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11年越しに辿り着いた『オネーギン』。斎藤友佳理に問う劇場なき時代のバレエとは?

  • 2026.11.6
Shinji Hosono

東京バレエ団の団長としてバレエ団を率い、長年日本のバレエ界の第一線で活躍する斎藤友佳理さん。2015年の芸術監督就任以来、目標としてきた作品『オネーギン』の上演が間近に控えるなか、作品に掛ける思い、指導者としての矜持、そして都内で休館が相次いでいる“劇場問題”についても率直な思いを聞きました。

斎藤友佳理さん

Nobuhiko Hikiji

さいとうゆかり〇神奈川県横浜市出身。母のもとで6歳よりバレエを始め、ロシアに短期留学を繰り返し、M.セミョーノワやE.マクシーモワに師事。1987年、東京バレエ団入団。1992年ロシア公演では『ラ・シルフィード』をボリショイ劇場、マリインスキー劇場などで踊り、”日本のマリー・タリオーニ”との賛辞を受ける。2010年、『オネーギン』バレエ団初演でタチヤーナを演じ、第27回服部智恵子賞、東京新聞の舞踊芸術賞、横浜文化賞を受賞。2012年、紫綬褒章を受章。2015年8月に東京バレエ団芸術監督に、2024年8月から団長に就任。

『オネーギン』の美しさと難しさ

『オネーギン』は、ロシアの文豪プーシキンの同名小説が原作です。東京バレエ団とも深い所縁をもつ振付家のジョン・クランコによって傑作バレエとなったのが1965年のことで、クランコが芸術監督を務めていたドイツのシュツットガルト・バレエ団で初演されました。その後、世界各地のカンパニーで上演されてきた名作として知られます。オネーギンとタチヤーナという男女ふたりを中心に、愛に揺れる心の移ろいがドラマチックに描かれています。

斎藤さんにとって、この作品は長年、特別な思いを寄せてきたものでした。2015年に東京バレエ団の芸術監督に就任した当時から、「目標の作品」と公言。それから11年以上の時が経った今回の公演には、作品への愛着のみならず、指導者としてダンサーたちを育ててきた時間も重なっています。

オネーギン役のプリンシパル、柄本弾さん。斎藤さんやファンからの信頼も厚く、カンパニーを率いる存在。 Shinji Hosono

──東京バレエ団としては14年ぶり、そして斎藤さんが芸術監督に就任されてから12年目にして、ついに『オネーギン』の上演が実現します。同じくジョン・クランコが作った『ロミオとジュリエット』の好演(2022年初演、2024年再演)もありましたが、今作を待ち焦がれたファンも多いと思います。なぜこのタイミングだったのでしょうか。

「この作品は、単にテクニックがあるから、あるいは『この役に合っているから』という理由だけで安易にできるものではないんです。ひとりの女性の心の揺れ動き、理性を保ちながらも強く生き抜く感情、そして二度と取り戻すことのできない『過ぎ去った時間』への切なさ──そうした人間の複雑な心理を表現しなければなりません。『ロミオとジュリエット』は多くの人がストーリーを知っていますし、悲劇的な愛の結末というのもある意味わかりやすい。しかし『オネーギン』における言葉を超えた深みを表すには、演じる側の成熟が不可欠なのです」

──では物理的、権利的な障害があって、これだけの時が経ったというわけではないんですね。

「はい、踊ることができるダンサーたちの旬を待っていた。それが時間の答えでしょうか。柄本弾(オネーギン役)にしても沖香菜子(タチヤーナ役)にしても、役を演じるに相応しいダンサーになったと思います」

タチヤーナ役の沖香菜子さん、オリガ役の工桃子さん。ある日のリハーサルより。 Shoko Matsuhashi

──『オネーギン』はロシアでは誰もが知る名作で、舞台化や映像化も数多い作品です。そんな作品をバレエで味わう意義とは? ロシア文学に馴染みのない人はどんなふうに楽しむことができるでしょうか。

「プーシキンの原作は、一定の音数で表す美しい韻文で書かれており、ロシア語で読むと、言葉そのものがもつ心地よいリズムと流れるような叙情性をより強く感じることができます。ジョン・クランコが生み出した振りは、その世界観を言葉以上に雄弁に語りかけてくるんです。私は『オネーギン』という作品を楽しむ最適な手段がバレエなのではないかと思っているんですね。クランコの振付は、驚くほど無駄がなく、人間の感情をストレートかつ繊細に表現しています。チャイコフスキーの同名オペラとは異なるオペラや交響曲から絶妙に組み合わされたシュトルツェの編曲も見事ですよ。バレエという手段の先にあるプーシキンの世界を感じていただけたら嬉しいです」

