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2浪・偏差値30台の“落ちこぼれ“から医師に 𠮷岡秀人氏が明かす「子どものやりたいこと」を伸ばす親の姿勢

  • 2026.10.30
cocreco▲アジアのあちこちで30年以上、多くの子どもたちを救ってきた𠮷岡秀人先生

「うちの子、勉強しないで大丈夫?」「将来どうなるの……?」と、我が子の行く末を心配する親御さんも多いでしょう。

そんな不安を抱える親たちにぴったりの本を見つけました! 絵物語『小児外科医𠮷岡秀人物語 ボクが行かんと誰が行く』の主人公・𠮷岡秀人先生は、文系大学の受験で2科目0点、偏差値30台から、2浪して大逆転で医学部に合格。現在は社会的な問題に取り組む国際医療NGO「ジャパンハート」の創設者として活躍しています。

これまで延べ4500人以上もの医療者を動員し、治療件数は40万件を超えるほどの組織を率いる𠮷岡先生の子ども時代はどのようなものだったのでしょう? どうすれば子どもが好きな道を切り開けるの?

そんなことを知りたくて、𠮷岡先生に子育てのアドバイスを伺いました。

絵物語『小児外科医𠮷岡秀人物語 ボクが行かんと誰が行く』あらすじ

暑くて停電が多いアジアの国・ミャンマーで、𠮷岡先生は今日も病気の子どもたちの手術をしています。

手術中の急な停電もよくあること。そんなとき、看護師たちがライトで患者を照らし、𠮷岡先生は手術を続けて乗り切るのです。

𠮷岡先生はどんな困難にもくじけず、たくさんの子どもたちの命を救ってきました。

でも、ずっと強い心だったわけではありません。子どものころは病弱で、学校の成績もいまいちの「落ちこぼれ」。ある日、𠮷岡少年が一大決心をするできごとがあって──

病気がちで「落ちこぼれ」の子ども時代

──どんな子ども時代だったのですか。

𠮷岡秀人先生(以下、𠮷岡先生):病気がちで、急性腎炎や喘息の発作が起きて小学校の入学式にも出席できなかったほどなんです。

──医師になったくらいですから、勉強はできたのでしょう?

𠮷岡先生:いえいえ、高校時代はのんびり遊んでばかりいて、あまり勉強しなかったんです。大学は文系の教育学部を受験したのですが、3科目のうち2科目が0点で惨敗。1浪目に突然医学部受験に変更して、偏差値30台から猛勉強してようやく医学部に合格したのです。

──文系から理系なんて、ふつうありえません。なぜ教育学部から医学部受験に転向したのですか?

𠮷岡先生:中学生のころ、テレビで貧困や災害で苦しむアフリカの子どもたちの様子を見て衝撃を受けたのです。そんな子どもたちの役に立ちたい、と思いました。ところが、じきにそんな気持ちはすっかり忘れてしまって遊んでばかり。大学受験に落ちて浪人しているときに、ふと「そうだ、医学部に行かなきゃ」と思い立って医学部受験に変更したのです。

cocreco『小児外科医 𠮷岡秀人物語 ボクが行かんと誰が行く』より

──ご両親はさぞ驚かれたでしょう。

𠮷岡先生:「海外の困っている子どもたちのために、医学部を受験して医師になりたい」と伝えると、母は「ついに秀人は頭がおかしくなった」と思ったようです。でも、最初こそ反対しましたが、ぼくの決心が固いのを知って、それからは何も言わず協力してくれるようになったのですよ。

──どのように育てると、「将来やりたいこと」を見つけて、それに向かって進んでいく子どもになるのでしょう。

𠮷岡先生:大前提として、世の中や人生は無数の複雑なファクターが絡んでできているので、ぼくたち人間はたとえ親であろうと子どものすべてを管理できるわけではない、という謙虚さをもつ必要があると思います。そのうえでぼくの経験から、3つのヒントがあります。

【親の見守り方①…ゆっくり見守る】

𠮷岡先生:子どものペースに合わせて、ゆっくり見守ることです。親は「早くしなさい」と子どもを急かしがちですが、そこはぐっとがまん。子どもと環境とのバランスや、才能や性質とのバランスが大切なので、自然にやりたい気持ちが生まれてくるのを待つことです。

医療が届きにくいアジアの国々では、子どもたちが手遅れなどで亡くなることが多いのです。そんなとき、親は「生きてさえいてくれればいい」と言います。それが究極の親の心でしょう。親があまりコントロールしようとすると、子どもの生きる力が弱くなってしまうのです。

──親が過度な期待や指図をする前に、立ち止まって見守りたいですね。

【親の見守り方②…「なるようにしかならない」と考える】

𠮷岡先生:占い師のように「将来どんな人生を歩むか」とわかっていれば、子どもにする方法もあるかもしれません。でも、子どもの将来は誰にもわかりませんよね。親の期待で一生懸命やらせても、結局はなるようにしかならない。

ぼくが子どものころにアフリカの子どもたちの様子を見たことがきっかけで医師になったのも、偶然ではなくて「なるようになった」のです。

cocreco『小児外科医 𠮷岡秀人物語 ボクが行かんと誰が行く』より

𠮷岡先生:親は、「この子の才能に見合った人生が、なるようになっていくはず」と向き合うのが良いのではないかと思います。親の理想に近づけようとして子どもにいろいろすると、自分が苦しむだけ。強制された子どももつらいでしょう。

