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「歴代最強だと思う“ジャイアンツ”の二塁手」ランキング!3位「土井正三」、2位「篠塚和典」を抑えた1位は?【プロ野球ファン138人に聞いた】

  • 2024.5.3
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出典:PIXTA

「野球の華」といわれるポジションは遊撃手を指すことが一般的ですが、同等の守備力が求められるのが二塁手です。

一二塁間や二遊間に飛ぶ打球の対処から一塁へのベースカバー、牽制や敵盗塁時の二塁ベース入り、外野手からの捕球など野手の中でもトップクラスに仕事量が多いポジションです。俊敏性をはじめ、短い距離での正確な送球が求められるため、比較的小回りの利く小柄な選手が起用される傾向にあります。打撃でもつなぎのバッティングや犠打などの小技が求められる場面が多いといえるでしょう。

球界の盟主・読売ジャイアンツもこれまで名二塁手を多く輩出してきたチーム。各時代で不動の正二塁手が存在しました。それぞれの選手で持ち味は違いますが、「好守巧打」という点で共通しています。

そんな名プレーヤーが多い読売ジャイアンツの二塁手ですが、今回TRILLスポーツでは全国のプロ野球ファン138人に「歴代最強だと思う読売ジャイアンツの二塁手』のアンケートを実施。その結果を本記事にまとめました。なお、"最強"の定義は記録や数字ではなく、投票に委ねていることをお含みおきください。

それでは、トップ3に見事ランクインした選手達を早速ご紹介します。

【第3位】土井正三(9票)

第3位にランクインしたのは土井正三選手です。

読売ジャイアンツの黄金期を支えた「V9戦士」の一人で、堅守とシーズン最多犠打5回の小技でチームに貢献しました。

1965年に立教大学からジャイアンツへ入団。V9「元年」にあたる1年目は遊撃手として105試合に出場します。2年目から二塁手にコンバートされると、5本塁打39打点14盗塁をマーク。規定打席にも到達し、この年から正二塁手として長くチームを支えます。

土井選手を語るうえで外せない試合が1969年の日本シリーズで魅せた「神走塁」。阪急ブレーブス(現オリックス・バファローズ)との第4戦で、4回裏に1塁走者が挟まれたところで3塁走者の土井選手が本塁に突入します。結果はセーフでしたが、際どいタイミングだったこともあって乱闘騒ぎにまで発展します。しかし、翌日の新聞には土井選手の足が相手捕手のブロックを巧みにかわして本塁を踏んでいる写真が掲載され、世間からファインプレーと称賛されました。

V9の間、シーズン100試合以上の出場を続けたのはチームに3人しかいませんが、そのうちの一人が土井選手。172cm62kgと小柄ではあったものの、体力は高い選手です。同じ内野を守る長嶋茂雄氏や王貞治氏に怠慢な守備があった際には容赦なく叱責することもあり、厳しい姿勢で野球に取り組む姿が印象的でした。

引退後はオリックス・ブルーウェーブの監督などを歴任。あのイチロー選手の獲得を熱望した人物としても知られています。

華麗な守備で、いぶし銀の2番として活躍した。(57歳・男性)
巨人のV9に打撃でも守備でも貢献してくれた。(56歳・男性)
V9を支えた名二塁手です。守備だけでなく、ONにつなぐ打撃もみごとでした。走塁も見事で、日本シリーズでの捕手のブロックをかいくぐってのホームインは伝説級です。(65歳・男性)
鉄壁の守備と的確な送りバントで巨人の9連覇を支えた。(62歳・男性)

【第2位】篠塚和典(55票)

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写真:SANKEI

3位とは40票以上の大差をつけて、篠塚和典選手が第2位に入りました。

176cm68kgと細身ながら、「芸術的」といわれるバットコントロールと好守でファンを沸かせた名セカンドです。

千葉県の名門・銚子商業高校から1975年にドラフト1位で読売ジャイアンツに入団。当時監督1年目の長嶋茂雄氏からも一目置かれる存在でしたが、初期の頃はプロの壁に苦しみます。しかし、5年目から出場機会を増やすと、翌年の1981年には自己最高となる打率.357のハイアベレージをマークしました。