タチヤーナをめぐるダンサーとしての運命

「じつは私自身、ダンサーとして『オネーギン』のタチヤーナを踊るまでには、最初に話があってから約20年という長い歳月を要したんです。ですから、芸術監督に就任してから12年目で上演に辿り着いたということが、遅すぎたとは思っていません」

斎藤さんが初めてタチヤーナ役にトライする機会がありながら、ギリギリのところで実現しなかったという経験は、世界の著名なバレエダンサーが集結する「世界バレエフェス」の1991年の公演でのことでした。『オネーギン』の一場面を踊る予定でしたが、最終的に著作権者の許可が下りず、実現には至らなかったのです。

──入念なリハーサルを終え、ヘアメイクも済ませたうえでの出来事だったと聞きました。苦い経験だったのではないでしょうか?

「いま振り返ると、当時踊れなかったことにも意味があったと感じています。20代前半の私には、役の気持ちを十分に理解できていなかったかもしれません。結果的にはそれから長い時間が経ち、キャリアも終盤に差し掛かったころに踊ったからこそわかることがありました。ダンサーにとってはどんな経験も無駄にはならない。それは団員たちにも伝えていることです」

過去の公演より、タチヤーナを踊る斎藤さん。オネーギン役は現在バレエ団の指導者を務める木村和夫さん。 Kiyonori Hasegawa

寄り添って理解し、愛するということ

斎藤さんは、いま国内で活躍するバレエの指導者、監督として、本場ロシアともっとも関係の深い存在であると言っても過言ではないかもしれません。現役のダンサー時代からたびたびロシアに渡り、多くのダンサーや指導者と交流して学びを深めてきました。しかしバレエ教育を取り巻く環境においては、日本とロシアでの大きな違いがあると言えるでしょう。日本国内では指導の際に統一した資格などを必要としませんが、ロシアでは国家資格が機能しています。斎藤さんは東京バレエ団でプリンシパルとして活躍していた時期に、指導者になるのであればこの資格を取得すべきであると奮起。2004年から2009年までの5年間、公演スケジュールを調整しながら、モスクワのロシア国立舞踊大学院に通う日々を送りました。

木村和夫さんとともに『オネーギン』の舞台に立つ斎藤さん。大変な好評を博し、当たり役のひとつとなった。 Kiyonori Hasegawa

「現役の時代から、ほかのダンサーにこうしてみたら?とアドバイスをしていた方だと思います(笑)。指導者になったのは自然なことだったと思います」

──多くのダンサーと触れ合うなかで、指導者としてもっとも意識していることはなんでしょうか。

「そうですね……。(しばらく考えて)団員みんなを愛していますし、そういられるように努力しています。ダンサーの個性は本当にさまざま。みんな、自分のもつ力をすべて発揮できているわけではありません。どの子もとてつもないポテンシャルを秘めているんです。指導者の役割は、本人もまだ気づいていない力を見つけ、それを舞台で生かせるように引き出していくことだと考えています。短所を直す努力より、長所を伸ばしていくことの方がより大切。それにバレエの面だけでなく、求められればプライベートまで含めて、一人一人に寄り添うこと。みんな悩みや生活の環境も多様ですから、全員の事情を理解してとことん話を聞きますね。みんな本当にいろんなことを相談してくるんですよ。でもそんな悩みも含めてみんなを愛する。それはずっと意識してきました」

オネーギンのリハーサルより、宮川新大さんと秋山瑛さん。斎藤さんは細かな振りから、キャラクターの心情、作品の意味まで、団員たちとじっくり対話を重ねていく。 Shoko Matsuhashi

また、「よいバレエのためには、バレエだけを学んでいればいいというわけではありません」とも。

「作品を深く理解するには、音楽や文学、歴史など、幅広い知識や経験が役立ちます。身体の技術を磨くことと、人間としての感性を育てること。その両方が、舞台上での表現につながります。ダンサーの中には学業と両立している子もいますが、スケジュールが厳しくなってくると学校を辞めた方がいいのではないかと相談があることもあります。でも絶対に反対します。バレエ団のスケジュールを調整するから学校は卒業しなさいと。いつかの私がそうだったように、学ぶことは何にも代え難い経験となります。その専攻がバレエとは関係のないことだったとしてもです。必ずバレエにもよい影響を与えますから」

