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【豊臣兄弟!】秀長(仲野太賀)誕生、四国攻め、秀吉(池松壮亮)の関白就任。兄弟の連携が歴史を動かす!

  • 2026.9.25

【豊臣兄弟!】秀長(仲野太賀)誕生、四国攻め、秀吉(池松壮亮)の関白就任。兄弟の連携が歴史を動かす!

2026年のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」。今まであまりスポットライトの当たることのなかった豊臣秀長を主人公に、戦国時代がどう描かれるのか? ここでは、ストーリー展開が楽しみな本ドラマのレビューを隔週でお届けします。今回は、第35回「秀長誕生」と第36回「姫若子(ひめわこ)と鬼若子(おにわこ)」です。

第35回「秀長誕生」

前回、市(いち/宮﨑あおい)とともに壮絶な最期を迎えた柴田勝家(かついえ/山口馬木也)を演じた山口馬木也が、インタビューで「自分はあの豊臣兄弟に対して、常に『老害』であり続けようと思った」ということを言っていた。そして、あの兄弟がどんどん活躍し、躍動してくる姿を見て「ああ、これで次世代に任せられる」と、どこか安心して託すような気持ちで引き際を迎えられたというのだ。

兄弟の生き生きとした結束力と生命力は、織田信長(小栗旬)の死以降、さらに本物になりつつあると感じられる。今回の2話も、それがさらに印象的な物語だった。

信長亡きあと、次は自分が天下人になるのだと決めた羽柴筑前守秀吉(ちくぜんのかみひでよし/池松壮亮)は、その志を弟である羽柴小一郎長秀(こいちろうながひで/仲野太賀)にだけは打ち明けてきた。しかし、次々と諸将との関係を納めていく中で、とうとう自身の家臣たちにも宣言し、皆もそれを支えていこうと意気投合したのが前回。

だが、それを面白く思わない者たちも当然ながらいた。その筆頭が、信長の次男・織田信雄(のぶかつ/山脇辰哉)だ。さらに、そこに目をつけたのが徳川家康(松下洸平)である。天正12(1584)年3月、いよいよ信雄は、秀吉を討つべく挙兵。その大きな後ろ盾となったのが家康だった。「信長の志を受け継いだ信雄を支えつつ、主家の大恩を忘れ、天下をかすめ取ろうとする逆臣を討ち、我らが天下を正す」というのがその大義である。ここに、いわゆる「小牧・長久手の戦い」が始まったのだ。

秀吉、小一郎らは徳川との戦いの要になるのは、今では朽ち果てている小牧山城だと睨む。攻めがたく守りやすいこの城を要害として、本軍が敵を引きつけている間に、手薄となった南伊勢を攻め取り、長嶋城、さらには尾張へ敵を挟み撃ちにする、というのが彼らの計画だった。戦によって民を疲弊させてはならない、ひと月で終わらせると、秀吉は皆に宣言した。

しかし、いざ蓋を開けてみると、すでに小牧山城には、徳川が先を読んで入っていた。戦いは一向に動かなかった。7日目を迎えて尾張・楽田(がくでん)城に詰めていた秀吉軍の中で、池田恒興(つねおき/堀井新太)が、徳川が小牧山に籠って動かないうちに、三河を攻め取ってしまえばよい、自身が討って出ると言い出した。秀吉は池田に3万の軍勢を任せることにする。同時に、この動きに徳川が気づいて城から出てきたところを討つという計画も立て、その大将を自ら手を挙げた甥の三好信吉(のぶよし/山田涼介)に任せることにした。かつて万丸(よろずまる)と呼ばれていて人質に出された信吉は、三吉一族の三好康長の養嗣子となり、三吉家の名跡を継いでいた。

しかし、その信吉が率いた軍勢は、敵軍に急襲される。さらに尾張・長久手では、池田恒興が息子・元助(もとすけ/柴崎楓雅)とともに命を落とした。徳川は、羽柴に気づかれないように城の外にまで堀を掘っていて、そこから出てきていたのだ。前線から戻って謝罪する信吉に、秀吉は敗退そのものではなく、「なぜもっと早く引き際を見極められなかったのか」と、大将としての判断力の欠如を注意した。