シーズン打率3割は7回を記録。通算打率も.304とバットコントロールに非常に優れた打者でした。首位打者を2回獲得した実績もあります。現役時代は「わざと詰まらせてポテンヒットを打っていた」という打席もあり、狙って打つことが難しいポテンヒットを計算して打てる能力の高さがありました。インサイド打ちも上手く、打率を上げるためにはインサイドに強くなる必要性を謳っています。

ゴールデングラブ賞を4回獲得した守備では小さなグローブを用い、ネットではなく、土手寄りの人差し指の付け付近で捕球しています。守備につく際は肘から先を脱力し、打球を自分の体に引き寄せてから送球動作にうつることを意識しており、この職人技がファンの目にしなやかな動きとして映りました。

独特の理論をもとに用いられたバットやグローブは「篠塚モデル」として多くの選手に影響を与え、現在もなお支持されています。

シュアーなバッティングで生涯打率3割越えです。守備もゴールデングラブ賞4回の職人です。(61歳・男性)
華麗な守備はもちろんですが、ヤクルトのスーパールーキー伊藤智仁から打ったサヨナラ本塁打は印象的です(53歳・男性)
シーズン打率3割以上を5年連続達成し、7回記録していて、通算打率も.304と3割を超えている攻撃力をもち、守備も華麗で失策数も少なかったので。(51歳・男性)
守備もうまいし、何より美しいお手本のような流し打ちは唯一無二だから。(53歳・男性)

【第1位】仁志敏久(56票)

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写真:SANKEI

篠塚選手との大激戦をわずか1票差で制して第1位を獲得したのは仁志敏久選手です。

171cmと上背はないものの、パワフルな打撃と好守備で平成期のジャイアンツを牽引。「恐怖の一番打者」として他球団から恐れられる存在でした。

常総学院高校、早稲田大学、日本生命と野球のエリート街道を歩んだ後、1995年に読売ジャイアンツへ入団。それまで原辰徳氏が付けていた背番号「8」を受け継ぎます。1年目は三塁手としての出場が多かったものの、打率.270、7本塁打、24打点、17盗塁の成績を残し、いきなり新人王を獲得する活躍を見せました。

ゴールデングラブ賞を4度獲得している守備の名手ですが、当初は守備に難がある選手でした。しかし、本アンケートで3位にもランクインしている土井正三コーチからの熱血指導を受けたことで守備力が大幅に向上。特にポジショニングはピカイチで、「何でそんなところに守っているの?」といわれるように打者や状況によって立ち位置を大胆に変える攻めの守備が光りました。2年目からは二塁手を務め、以降長きにわたってジャイアンツ不動のレギュラーとして活躍します。

打撃においてはほとんどのシーズンで1番打者を任され、リードオフマンとして活躍。愛らしい容姿とは裏腹に気持ちの強いタイプで、バッティングでも思い切りよく引っ張るスイングが目立ちました。二塁手を務める選手としては珍しくパワーも抜群で、20本塁打以上を3回記録。2004年には28本のホームランを放っています。

ファンに愛された選手で、打席に入った際に外野スタンドのファンが叫ぶ「としひさー!」のコールは名物応援でした。

派手なプレーはあまりないが確実性はまさにプロの技(24歳・男性)
Shureな打撃は巨人黄金期を支えた重要な1人であるが、守備の際のポジションとりのうまさは過去最高。彼の守る位置にボールが吸い込まれていくような不思議な感覚に陥った。(33歳・男性)
近年ではすっかり固定化がなかなかできない巨人のセカンドにおいてゴールデングラブ賞を4年連続受賞していたから(29歳・男性)
守備もバッティングも歴代最高だと思うから。(35歳・男性)
小柄な体格を感じさせない守備力と打撃の両方を兼ね備えていたから(39歳・女性)

結果はこちら

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TRILL作成
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TRILL作成

1位争いは仁志選手と篠塚選手の完全一騎打ち。平成と昭和にそれぞれジャイアンツの正二塁手を掴んだ二人が競り合いましたが、最終的にはわずか1票差で仁志選手に軍配。「1番セカンド」として攻守にチームを牽引し、不動のレギュラーとして活躍しました。


調査方法:インターネットサービスによる任意回答(記述式)
調査対象:全国の10代~70代
有効回答数:138

※記載している回答は原文ママ

※2024年4月24日時点での情報です。記事内の画像はイメージです。

※敬称は「選手」で統一しています。

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