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世界中で愛され続ける、木製玩具メーカー〈ネフ社〉。創業者のクルト・ネフにまた出会いに

  • 2026.10.2

“玩具とデザイン”を語るうえでその名前は外せない。今年生誕100周年を迎える彼が作った玩具は、今なお世界中で愛されている。その名はクルト・ネフ。彼の功績を振り返るため、意志を引き継ぐスイス本社を訪れた。

photo: Rie Yamada, Kiyoshi Nishioka(book) / text: Mikado Koyanagi, Yumiko Urae / cooperation: ATELIER NIKI TIKI

おもちゃデザイナー・クルト・ネフ、コルビュジエの椅子『LC』
BRUTUS

“玩具とデザイン”に橋を架けたネフの物語

〈ネフ〉というブランドをご存じだろうか。玩具店だけでなく、インテリアショップや雑貨店で目にすることもある、立方体を独特のパーツに分けた《キュービックス》や《セラ》のような、デザイン性が高く発色の美しい木製の積み木などで知られるスイスの知育玩具のメーカーだ。社名は創業者の名前クルト・ネフから取られた。2026年は、彼の生誕100年に当たる。

ネフは、木工の専門学校で家具製作を学んだあと、1954年に当時の妻と北欧の家具や食器を輸入するネフ社を起こし、バーゼルにショップを開く。そして、その頃、店を訪れる建築家やデザイナーから、店のほかの商品とも違和感なく収まる現代的なデザインの玩具を作らないかと持ちかけられ開発したのが、今も看板商品となっている《ネフスピール》だった。

スピール(ドイツ語では“シュピール”と発音)とは「遊び」を意味するが、それはリボン状に切り込みの入ったパーツによって、思いも寄らぬ積み方のできる、無限の遊びの可能性を秘めた画期的な積み木だった。それがドイツのニュルンベルクで開かれた国際玩具見本市で評判を呼び、ネフ社は本格的に玩具メーカーとして再出発することになったのだ。

ネフ社のネフスピール
初期のネフスピールは、現行のものより先端が尖っていた。時代のニーズに合わせ、少しずつ改良されてきている。

ネフ社はなぜ世界を代表するトイメーカーになったのか

ところが、職人肌のネフも、会社のためには経営側に回らざるを得なくなり、新しいデザインや開発に十分な時間を割けなくなってしまった。そこで、新しい才能を探すことにしたのだが、そんな中で出会ったのが、《キュービックス》や《セラ》の生みの親であるペア・クラーセンだった。

おもちゃデザイナー・クルト・ネフ
外部デザイナーとの出会い  クルト・ネフは1967年にプロダクトデザイナーであるペア・クラーセンと出会い、写真中央にある《3D ミューレ》を皮切りに、《キュービックス》や《セラ》など社を代表する商品を共同で開発した。そうした成功から、ネフ社は世界中のデザイナーからアイデアを募るようになる。そして、数多くのユニークな商品が生まれた。写真はバーゼルの見本市で《3D ミューレ》をデモンストレーションをしているネフ(左)の様子。©Naef Spiele AG, Switzerland

クラーセンとのコラボレーションからは、ネフ社のシグニチャーとなる、いくつもの積み木や、乳幼児向けのおしゃぶり・ガラガラなどの名作が生まれた。さらにネフはアイデアの門戸を世界に広げ、いつしかそのカタログはユニークなプロダクトの宝庫となった。ネフは、カタログやパッケージのデザインにもこだわったが、彼らの才能に敬意を表し、どの商品にも、商品名の傍らにはデザイナーの名前が添えられている。

ネフ社のカタログ 表紙
カタログデザイン  ネフは、「玩具は最高に美しいがカタログは最低だ」と言われたことから、カタログやパッケージのデザインにも力を入れるようになった。特にこの“2代目”といわれる正方形のカタログは、その玩具がどのような遊びが可能か、最低限わかる写真だけで構成した、ミニマリズムを突き詰めたものになった。そのデザインは、見た目の美しさだけでなく、それ以降のカタログもマイナーチェンジしかする必要がなくなり、製作費の削減にも寄与した。
ネフ社のカタログ
BRUTUS

また、ネフ社はそのデザインや創造性だけでなく、徹底した生産管理の下で製造される製品の品質にも定評がある。バウハウスが、1923年に製作した積み木《バウスピール》などの歴史的な玩具を復刻する際に、ネフ社を指名したことで、名実ともに世界的な知育玩具メーカーとして認識されるようになった。

ネフの玩具は、60年代にいち早く柳宗理らが海外で発見していたが、70年代からアトリエ ニキティキが輸入・販売を行うようになり、日本の家庭や教育現場にも徐々に浸透していった。そんな中、ネフは、74年に初来日する。そして、会社の経営からは身を引いてからも、何度となく日本を訪れ、取引先のみならず、ワークショップなどで遊びを通して子供たちとの交流を深めた。結果、日本は世界でも屈指のネフの販売数を誇る国となっている。

おもちゃデザイナー・クルト・ネフ
日本とつながるネフ  ネフ社の玩具は、インターン先のグラフィックデザイナー・河野鷹思の事務所でその存在を知った西川敏子が代表を務めたアトリエ ニキティキによって、1971年から輸入・販売されるようになった。ネフもたびたび来日し、写真のようなワークショップで、子供たちと交流した。芦屋市立美術博物館や目黒区美術館などで、大規模な展覧会も開催されている。また、玩具作家の小黒三郎や相沢康夫らのデザインもネフ社で商品化されている。

