しているアレンの表情は、他のジブリ作品では見ないほど険しい。憎しみに支配されているような顔つきになっていることが多く、実体化しているアレンが心の闇に支配されているというの設定には、どこか納得できる。本作は、鬱屈している若者の旅を描くストーリーなのだ。

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© 2006 Ursula K. Le Guin/Keiko Niwa/Studio Ghibli, NDHDMT

そして、原作との大きな違いが物語の始まりにアレンが父を殺すこと。アレンが1人きりで旅立つきっかけとして描写されているこの設定は、公開当時宮崎駿と宮崎吾朗の親子関係になぞらえて言及されることもあった。しかし、この設定を提案したのは鈴木敏夫プロデューサーだということが、2006年発売の書籍「ロマンアルバム ゲド戦記」で言及されている。鈴木プロデューサーには、宮崎駿と宮崎吾朗の親子関係についてのメタファーの意図もあったのかもしれないが、宮崎吾郎自身はインタビューで、「自分が陥っていた閉塞感に抗うため、国王という社会の象徴的立場にいた父親に矛先が向いてしまった」と語っている。息子というアレンと同じ立場である宮崎吾郎は、アレンに自分を投影することなく、もっと普遍的な若者の悩みが引き起こしてしまったこととして、客観的に描写したということができるだろう。

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© 2006 Ursula K. Le Guin/Keiko Niwa/Studio Ghibli, NDHDMT

ただ、これらの改変に対して、原作者が不満を漏らしたという事実も。そもそも『ゲド戦記』は、原作者が『となりのトトロ』に感動したことをきっかけに立ち上がった企画。原作者は宮崎駿が監督を務めることを希望していた。しかし、スケジュールの都合で断念。代わりのアニメーターも降板してしまい、宮崎吾朗が監督を務めることになった。こういった制作経緯や前述した変更点、全体的な一貫性や統一性のなさなどを含めて、原作者が不満を抱えた作品であることも事実だ。

アレンの旅を通して、何を描こうとしたのか

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© 2006 Ursula K. Le Guin/Keiko Niwa/Studio Ghibli, NDHDMT

ジブリがおこなった改変を踏まえると、『ゲド戦記』が描こうとしていたのは、若者の閉塞感からくる自分の生死に対する感覚ということができるだろう。作中のセリフにあるように、自分の死に向き合えないということは、自分の生にも向き合えないということ。主に敵であるクモの考えが、これを示唆している。クモは、不老不死を追い求めているが、それは死が怖いから。死を怖がることは、今ある生に向き合えていないということだ。

アレンも旅の始まりはそうだった。自身が抱える閉塞感から父親を殺して逃げ出してしまったアレンは、結局閉塞感から逃れることができず、さらに自暴自棄に。闇に支配され、自分の生に向き合えていない状態だった。

そんなアレンを変えたのが、ハイタカとテルーだ。ハイタカは父のような愛情をアレンに注ぎ、それを受けてアレンはテルーとコミュニケーションを取る。ハイタカを狙うクモに捕われ、クモが持つ考えに支配されそうな時、アレンはテルーの行動に心を動かされ、自分の生と死に向き合えるようになる。

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© 2006 Ursula K. Le Guin/Keiko Niwa/Studio Ghibli, NDHDMT

アレンのような年頃の若者が、自分や周りの闇ばかりを見て、何もかもどうでもよくなるという精神状態は、現代においてもありがちな話だ。今、なぜ自分は生きているのか、誰に支えられているのかに目を向けることは、自分の生に向き合うことでもある。自分の生に向き合っていれば、自然と自身が持つ光に目を向けることにもなる。

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© 2006 Ursula K. Le Guin/Keiko Niwa/Studio Ghibli, NDHDMT

テルーの「1つしかない命だからこそ、精一杯生きなければならない!自分だけの命じゃないんだから」という言葉や、クモと対峙したアレンが言う「光から目を背け、闇だけを見ている!他の人が他者であることを忘れ、自分が生かされていることを忘れているんだ!」という言葉は、暗に自分の生と光に目を向けろと説いている。まさに、『ゲド戦記』が伝えたいメッセージということができるだろう。

ジブリ作品の中でも、評価が分かれる『ゲド戦記』。制作背景にさまざまな事情があれど、メッセージは唯一無二のものだ。ぜひ、この映画から何を感じ取るのか、自分の心に問いかけてほしい。



ライター:古澤椋子
ドラマや映画コラム、インタビュー、イベントレポートなどを執筆するライター。ドラマ・映画・アニメ・漫画とともに育つ。X(旧Twitter):@k_ar0202