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【豊臣兄弟!】政略結婚をどう受け止めた? 茶々(井上和)17歳の決断と、あさひ44歳(倉沢杏菜)の輿入れが切ない

  • 2026.10.23

【豊臣兄弟!】政略結婚をどう受け止めた? 茶々(井上和)17歳の決断と、あさひ44歳(倉沢杏菜)の輿入れが切ない

2026年のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」。今まであまりスポットライトの当たることのなかった豊臣秀長を主人公に、戦国時代がどう描かれるのか? ここでは、ストーリー展開が楽しみな本ドラマのレビューを隔週でお届けします。今回は、第39回「茶々の本心」と第40回「あさひの輿入れ」です。

歴史上の人物を知っていくとき、もっとも興味深いのは、その時々のその人間の気持ちではないだろうか。昔であればあるほど記録は少なく、ましてやこと女性に関してとなると、いっそう史料も限られる。しかし、そこにはかなりのドラマがあったりもする。

ここ2回のエピソードは、どちらも豊臣秀吉(池松壮亮)、豊臣秀長(仲野太賀)兄弟の命運を支える働きをした女性を取り上げたもの。いずれも、心揺さぶられるストーリーだった。

どちらもいわゆる「政略結婚」を強いられたわけだが、それを彼女たちはどう受け入れていったのだろうか。いや、もしかすると、それは当時当たり前に行われていたことであって、私たちが考えるほど、当人たちに葛藤があったり、悩んだり、ということがなかったのかもしれない。しかし、それでも、と思ってしまうのである。そこは同じ人間、何百年の時を経ようと、社会基盤が著しく異なっていようと胸が波立つこともあっただろうし、人知れず涙することもあったのではないかと思う。

第39回は、織田信長(小栗旬)の妹・市(いち/宮崎あおい)の長女・茶々(井上和)、第40回は、豊臣兄弟の妹・あさひ(倉沢杏菜)。関白・秀吉の天下一統のために、大きな決断を強いられた二人の女性の物語だ。

第39回「茶々の本心」

天正13(1586)年、秀吉と秀長は3カ月ぶりに大坂城で再会し喜び合う。しかし喜ばしいことばかりでもなく、織田信長の五男で秀吉の養嗣子(ようしし)となっていた於次秀勝(おつぎひでかつ/柊木陽太)が病に伏せって、年を越せないと言われていた。そこへ、徳川家康(松下洸平)の家臣である石川数正(かずまさ/迫田孝也)がやってくる。

「小牧・長久手の戦い」のあと、家康は北条氏政(うじまさ/谷原章介)との盟約により、信濃の国衆(くにしゅう)である真田と争いを続けていた。真田は秀吉を頼ってきたため、秀吉が数正を呼び、真田との和睦を持ちかけたのだ。「真田の領地を北条と分け合う約束があるゆえ、後に引けぬのであろう。この関白・秀吉の許しなく、これ以上戦することはまかりならぬ」

そのような中、秀吉は茶々の嫁ぎ先を探して、本人の意向を確かめに訪れていた。ところが、茶々はどこにも嫁ぐ意思などないと、端から受けつけない。妹の初(はつ/田牧そら)も江(ごう/西川愛莉)もすでに嫁ぎ先が見つかっていたが、茶々だけがいまだ決まっていないのだ。「私は生涯、この家のお荷物となって、ここで朽ち果てまする。殿下の苦しむお顔を眺めながら」

茶々の話題に、豊臣兄弟の母・なか(坂井真紀)は、「もしや思い人がいたりしてな」と、母ならではの意見を挟んできた。あさひが、「もしかして藤吉郎兄様だったりして」と言うと、秀吉は「そんなことあるわけなかろう」と笑い飛ばす。しかし、秀長は何かを思いついたような表情を見せると、真剣に考え込むのだった。

一方、浜松城では評定が開かれていた。「秀吉に勝つ策はあるか」と家康に聞かれた数正は、「ひとつだけありまする」と答える。「秀吉には血筋がござりません。それが急所にござりますれば、秀吉、秀長が死ぬのを待つのでござる」

他の家臣からは非難囂々だが、数正は「これまで耐え忍んだ月日を思えば、さほど長くはござらぬ。もし我らが先に死んだとて、殿には長丸様はじめよきお子達がおりますれば、必ずや徳川の世が訪れまする」と揺るがない。「秀吉と秀長、今すぐ死んでくれんかのう……」と、家康は爪を噛んで悔しがるのだった。結局、秀吉との戦に備えることで総意は決まっていった。

大阪城では、福島正則(まさのり/松崎優輝)と加藤清正(きよまさ/伊藤絃)が、石田三成(松本怜生)と言い争っていた。通りかかった秀長が3人に話を聞いてみると、「跡継ぎをもうけるために、殿下がもう一人妻をお迎えになるべきだ」と提言した三成に、寧々(ねね/浜辺美波)の心情を慮った正則と清正が反対しているのだ。秀長は、「実は自分も三成と同じ考えじゃ」と告白する。