ネフの玩具に対する考えはこうだ。「玩具はファンタジーを生み出すものであったり、発達を促すものでなくてはなりません。何通りもの形で遊ぶことができ、美しくなければいけません。なぜなら、子供たちは玩具を通して、様々な世界を知っていくからです」

ネフ社は2006年に彼が逝去してからも、その信念の下、優れた知育玩具を作り続けている。ネフは、晩年に経営を離れてからも、毎日自宅にある工房で、手を動かしながら、まるで子供のように新しい玩具を作り続けていた。その精神は、現在スイスのツォフィンゲンという小さな町にあるネフ本社のオフィスに今も息づいているのがわかるはずだ。

クルト・ネフの精神は、今もスイスの小さな町に息づいている

スイス Niklaus-Thut-Platz
旧市街の市庁舎前広場・Niklaus-Thut-Platzの風景。

現在の本社はクルト・ネフの妻ロッティさんの故郷のツォフィンゲンという町にある。「人口1万人強の小さな町ですが、13世紀初めに都市権を得た歴史ある町です。スイスの真ん中あたりにあるので人気があり、新しい住宅もあちこちで建設中です」と、ネフの義理の息子で今は相談役のハンスペーター・エングラーさん。2020年には息子のパトリックさんが社長に就任した。

パトリック・エングラー、ハンスペーター・エングラー
パトリックさんを支える父のハンスペーターさん(右)。
ネフ社ショールームに隣接する社長オフィス
ショールームに隣接する社長パトリックさんのオフィス。

幼い頃からネフの工房に出入りをして、一緒に木材で鶏小屋を制作するなど工作が好きだったパトリックさん。会社を継ぐことは自然のなりゆきだった。物心ついた時から、ネフ社が作っているものは、クオリティが高く、木材を使いエコロジカルで長く使える玩具ということを知っていた。ゆえにネフの仕事には昔から共感していたという。

おもちゃデザイナー・クルト・ネフと2人の息子
ネフにかわいがられていたパトリックさんと弟さん。

「クルト・ネフはクリエイティブで明るく優しい人でした。玩具のデザインはドローイングから立体化するのではなく、プロトタイプを作っては何度も改良を続けていましたね。常に忙しい人という印象もありました」とパトリックさん。

現在の本社には、過去の名作も一般の人に見てもらおうと誰でも訪れることができるミュージアムも開設した。コレクターが寄贈してくれたり、eBayで買い戻したりしたものもあるという。ネフが作業を続けていた作業台の引き出しには、道具や眼鏡が無造作に残されている。笑顔の彼がそのうち現れるのではないかと思うほど、クルト・ネフ愛に包まれた心温まる空間だ。

コルビュジエの椅子『LC』
ネフが愛用したコルビュジエの椅子・LCもミュージアムに。
ネフ社の試作品
ギッタンバッコン、左右に揺らすとコマが転がる試作。
ネフ社のクアトロ、ピラミ
色を楽しむクアトロ(左・1990年)、ピラミ(右・89年)。
おもちゃデザイナー クルト・ネフの作業台
試作やカタログが並ぶ年季の入ったネフの作業台。
ネフ社のリングリィング、ベビーボール
リングリィング(左・1978年)とベビーボール(右・68年)

長く愛される玩具を志す、デザインチームの仕事術

世界中のデザイナーから年間で20以上のオファーがあるというネフ社。その中から実際に製品化を決めるのはチーフデザイナーのハイコ・ヒリックさん、パトリックさん、ハンスペーターさんの3人だ。ドイツの伝統的な玩具作りで知られるエルツ山脈地方出身のハイコさんは大学時代からネフ社に関心を寄せていた。自分のデザインが採用され、チーフデザイナーとなったのは夢が正夢になった大きな出来事だったと語る。

「玩具をデザインする人は実際に自分の手に取って遊んでみることが必要です。スケッチやコンピューターでデザインしただけではなくね。素材を理解し、機能性も重視しますね」

ネフは人を引き寄せる魅力がある人だったという。自分の意見ばかりでなく、ほかの人がどう思うかにも耳を貸す気配りのある人だったとハイコさんは振り返る。「良いものは変える必要がない」と言っていたネフ。そのスピリッツを継承し、創業から70年以上培われてきた玩具作りに携われることをハイコさんは感謝するとともに、この歴史を継承する責任も強く感じている。

おもちゃデザイナー・クルト・ネフ
クルト・ネフ  1926年スイス・エプティンゲン生まれ。木製の知育玩具メーカー、ネフ社の創業者。56年に代表作となる《ネフスピール》を開発。その後、ペア・クラーセンらと数々の知育玩具の傑作を世に送り出した。2006年に逝去。

Information

ネフ社 本社 内観
BRUTUS

Naef本社

1,000点の名作展示をするミュージアムが併設。26年5月より近隣の町バーデンでクルト・ネフ生誕100周年展が開催。

住所:Untere Brühlstrasse 11 4800 Zofingen, Switzerland
HP:https://www.naefspiele.ch/de/startseite/

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