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『御上先生』まさかのどんでん返しに視聴者、驚き…!ドラマを見事に成立させた、“実力派俳優”のたしかな演技力

  • 2025.3.25

3月23日(日)に最終回を迎えたTBSの日曜劇場『御上先生』は、日本の学園ドラマとして異色の内容だった。学校が舞台のドラマは、恋愛に悩んだり、人生の今後などの葛藤を描く青春ストーリーが多いが、『御上先生』は教室という箱庭から社会全体を見通そうとする意欲を持った作品として制作されていた。

複雑に絡み合う社会問題をミステリー仕立てで見せる

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日曜劇場『御上先生』第4話より (C)TBS

ストーリーの根幹は、舞台となる名門進学校・隣徳学園と文科省の癒着を巡るミステリーだ。文科省から教師として派遣されてきた主人公の御上(松坂桃李)は、その不正の証拠を掴むためにやってきた。その不正に国家公務員の試験会場で起きた刺殺事件と隣徳学園の女性教師・冴島(常盤貴子)の不倫による辞職の疑惑などが、複雑に絡み合っている。

御上はそれをバタフライ・エフェクトになぞらえて関連を説明するが、これはシリーズを通して見ると社会の様々な問題は複雑につながっていて、相互に関連しあっているんだということを伝えているのだとわかってくる。

本作は、一話ごとに生徒たちが社会問題に直面していく。貧困家庭のヤングケアラーのクラスメイトの問題が描かれるエピソードもあったし、金融問題、教科書検定や官僚の過重労働、日本の相対的貧困率が上昇していることなど、様々な問題に生徒たちは直面していく。そうした社会の諸問題を学校という場所を通して考えさせる内容になっている。どうして、生徒の1人は貧困に陥っているのか、支援する仕組みが社会に欠けており、見えないところで苦しんでいる人が大勢いることを示唆する内容となっている。

そういった諸問題の根幹は、社会を構成する人々を養成する教育のあり方や仕組みが古いままだからという問題意識が本作の根底にある。本作のキャッチコピーは「辞令、日本教育の破壊を俺に命ずる」だったが、まさに教育システムを壊して新しく作り変えないといけないんだという切実な危機感によって作られた作品と言える。

ただ、その破壊は主人公の御上だけの力で達成されるわけではなく、生徒たち1人ひとりが自発的に問題意識を持って、丁寧に議論して変えていく様が描かれたのが、本作の好印象な部分だ。若い人々に社会は自分たちの力で変えられることを伝えようとしているのだろう。

報道の加害性に切り込む内容

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日曜劇場『御上先生』第4話より (C)TBS

本作は教育問題と並んで、報道の問題にも鋭く切り込む内容だった。御上のクラスの1人、神崎(奥平大兼)は新聞部の部長で、教師の不倫をスクープして辞職に追い込んだことがある。そんな彼が、本当の報道のあり方に気が付く過程も本作の物語の大きな柱となっている。

神崎のスクープで辞職となった冴島には娘がおり、その娘が国家公務員試験で刺殺事件を起こしていた。そのことで神崎は自分の記事によって人が殺された可能性を考え始め、事件の真相を探るようになっていく。そして、御上に導かれるように学校の不正がその裏には深く関わっていることを知る。

さらには、自分のクラスメイトにも不正入学者がいることを知ってしまう。事情を聞けば、それは本人の意思ではなく、政治家の父親が勝手に学校側に頼み込んだものだった。この不正を暴くことができれば、教育システムを変えることができるかもしれない、しかし、一人のクラスメイトを犠牲にすることになる。神崎はその間で報道とはどうあるべきかを真剣に考え、最終的には不正を暴く記事を書くことになる。

しかし、そこには社会悪を暴いて正義を成した、という達成感はなく、むしろ罪悪感が勝っているのが印象的だ「自己嫌悪になりながら記事を書いた」という神崎のセリフがそれを象徴している。

報道は社会を正すために必要なものだ。だが、それによって犠牲になる人がいることを忘れてはいけないとこのドラマは描いた。正しいことだったとしても、報道には加害性があるのだ。第一話の神崎は、事実を報じて何が悪いんだと不倫のスクープに対して自己弁護していたが、最終話では自分の記事で人生を破壊される人がいることを自覚し、その加害性を引き受けることが報道姿勢のあるべき姿だと気が付くまでに成長していた。

考え続けることが「考える力」

教育問題も報道問題も、簡単には答えが出せない複雑な問題だ。このドラマは安易に結論を出すことを避け、視聴者に考えを促すような作りになっていた。

最終話で御上は「考える力」とは何かと生徒たちに問いかけた。論理的思考という答えが返ってきたが、御上は「答えが出ない問題を投げ出さずに考え続ける力」そのものが「考える力」だという。社会の問題は簡単には解決しない、だから安易な答えに飛びつくのではなく、考え続けることが大切だということを最終話で描いていた。

その言葉通りに御上もまた「教育とは何か」をこれからも考え続けるという形で幕を閉じた。そういう姿勢を視聴者にも持ってほしかったのだろう。

ミステリーを支えた岡田将生の演技力

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日曜劇場『御上先生』第4話より (C)TBS

本作はミステリー作品でもあった。その中で大きな謎の一つが、学校に謎めいたFAXを送りつけてくる「倭建命(ヤマトタケルノミコト)」を名乗る人物は誰なのかだった。

最終話直前にその正体は岡田将生演じる槙野であったことが明かされた。御上と対立関係にあると思われていた彼が、実は協力者だったというどんでん返しで視聴者を驚かせた。

このミステリーを支えたのが岡田将生の芝居だ。最初は出世欲に駆られた、御上とは対照的な官僚として登場した槙野。その嫌味な雰囲気と冷たい表情で巧みに心ない官僚像を体現していたが、中盤では、部下を過労で倒れさせてしまうことで心を痛めるなど、人間味ある一面を見せていく。そして、倭建命であると明かした時には、これまでの冷たい印象とは打って変わってにこやかなキャラクターとなっていった。

岡田将生のこの演じ分けがしっかりとしていなければ、本作はミステリーとして成立しなかっただろう。作中では文科省の上司を欺いた演技力は、視聴者に対しても発揮され、本作のミステリーパートを盛り上げることになった。そんな岡田将生の様々な魅力を堪能できる作品としても、魅力的なドラマだった。

TBS系 日曜劇場『御上先生』 



ライター:杉本穂高
映画ライター。実写とアニメーションを横断する映画批評『映像表現革命時代の映画論』著者。様々なウェブ媒体で、映画とアニメーションについて取材・執筆を行う。X(旧Twitter):@Hotakasugi