秀長は、秀吉と二人になったところで、「新たに妻を迎えるべきだ」と切り出した。全く取り合わない秀吉だが、秀長の説得にしだいに冷静さを取り戻していき、「寧々には自分から伝えるまで言うな」と一応の了承をした。しかし、秀長が相手について「わしは茶々殿しかいないと思うておる」と告げると動揺、「己が何を言うているかわかっておるのか。茶々は、わしが討ったお市様の娘なのじゃぞ!」と激しく抵抗する。「そうじゃ。織田の血を引く娘じゃ。そして浅井の血も。羽柴と織田と浅井の血が一つとなるのじゃ。兄者、これ以上ふさわしき相手はおらぬ」。秀長の言葉は、もっともらしく響いた。

秀吉はひたすら、寧々の受ける傷を心配している。二人がやりとりをしているところに、廊下でその話を聞いていた寧々が現れる。そして、毅然としてこう言った。「それがあなた様のためなら、私は構いませぬ。随分長いこと、あなたとともにこの家を支えて参りました。いつの間にかこんなに大きくなって。私にとっては、この家こそがあなたとの子どもなのです。その子を守るためなら、どんなことでも受け入れます」

しかし、その話をもちかけられた茶々は激怒。弓矢を射って、秀長を追い詰めていく。秀長は、なおも説得を続ける。「こうは考えられませぬか。今や殿下は力も位も手に入れた、まさに天下人。もし子が生まれれば、いずれは跡を継いで天下人となる。信長公もお市様も浅井殿もなし得なかった天下人の夢を茶々殿がかなえられるとしたら、まことお市様は喜ばれるに違いない。いつの日か、浅井の名もよみがえらせることもできるかもしれませぬ。よくお考えくだされ」

それでも反発し続ける茶々の前に、突然、寧々が弓を持って現れた。「いつまでも覚悟が決まらぬと言うなら、私と勝負をしましょう。私が勝てば、この家のために殿下の妻になってもらいます。あなたが勝ったら、私の命は聞かずともよい。あなたの好きになさい」

寧々の迫力に気圧される形で、茶々は勝負を受け入れる。最初に射ったのは寧々。その矢は、的の中心部をわずかにはずれた位置に刺さった。そして、茶々の番である。茶々の脳裏には、かつての母の言葉がよみがえってきた。「母は今、生まれて初めて己が決めた道を進んでおるのじゃ。これほど嬉しいことはない。そなたにも、いつかこういう日が来ることを願っておる」

茶々の矢は、ど真ん中に的中した。「見事じゃ、あなたの好きになさい」という寧々の前に、茶々は突如座り、居住まいを正すと、寧々を見上げてこう言うのだ。「私は殿下の妻になりとうございます。的の前に立ち、己の気持ちを決断しました。父と母の夢のため、そして豊臣のため、殿下の妻になりとうございます。どうかお許しくださりませ」

寧々もそれを受け入れた。「よく決心しましたね。あなたが的を射抜き選んだ答えです。誰に気兼ねをすることもありません。これからはともに、この家を支えておくれ」

その夕、寧々と二人で廊下に立った秀長は、夕日を眺めながら、寧々がわざと的を外したことを見抜いて告げた。寧々は、それでも茶々がどういう答えを選ぶかまではわからなかった、できることなら「殿下の妻にはならぬ」と言ってほしかったと涙をこぼすのだった。

それから間もなくして、突然、石川数正が再び大坂城へやってきた。秀長が駆けつけると、「この石川数正、徳川を捨て、出奔して参りました」と驚くべきことを言った。

第40回「あさひの輿入れ」

数正は秀吉、秀長の前で「家康めにはほとほと、愛想がつきましてございます。いくら私がことの理を解こうと、豊臣には従わぬといって聞き入れませぬ。ほかの家来どもも、血気にはやるばかり。勝ち目のない戦でもやめようとはしませぬ。あやつらとともにいては、命がいくらあっても足りませぬ。まっこと愚かな田舎侍……」とまくし立てるが、それが真意とはにわかには取りがたい。しかし、「そなたが我らのもとに参ったとあれば、さすがの徳川殿とて、これ以上歯向かうことはできますまい」と言い、数正が豊臣に臣従したことで、無駄な戦は避けられるのではないかと期待もした。

一方、出奔されたほうの徳川は大騒動となっていた。家康は北条氏政のもとを訪れ、このたびのことで家康が豊臣に臣従するのではないかと懸念する氏政に対して、意に介さない姿勢を見せた。そして、「手の内をあかされた今の我らが攻撃をしかけるなど、敵も思うておりますまい。今こそ、攻め時でござる」とさらに勢いを強めるのだ。