──そもそも子どもの人生ですものね。

𠮷岡先生:最終的には、子どもがその子らしい生き方をできたら、親は満足だと思いますよ。

【親の見守り方③…いろいろな機会を与える】

──子どもが「自分のやりたいこと」を見つけるにはどうしたらいいですか。

𠮷岡先生:いろいろな機会を与えてあげることです。小さな子どもは、何でもやりたがりますよね。でも、飽きたらすぐやめます。それでいいんです。ほんとうに好きなら続けますから。

──飽きるとポイってやめますよね。

𠮷岡先生:飽きてやめたからといって、それがムダになるわけではありません。情報としては、脳の中に残っていく。それが将来、どのような意味づけを持つかは子どものころにはわからないのです。だから、親もこだわらずに流せばいいのです。

──「あー、やめちゃった」と、忘れてしまえばいいのですね。

𠮷岡先生:ぼくも子どものころには習い事もすぐやめてしまって、よく母に「秀人はほんとに何をやっても続かない」と言われていたんですよ。今、30年以上も粘り強くミャンマーなどで医療活動を続けていくようになるとは、母もぼく自身も思ってもいませんでした。

大会で勝ったとか、作品が人に褒められたとか、そんなちょっとしたきっかけで人生は変わるものです。そうしたら、親が引っ張っていかなくても自分からやるようになります。面白くて好きなことや、ほんとうにやりたいことなら続けますからね。

成功体験が励みになる子もいれば、失敗が記憶に残る子もいます。何が正解かはわからないのです。「親の正解が、子どもにとって必ずしも正解ではない」という謙虚さは持っておいたほうがいいでしょう。

cocreco▲ささいなきっかけが、人生の目標につながることも。 写真:アフロ

「人生が幸せになる」コツを持っておく

──子どもと向き合うときに心にとめておきたいことがありますか。

𠮷岡先生:「人生が幸せになるコツ」を持っていることです。自分の利益だけでではなく、人も喜ぶことをする。人と自分がともにうれしいことをする。それだけ知っておけば充分です。

──行動するときの目安になりそうです。

𠮷岡先生:ぼくの息子は、妻と一緒に街で買い物するときに、何軒かのパン屋を見て歩いて「たくさん売れ残っている店で買おう」と言うそうです。こういった視点は、良い縁を引き寄せるのに大切なことでしょう。

──なるほど、自分もパンを食べられて、その店を応援することにもなりますね。子どもが幸せな人生を歩むために、親はいい形で見守っていきたいですね。今日は貴重なお話をありがとうございました。

聞き手/高木香織

●𠮷岡秀人(よしおか・ひでと)プロフィール

小児外科医。認定NPO法人ジャパンハート創設者、最高顧問。1965年、大阪府生まれ。1995年からミャンマー、2009年からはカンボジア、2013年からはラオスでも活動。2004年、国際医療ボランティア団体「ジャパンハート」を設立。海外では、医療活動のほか、視覚障害者自立支援活動、エイズなどで親を亡くしたり、貧困のため人身売買の危機にさらされていたりする子どもたちを保護し自立を支援する養育施設「Dream Train(ドリームトレイン)」の運営、医療人材育成などを行う。国内では、災害支援、医療者不足の離島やへき地への地域医療支援事業、がんの子どもや家族を支援する「スマイルスマイルプロジェクト」などを行っている。2021年第69回菊池寛賞を受賞。ジャパンハートの団体として、国連からのアワード、沖縄平和賞、日本政府からのSDGsアワードなどを受賞。

●高木香織(たかぎ・かおり)プロフィール

出版社勤務を経て編集・文筆業。医療・子育ての本を多く手掛ける。文・編集に『ほんとうにすごい! iPS細胞』『命を燃やせ いま、世界はあなたの勇気を待っている』(ともに講談社)ほか。著書に『後期高齢者医療がよくわかる』(共著/リヨン社)、『ママが守る! 家庭の新型インフルエンザ対策』(講談社)がある。

cocreco『小児外科医 𠮷岡秀人物語 ボクが行かんと誰が行く』(文:高木香織/絵:片塩広子)

絵物語『小児外科医 𠮷岡秀人物語 ボクが行かんと誰が行く』

𠮷岡少年が中学生のころ、テレビで見た戦争や飢餓で苦しむアフリカの子どもたち。その光景は、のちに小児外科医を目指すきっかけになりました。「落ちこぼれ」だった𠮷岡さんは、猛勉強の末に医学部に入学し医師になります。やがてミャンマーで医療活動を始めたとき目にしたのは、充分に医療を受けられずに命を落としていく子どもたちの姿でした。「子どもたちが生まれてよかったと思える世界」を目指して、𠮷岡さんは国際医療ボランティア団体「ジャパンハート」を設立します。ミャンマーの小さな村で始まった活動は、やがて大きなうねりとなっていくのです。この本は、一人の少年が夢を追い続けた半生の物語です。𠮷岡先生から子どもたちに「幸せに生きるために大切なこと」を語りかける「あなたへの手紙」も掲載。

cocreco『小児外科医 𠮷岡秀人物語 ボクが行かんと誰が行く』より
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