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「うちの子、学校で無理してない?」 親が中高生にそっと渡したい『放課後死体クラブ(仮題)』の味わい

  • 2026.11.4
cocreco写真:アフロ

子どもが学校で疲れた顔をしている。「何かあった?」と聞いても「別に……」としか返ってこない。そんな思春期特有の人間関係に悩む子どもたちへ、どんな言葉をかければよいのでしょうか。

出版ジャーナリストの飯田一史さんが「学校がしんどい中高生にそっと手渡したい」と語るのが、第66回講談社児童文学新人賞受賞作『放課後死体クラブ(仮題)』です。

本記事では、飯田さんの知見に基づき、本作が子どもたちの心を救う理由を深掘りします。【※(仮題)までが正式タイトル】

飯田一史(いいだ いちし)

出版ジャーナリスト・ライター。中央大学法学部法律学科卒。グロービス経営大学院経営研究科経営専攻修了(MBA)。出版社にてカルチャー誌や小説の編集に携わったのち、独立。国内外の出版産業、読書、子どもの本、マンガ、ウェブカルチャー等について取材、調査、執筆している。

思春期の息苦しさと解放を描く『放課後死体クラブ(仮題)』

カバーイラストとタイトルを見て「ホラーなのかな?」と思ったら、違った。読後感のいい作品だ。読んでいると、思春期に経験したさまざまな出来事がリフレインする。

中学生時代の、他人の目を気にしながらクラスのなかでの立ち位置を確保し、気をつかい、探りあいながら友だちづきあいをしていくなかで抱いた徒労感。

「こんな趣味の話ができる人なんか、近くにいるはずないよな」と諦めていたのに「いた」とわかったときの高揚感。

緊張で吐きそうになるくらいの想いで勇気をもって踏み込んでみて、初めて得られた関係性の大きな変化。

……等々。

「どこかに自分のことをわかってくれる人がいないかな」「なんでも話せる相手がいたらいいのに」と感じている中高生なら、この本は間違いなく刺さるだろう。

どこかしんどそうにしている中高生が身近にいる大人が、「大丈夫?」とか「何かあった?」と聞いても「別に」「大丈夫」しか返ってこないときに、目に入る場所にそっと置いておきたい一冊でもある。

『放課後死体クラブ(仮題)』

作:ひなたきな

第66回(2025年度)講談社児童文学新人賞受賞作

〈あらすじ〉過去のトラウマから本音を隠して過ごすひよりは、周囲を気にせず堂々と振る舞うクラスメイトの由木(ゆき)に惹かれていく。二人は、共通の趣味であるホラー映画を通じて意気投合。ひよりの過去を知る由木から「死体」の演技指導を頼まれたことで、二人は「放課後死体クラブ」を結成。異なる傷を抱える二人が、支え合いながら唯一無二の絆を築いていく物語。

クラスの中の面倒な人間関係の描き方がリアル

この本の主要な登場人物は中学2年生の女子ふたりだ。設定や筋立てはシンプルで、本を読み慣れていない人でも読みやすいだろう。

主人公のひよりは、クラスのいわゆる一軍女子に「入れてもらっている」人間だ。グループのほかのメンバー、とくにリーダー格の存在の顔色をうかがって過ごしている。そのあたりの人間関係のめんどうくささの描写は、身に迫るものがある。

そんなひよりと仲を深めていくのが、クラスのなかでは浮いている由木だ。休み時間は心霊やオカルトの本を読むか、席で伏せて寝ている。

ひよりは一軍内で話を合わせるためだけにK-POPアイドルのファンクラブにまで入る。本当は好きでもないのに、話題についていくために義務感で触れるコンテンツがある。

現実でも「あるある」な話だが、「昨日のあれ観た?」に対応するために時間を割き、表層的な関係が切れないようにするのは、当事者にとってはとても気疲れする。

一方で、ひよりには、本当は好きなのに、クラスでは打ち明けられない趣味がある。それがホラー映画鑑賞だ。

cocreco写真:アフロ

ひよりと由木は、ある出来事をきっかけに互いの趣味を知る。そして由木が目標とする「敬愛するホラー映画監督の次回作に出演し、すばらしい『死にざま』の演技をする」ことに、演技経験者のひよりは協力するようになる。

ただ学校では今までどおり、付き合いの薄いクラスメイトのフリをして日々を過ごす。一軍女子が由木をからかい、暴言を吐いても。由木に対する悪口を、ひよりが強要されても。

クラスのなかでいじめがあったとしても、ヘタに介入して自分に矢が飛んでくるのをおそれて、葛藤しつつも何も言えなかった経験がある人、望まずして加担した人も少なくないだろう。こうした気持ちのゆれ動きの描き方もリアルだ。

噓や建て前でできたクラスの秩序を別の虚構でぶっ壊す

よくよく考えると、たまたま学校やクラスがいっしょになっただけの関係のなかから、ぴったり波長や趣味が合う人が見つかる確率は、奇跡に近い。

自分の小中学校時代をふりかえってみても、必ずしも気が合わない人同士の集まりになる可能性のほうが高いだろうと思う。

にもかかわらず、趣味のコミュニティや勤め先なら「合わなければ所属先を変える」ことができるが、学校はそう簡単に変えられない。次にクラス替えがあるタイミングまではいっしょだし、場合によってはほぼ同じメンツで中学や高校の3年間をいっしょに過ごすことになる。

うかつなふるまいをしてクラス内での序列の下位層に転落してしまうと、短くても数ヵ月、長いと年単位でイヤな思いをして過ごすことになる。かといって表面的な付き合いを維持するのも、毎日、精神的にすり減る。どちらに転んでも地獄だ。

ひよりはそういう状況のなかで、本当の自分を隠している。ある意味では、学校では死んでいる。ゾンビのように生きている。クラスでは周囲の視線など気にしていないように見える由木も、家庭には居場所がない。いきいきとした自分としては生きていない。

そんなふたりが、死者になりきることで、本当の事件と見まがうような演技をすることで、生を取り戻す。

くわしくはネタバレになるので書けないが、『放課後死体クラブ(仮題)』ではそんな出来事が描かれる。ここは感動的かつ象徴的なシーンで、ぜひ読んでほしいところだ。

フィクションだからこそ救われる「本当の心」

逆説的な話だけれど、フィクションの中にしか、自分が心の底から満たされるものがないと感じるとか、何かに憑依しきっている瞬間に「本当のこと」に触れている実感を持つ、ということはある。小説を読んで没頭しているときにも、そんな感覚は訪れる。

ひよりと由木のような友人関係が現実でも得られたら、素晴らしいことだ。うわっつらな友だちづきあいを超えた関係性を求めている人に対して、この本は大胆に一歩踏み出すための力を与え、背中を押してくれる。

でも、もしそういう関係を作ることが難しくとも、自分が好きな物語のなかに、コンテンツのなかに、「本物」だと思える輝きを見つけられたら、死んだように過ごしている日常も、どうにか生き延びることができる。ひよりや由木がそうしてきたように。

そしてこの小説は、まさにある種の読者にとってそういう支え、救いになれる作品でもある。

文/飯田一史

cocreco『放課後死体クラブ(仮題)著:ひなた きな/絵:satsuki(講談社)
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