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マイナス20度の雪原で24時間暮らす牛「北海道らしい酪農を」東京から移住して最初の挫折が

  • 2026.10.9

北海道・道東、中標津町。
札幌から約400キロ。車で5時間半。

牛の数が4万頭以上、人口の2倍いる酪農が盛んなマチです。

この地で365日、24時間、エサは牧草だけの「完全放牧」にこだわる酪農家がいます。

その牛たちが出す牛乳は季節によって味をかえ「今までに飲んだことがない」ここだけの恵みを生み出します。

今や全国・海外からこの味を求めて人がやってくる「山本牧場」。

代表の山本照二さんは東京生まれの元サラリーマン。

「100%、ここに来てよかった。大好きです」

そう語る転身・移住・そして牛たちとの生活のこだわり。
北海道で生きる今とさまざまな「きっかけ」を聞きました。

Sitakke

連載|私のきっかけ

日本で一番行きづらい!?「食べたことがない」ソフトクリーム

広い広ーい草原が続く「これぞ北海道…!」という道を進むとポツンと現れるコンテナハウス。
「山本牧場」のソフトクリームやプリンを販売する「ミルクレーム」です。

Sitakke

「テレビでは『日本で一番行きづらいソフトクリーム店』なんて紹介されたこともありました」

山本さんが笑って教えてくれます。

確かに道の途中の目印も少なく、周りにほかの建物もありません。
取材に訪れた日はあいにくの天気でしたが、それでも次々にお客さんがやってきます。

神奈川から毎年来ているというお客さんは「一度食べたら本当にはまって。ここは毎年旅行のコースに組み込む欠かせないポイントです」と話します。

海外からここを目指してたくさんの人が訪れます。

「食べたことのない味だって言われますね」

Sitakke

そう言いながら山本さん自ら作ってくれたソフトクリーム。
とろんとなめらかなミルクソフトです。

「とにかく牛乳の味だけを感じてほしい」というこだわりがつまった逸品。

「まさに牛乳そのもの!」と思うのと同時に「なんだろう、何かが全然ちがう!」と感じるまさに唯一無二の味。

Sitakke

これは確かに、食べたことのないソフトクリーム…!
確かに牛乳なんですが、これはこれまで知っている牛乳じゃないぞ…!

この背景にあるのが、まさに山本牧場がこだわり抜いている酪農のカタチにあるんです。

東京から移住したきっかけは「鮮烈な思い出」

Sitakke
pixta

山本さんは東京生まれ。新宿で12年間、流通業界(コープ)の会社員として働いていました。
北海道にやってきたのは36歳のとき。脱サラしての一念発起でした。

きっかけは大学時代、旭川に住んでいたことにありました。

「よくバイクで北海道中をぐるぐる回っていました。駅舎で寝たりするような、いわゆる『ミツバチ族』でした(笑)。そのころの思い出がすごく鮮烈に残っていて、『いつかここで過ごしたいな』っていう思いがずっとあったんです」

Sitakke
旅は今でも大切なライフワーク。ロードバイクで台湾を巡ったときの一枚

東京で働いている間も子どもたちを連れて北海道を度々訪れていたといいます。
家族も北海道に住むことを「いいんじゃない?」と受け入れてくれていました。
北海道の中でも、道東の中標津町を選んだのにも学生時代の「鮮烈な思い出」があるからでした。

「特に中標津にある『開陽台』は、ライダーにとっては『聖地』。情報交換しながら、みんなで酒を飲んでわいわいガヤガヤやった思い出があって…『住むなら絶対に中標津だ!』って決めていたんです」

Sitakke
中標津の観光スポット「開陽台」 pixta

中標津に住む、そして仕事をする。そうなると、自ずと道は酪農に決まっていきました。
サラリーマンだった山本さんにはもちろん縁がなかった仕事…でも実はきっかけはそのころからつながっていました。

「流通の仕事ってモノを『右から左へ』流す仕事なんです。工場に行ったり問屋に行ったり、デザインをする現場を見たりもします。すると『作り手って楽しそうだな』『話をするのも楽しいけど、モノを作る仕事っていいな』って思うようになって。源流、つまり『川上』の仕事をしたい、作り手になりたいという思いが強くなっていったんです」

別海町で3年間研修を受けて、新規就農へと踏み出しました。

これはもうやっていけない…最初の冬に訪れた「挫折」

Sitakke

今行っている「完全放牧」の酪農のスタイルは、新規就農したときからチャレンジしていました。
そのきっかけのひとつはちょっと意外で切実なところにありました。

「新規就農だからとにかくお金がかかる。初期投資はできるだけ抑えたかったんです。牛舎を建てて中で飼うとなると、ちゃんとした施設を作らなきゃいけないから…牛たちが外で生活してくれれば牛舎にかかる費用も少なく済むので、そこが一番大きかったですね」

もうひとつのきっかけは、山本さんが北海道で思い描く「絵」でした。

「広大な大地で牛がのんびりと草を食み、駆け回る…そんな『北海道らしい酪農』を追求したかったんです」

最初はこれから乳を出す育成牛を40頭入れて、完全放牧をスタートししました。

「ゼロからのスタートなので、牛たちのことも考えて、最初はまだ配合飼料もあげて、少しずつ量を減らして牧草を食べさせる量を増やして…」

「牛たちのことを考えて」と山本さんは度々口にします。

Sitakke

だけど、就農した最初の年、牛たちを牧場に連れてきたのは12月。もう厳しい冬が始まっていました。
真冬は気温がマイナス20度になることもある中標津。

「牛にかかる冬場の負担って、本当に大きいんですよ。夏くらいに入れておけば牧場の環境に適応して、少しずつ自分たちなりの生活のしかたを覚えるんだけど、12月に入れたから牛にとってみたら『なんだこれー!』って感じですよね…」

寒さで乳房の先が凍傷になってしまう牛が出てきました。
乳が出なくなってしまい、治療をしながらなんとか過ごしていましたが、傷から菌が入り、乳房炎に…乳房炎は牛にとってはまさに死活問題となる病気です。

「牛には本当に申し訳ないんだけど、40頭入れたうちの4頭をダメにしてしまいました。もう『やめようかな』っていうレベルでしたね…。『この飼い方じゃできないのかな』とも思いました」

思い描く理想の酪農と、目の前にある厳しい現実。

この経験が「牛たちのことを考えて」、本当の自分の理想の酪農を作り上げる決意につながっていきます。

Sitakke

厳しい冬でも自然に近い完全放牧を…
実現したそのとき、牛たちと牛たちが出す牛乳に大きな変化が訪れます。
ここだけの「ワイルドミルク」の誕生を次回の記事で詳しくお伝えします。

連載|私のきっかけ

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文・編集:Sitakke編集部あい

※掲載の内容は取材時(2026年9月)の情報に基づきます。

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