劇場がなければ、踊れない

作品をつくり、ダンサーを育てる。そんな普遍のバレエ団運営に取り組む一方で、現在舞台芸術の世界で大きな課題となっているのが、上演するための劇場が不足している事態です。国立劇場の建て替え問題も明るい糸口が見えないまま長い時間が経ち、ミュージカルの殿堂である帝国劇場も建て替えのため休館。舞台芸術の主催者たちは試行錯誤をしながら上演劇場を模索するという状況が続いています。とりわけ、東京・上野の東京文化会館の大規模改修に伴う休館は、東京バレエ団のみならず、バレエやオペラの興行に大きな影響を与えています。さらに都内でバレエが上演できる劇場のひとつであるBunkamuraオーチャードホールは、現在日曜日と祝日のみ公演可能という改修による限定的なスケジュールで運営されていますが、2027年の1月からは完全に休館予定。対策が待ったなしというのが首都圏の興行を取り巻く現実です。

特にバレエやオペラの公演には、舞台の間口や奥行き、袖の広さ、装置を吊るための設備など、作品によってさまざまな条件が必要になります。全幕の古典作品といった舞台装置を伴う大規模な作品ほど、上演できる劇場は限られるため、商業的な公演を行うバレエ団は、上演できる劇場がないという事態に立ち向かっているのです。

2026年5月に上演された『かぐや姫』。東京文化会館休館前最後の公演となった。 Shoko Matsuhashi

この事態の要因には、さまざまな問題が複雑に絡み合っていますが、多くの劇場が同時代に建てられたもので、改修や建て替えが同時期に発生していること、そういったスケジュールや実態を管理・調整すべき国や自治体の部門が機能していなかったことなどがおもな要因として議論されています。

「東京文化会館の休館は、公演計画を考えるうえで大きな影響を与えています。劇場を確保できなければ、どれほど上演したい作品があっても、実現は難しくなります。公演の回数が限られれば、ダンサーが舞台に立つ機会や収入にも影響します。東京バレエ団は十数年前から、この事態に備えて計画を練り関係各所と協議をしてきました。しかし現実はやはり厳しいものがあり、いまもあらゆる可能性を探りながら運営しています」

──現在、文化庁を中心に、こういった問題の解決が急がれていますが、バレエ団として、文化庁と協議されることなどはあるのでしょうか。

「私たちは当事者として現状を訴え、なんとか事態が早期に解決するよう働きかけていますが、国から下りる予算は、文化庁が決定しているわけではありませんから、文化庁の力だけではどうにもならないというのが実態です。ヨーロッパ諸国などに比べると、日本における文化芸術への支援や予算、そして社会的な位置づけははるかに低いものと言わざるを得ません。文化庁の方々も現場を支えようと努力してくださっていますが、国全体の根本的な意識改革が必要です。文化や芸術は単なる娯楽ではなく、人々の心を豊かにし、次世代の想像力を育むための不可欠な財産ですから」

『オネーギン』のリハーサルから秋山瑛さんと樋口祐輝さん。団員たちはいかなる状況でも努力を続け、より上質なバレエを届けるためにひたむきに日々を積み重ねる。 Shoko Matsuhashi

現在、東京バレエ団では、東京文化会館に代わって、新国立劇場での上演を調整し、すでにいくつかの公演を実施しています。

「しかしバレエだけでなく多くの団体がこの劇場の使用を希望するわけで、スケジュールや使用条件にも、さまざまな調整が必要です。先日はオペラの『東京二期会』と協力して、バレエを上演している舞台の裏でオペラのセットを組み、バレエ終演後にはすぐオペラが上演できるステージに切り替えるなど、当事者同士で協力しあって工夫を重ね、上演に漕ぎ着けるということもありました。こうなってしまった以上、嘆いていてもなにも状況は変わりません。私たちはとにかくできる努力は全てやって、公演数を確保し、ダンサーたちの生活を守る。いまできることをやるしかないという現状なんです」