秀吉の忍耐もついに切れた。「徳川はいまだ上洛に応じず、この関白・秀吉の命に背き、真田との和睦をも拒んだ。世を乱さんとする徳川を、このまま見逃すことはできぬ。支度が整いしだい、出陣じゃ」。しかし、秀長はまだそれに納得できなかった。

ある夜、秀長は数正と酒を酌み交わし、何とか家康を説き伏せる術はないかと相談していた。数正は「あるわけござらぬ。私が出奔したとて止められませなんだ。これ以上どうせよと言われますか」と返す。それを聞いて秀長は、「やはり徳川を守るために、徳川を捨ててこられたのですね」と確信する。

そのとき、盃が揺れ始め、部屋全体が激しい揺れに見舞われた。天正13(1586)年11月29日、中部・畿内を中心に巨大地震(天正地震)が発生したのだった。秀長は大坂城の天守で無事、秀吉と再会できたが、被害は甚大で、美濃の大垣城も近江の長浜城も崩れた。秀吉は呆然とした表情ながら、こう告げた。「残った兵糧はことごとく民に分け与えよ。もう戦などしているときではない。徳川と和睦する」

それから2カ月、秀吉は家康と和睦を始めた。家康は和睦の条件として、秀吉の身内を妻として迎え入れることを提示してきた。動揺する秀吉と秀長。というのも、妻として差し出せるとしたら、妹のあさひしかいないからである。しかし、あさひには長年連れ添った夫・副田吉成(よしなり/前原瑞樹)がいる。ほかに道がないと判断した秀吉は、みずからあさひ夫婦に説明することにした。

秀吉から話を聞かされた二人は、ショックのあまり言葉を失う。秀吉は二人への感謝を伝え、吉成には但馬(たじま)の国を与える告げる。しかし吉成は、離縁するつもりは毛頭ないと言い張る。秀吉はついに、「逆らうならば厳罰に処す」と関白としての命を下した。

その夜、吉成はあさひを連れて逃げ出そうと決意。門を出ようとするが、「やっぱり行けない」とあさひの足が止まる。そこを、秀長や家臣たちに取り囲まれてしまった。「密告があったのじゃ。おぬしらが逃げるかもしれぬと」。「お前が密告したのだな」とあさひを責め始める吉成。「お前などこっちからお断りじゃ。離縁してくれるわ」

秀吉の前に連れてこられた吉成だったが、秀長から、密告したのは自身であろうと見抜かれる。自分を思って決断できないあさひのため、下手な小芝居を打ったのだった。「藤吉郎殿、小一郎殿、あさひをまこと豊臣の天下を支える一人にしてやってくだされ。わしは出家いたしまする。わしはあさひから、たくさんのものをもらった。それさえあれば、この先も生きていけまする。長きに渡り、お世話になり申した」。涙ながらにそう訴える吉成に、秀吉も最大の感謝と謝罪の念をもって、こう答えるのだった。「副田甚兵衛丈吉成、大儀」

秀長があさひに、「こたびはかたじけない」と声をかけた。「私で役に立てるなら。甚兵衛はあれからどうなったの?」と明るく問い返すあさひに、秀長は「兄者の逆鱗に触れて、城を追われたわ」「そう」

その場に一緒にいた姉・とも(宮澤エマ)、ともの夫・長尾吉房(よしふさ/上川周作)、なかが、それぞれ用事があると口にして席を立った。すると秀長が突然、「この庭ももう見納めじゃあな。あさひ、こっちに来てよう眺めておいたらどうじゃ」と声をかけた。秀長に誘われて、廊下に立ったあさひ。植木の陰に隠れている吉成の顔が池の水に映っているのを見つけてしまった。

「今頃どうしておるかのう、甚兵衛は」という秀長の問いかけに、あさひは目一杯明るく、声を張ってこう返した。「きっとどこかにこそこそ隠れて、おなごのことでものぞき見してるんじゃない? ずっと一緒にいたんだから、相手のことがわかるのはお互い様よ。もしどこかであの人に会ったら伝えて。ありがとうって。誰よりも私をわかってくれて、背中を押してくれた。本当のことを言うと、徳川殿に嫁ぐのは少し怖いけど、でも、私にしかできないことを存分にやってみようと思う。そう思えたのは、あんたのお陰だって。行ってきます、そう伝えて」

天正14(1586)年5月、輿入れが行われ、あさひは家康のいる浜松城に入った。

茶々が秀吉に嫁いだのが17歳。このとき秀吉は49歳。人生50年時代の49歳は、かなりの「老人」に映ったに違いない。天下人の血筋を継ぐためとはいえ、茶々はどのような思いで嫁いだのだろうか。また、家康に嫁したときのあさひは44歳。家康は45歳である。共白髪と信じていたであろう伴侶と引き離されて、その年から知らない土地へ一人送られるつらさはいかほどのものだっただろうと思うと、胸が締めつけられる。そして、寧々も吉成も。歴史の表舞台にはあまり出てこない彼らの涙を思った、そんな2話だった。

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