1. トップ
  2. 【イチロー初告白】「これで結果が出ちゃダメだろ」シーズン200安打、3年連続首位打者、日本一…無双状態のオリックス時代に感じた“違和感の正体”

【イチロー初告白】「これで結果が出ちゃダメだろ」シーズン200安打、3年連続首位打者、日本一…無双状態のオリックス時代に感じた“違和感の正体”

  • 2024.2.28
  • 18619 views

Amazon Musicなどのポッドキャストサービスで2023年11月より配信されている『ICHIRO The 8 Games/イチローがイチローを語る』Apple Podcast Rankingにおける視聴ランキングで1位(2023年12月7日付)になるなど、引退してもなお野球界のレジェンド・イチローさんの絶大な人気と影響力を裏付けるものとなっています。

この番組では、ギネス世界記録でもある日米通算4367安打など、数々の偉業を成し遂げてきたイチローさんが「時間が経ったからこそ話せることがある」「たとえば、テレビ、雑誌のインタビューでは表現できないことが、できるかもしれない」と、自らの野球人生を、自らの言葉で振り返っています。

他の媒体では決して聞くことができない、イチローさん本人から語られる珠玉のエピソードの数々――。TRILLスポーツでは、その一部をご紹介します(以下、一部ネタバレを含みます)。

今回は『Game 3 日本での閉塞感、そしてメジャーリーグデビューへ:2001-2003』

順風満帆に見えたイチロー選手が抱えた違和感、そして後の「ICHIRO」を生むことになる、キッカケを話します。

■ 「無双状態」のイチローが感じた“違和感の正体”

undefined
提供:産経新聞

プロ3年目の1994年――。

NPB史上初のシーズン200安打を達成し、一躍“時の人”となったイチロー選手。さらに翌1995年にはチームをリーグ優勝へと導き、2年連続の首位打者だけでなく打点王、盗塁王などの「打撃五冠」を達成します。翌1996年は3年連続首位打者に加え、前年成し遂げられなかった地元・神戸での胴上げ、さらには日本一にも輝きました。イチロー選手自身も3年連続でパ・リーグMVPに輝くなど、日本球界を代表する打者としての地位を確固たるものとしていました。

傍から見れば、「順風満帆」以外の何物でもありません。ただ、イチロー選手自身はこの頃からある違和感を抱くようになったと言います。

「結果と感触が合ってこない」

イチローさん自身は、当時をそう振り返ります。自分の中では「確固たる感触」を感じることができないのに、ヒットは生まれ、数字も残る。

「これで結果が出ちゃダメだろ……」

リーグ連覇、日本一、3年連続の首位打者&MVP――。プロ野球選手として頂点を極めたイチロー選手は、秘かにそんな思いを抱えていました。

■ 日米野球で初めて意識した、メジャーの舞台

1996年、秋。そんなイチロー選手に、のちの野球人生に大きく影響する“キッカケ”が訪れます。それが、日米野球。

NPBとMLBのオールスター軍団が相まみえる夢の祭典。この時来日したメンバーは、前年アメリカで鮮烈デビューを果たした野茂英雄投手や、その相棒、マイク・ピアザ捕手、バリー・ボンズ選手、ペドロ・マルティネス投手、アレックス・ロドリゲス選手などMLBの歴史に名を刻むそうそうたるメンバーでした。

中でも日本でもフィーバーを起こしていた野茂投手とイチロー選手との対戦は、日本中の注目の的でした。

そんな野茂投手、さらにはメジャー最強投手のひとりだったペドロ・マルティネス投手といった超一流投手との対決。

さらには、怪物ぞろいのメジャー打線を“生”で見たイチロー選手が感じたモノとは――。

■ 掟破り?イチロー選手、日本時代のメジャー対策

1996年の日米野球で初めて“メジャーリーグ”の存在を意識したイチロー選手。その思いは年々ふくらみ、いつしか現実的に「メジャーでプレーしたい」という渇望へと変わります。

イチロー選手は2001年にメジャーリーグのシアトル・マリナーズへ移籍を果たしますが、その“準備”は1999年頃から行っていたといいます。

オープン戦、さらにはレギュラーシーズンの真っ最中でも、イチロー選手が“意識”して行っていた驚愕のメジャーリーグ対策とは一体何だったのでしょうか――。

■ 初めて明かす、メジャー移籍の舞台裏

undefined
提供:産経新聞

プロ9年目の2000年。イチロー選手は自身のNPB史上最長記録をさらに更新する7年連続首位打者に輝き、“満を持して”メジャー移籍を表明します。この年から導入されたポスティングシステムで、最高入札額を投じたのはシアトル・マリナーズでした。

当時はすでに多くの日本人選手が海を渡っていましたが「日本人野手」のメジャー移籍はイチロー選手が史上初めて。日本での実績がどう評価されるのか、手探りの状況でイチロー選手は代理人にこんな要求をします。

「たとえ、どんな金額でも契約してほしい」
「そのうえで、(当時マリナーズのクローザーを務めていた)佐々木(主浩)さんより年俸
が上になるのはやめてほしい」
「野手の中で最高年俸、みたいなことも避けてほしい」

年俸額が選手としての評価だとすれば、「高い年俸を要求する」ことはあっても「上げ過ぎないでほしい」と求めるのは異例のことです。

果たして、イチロー選手が代理人に伝えた真意とは一体?

その他、イチロー選手がメジャーデビュー試合で受けた衝撃、1年目に犯した失敗、その後ライバルとなる投手とのエピソードなど、珠玉の初出エピソードが満載の『ICHIRO The 8 Games/イチローがイチローを語る』。ぜひ、チェックしてみてください!


文・花田雪(Kiyomu Hanada)

※本記事は動画の権利者に許諾を得た上で記事の制作・公開を行っています。

の記事をもっとみる