ひとつの団体だけでは解決できない問題だからこそ、現場の声を行政や劇場管理者へ届け、ともに仕組みをつくっていくことが求められているのです。

『オネーギン』のその先に見えるもの

──悲願だった『オネーギン』の上演を達成し、斎藤さんは次に何を目指しているのでしょうか。

「今回『オネーギン』に挑むことで、ダンサーたちは間違いなく大きな成長を遂げます。この作品を経験する前と後では、表現者としての深みが変わるはずなんです。今回はミラノ・スカラ座の衣装やセットをお借りして上演しますので、前回とはまた違った、新しい世界をお見せできることを期待しています」

インタビュー中は『オネーギン』という目標を目の前にして、充実感が見えた斎藤さん。自身が退任したあとのバレエ団まで見据えて組織を考える様子に、新たな時代の到来がそう遠くないことを予期させた。 Nobuhiko Hikiji

「私自身の目標は、次の世代へとバトンをしっかりとつないでいくこと。素晴らしい才能をもったダンサーたちが、日本でも海外でも誇りをもって踊り続けられる環境を作らなければなりません。芸術監督に就任して以降、作品作りだけではなく、バレエ団の運営やダンサーたちの待遇など、いろいろなことを変えてきましたし、次の世代でも充実したよりよいバレエ団であるよう、務めを果たさねばと思っています。そして新しく生まれ変わった東京文化会館の舞台で、さらに深みを増した『オネーギン』を再び皆さまにお見せする──。そうなれば幸せですね」

東京バレエ団はかねてから地方公演にも力を入れてきました。東京のみならず地方の劇場でも大入りが出るなど、バレエを待っているファンは全国各地にいることがわかります。さらにカンパニーの使命のひとつである海外公演も控えています。取り巻く環境が厳しくても、歩みが止まることはありません。作品と向き合い、人を育て、できることは全部やる。斎藤さんが見据えているのは、今回の公演の成功だけではなく、その先に続いていく東京バレエ団の未来でした。

今後の東京バレエ団のおもな公演はこちら

オネーギン 全3幕

<あらすじ>少女タチヤーナは青年オネーギンに恋し、思いを伝えるが冷酷に拒絶される。オネーギンはレンスキーという恋人をもつオリガに言い寄る。それを知ったレンスキーは激昂。ふたりは決闘をすることに──。歳月を経て洗練された貴婦人となったタチヤーナを見て、オネーギンはかつての出来事を深く後悔するのだった。

オネーギンには柄本弾。相手役のタチヤーナは沖香菜子が務める。プリンシパルとしての経験も豊富な盤石のコンビ。宮川新大が演じるオネーギンには秋山瑛のタチヤーナ。テクニックのみならず、感情表現も豊かで、演技力の高い2人に期待が高まる。重要なキャラクター、オリガには、主演経験も豊富な足立真里亜、抜擢が続く中島映理子、トライアウトを経て選ばれた工桃子が挑む。

Shinji Hosono

振付/ジョン・クランコ
音楽/ピョートル・チャイコフスキー
編曲・オーケストレーション/クルト=ハインツ・シュトルツェ

日程/
11月6日(金)19時開演
オネーギン:柄本弾、タチヤーナ:沖香菜子、レンスキー:大塚卓、オリガ:工桃子、グレーミン公爵:安村圭太

11月7日(土)13時開演
オネーギン:宮川新大、タチヤーナ:秋山瑛、レンスキー:池本祥真、オリガ:足立真里亜、グレーミン公爵:樋口祐輝

11月7日(土)18時30分開演
オネーギン:柄本弾、タチヤーナ:沖香菜子、レンスキー:生方隆之介、オリガ:中島映理子、グレーミン公爵:安村圭太

11月8日(日)13時開演
オネーギン:宮川新大、タチヤーナ:秋山瑛、レンスキー:池本祥真、オリガ:足立真里亜、グレーミン公爵:樋口祐輝

会場/新国立劇場 オペラパレス
料金/S席18,000円ほか

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第37次海外公演 イタリア・トリノ

日程/12月10日(木)~12月13日(日)
会場/トリノ王立歌劇場
予定される演目/
『かぐや姫』よりプロローグと第1幕
『ラ・バヤデール』第2幕より“影の王国”
『春の祭典』

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Shoko Matsuhashi

第38次海外公演 フランス

日程/2027年5月26日(水)~5月29日(土)
会場/パリ・オペラ座ガルニエ宮(他都市公演調整中)
予定される演目/
『かぐや姫』全3幕─プロローグ付き─(演出・振付・空間デザイン:金森穣)

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取材・文=八木あきほ

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