さぞ気落ちしているだろうと思った甥を、小一郎は「そんなに自分を責めるでないぞ」と気遣うが、信吉は自分を責めるどころか、「自身は全く悪くない、来ると言っていた報せを見過ごした者が悪い」と平然と言い放った。小一郎は「それは違う。今回は敵方の策が勝ったのだ。誰を責めることもできぬ」と強く注意するが、信吉は納得いかない表情でその場を立ち去るのだった。

そんな時、民から石を投げられた秀吉が、額を負傷して戻った。尾張・蟹江(かにえ)城の戦いで織田・徳川軍に敗北した滝川一益(かずます/猪塚健太)が秀吉を訪ねて、城下に撒かれていたという一枚の紙を差し出す。そこには「秀吉は卑しい身分の出。信長公の寵愛を受けて侍になったのにもかかわらず、今や主家たる織田家に刃を向ける大悪なる逆臣。この逆臣を討った者には金子百枚を与える」と書かれていた。それを見た秀吉は激怒すると、そのまま倒れてしまった。

回復した秀吉は、徳川に再び戦いを挑もうとするが、小一郎は和睦を勧める。激怒する秀吉に「わしらが和睦をする相手は徳川ではない、信雄様だ」と説明する。実はと見舞いに来ていた丹羽長秀(ながひで/池田鉄洋)が説明するところによれば、信雄から自分のところに調略する書状が届いた、これは信雄と徳川が決してうまくはいっていないことの証であって、和睦を持ち掛ければ必ずや乗ってくるという。「それで徳川がおとなしく退くと思うか」と問う秀吉に、小一郎は確信を持って、「退く。われらが信雄様と和睦をすれば、もはや徳川に戦う大義はない。民たちが疲弊していること、兄者もわかっておろう。この戦が終わることを皆が望んでいるのじゃ。なれば、これは負けではない。勝ちに等しい和睦じゃ」と訴える。

伊勢・縄生(なお)城で信雄と相対した小一郎は、和睦の書面を差し出す。しかし、信雄からは徳川にいいように使われたことなどについて、愚痴がぽろぽろと出てくるばかりだ。「皆が欲しているのは、わしではなく、織田の名を掲げることで得られる大義じゃ。ついてないのう。織田家になど生まれなければ。まぁでも、父上よりましか、寺の中で焼け死ぬなどみじめの極みじゃ。わしはああはならぬ。和睦してやるからありがたく思え」

すると小一郎が、書面を握りつぶした。ここからの長台詞は、今回の大きな見せ場だ。「もうよい。お前と和睦などせぬ。織田家に生まれなければよかったじゃと? その織田家を支えるために、織田家の誇りを守るために、どれほどの者が命を懸けたと思うておるんじゃ。お前からは、自ら命を懸ける覚悟が感じとれぬ。人の上に立つ器をまるで持ち合わせておらぬ。織田の名にすがりよって。情けない男よ。上様の死がみじめの極みじゃと? その死を惜しんだ者がどれほどいたと思うとるんじゃ。お前の父は天下一の方じゃ! お前のようなやつとは断じて和睦などせぬ。徳川のもとに帰って一生見下されて生きよ」

腹を立てたまま小一郎が立ち去ると、満面の笑みで秀吉が信雄にすり寄っていった。「申し訳ござらぬ。礼儀知らずの弟で。わしは信雄様とぜひ和睦をしたいと思うておりまする」。この兄弟の絶妙な呼吸による「ムチ」のあとの「アメ」作戦が功を奏し、信雄は無事、書状に署名した。秀吉は「これからも、末永くわしのために働いてちょ。信雄様」と微笑んで立ち去る。これこそが、「兄弟」ならではのコンビネーション、息の合いっぷりのよさである。ここで8か月の長きに渡る戦がようやく終わった。

小一郎は自分が信雄に怒ってしまったことを兄に詫びるが、秀吉は「お前が怒っていなかったらわしが怒っていた。そうしたら、和睦は成り立たなかった」と礼を言う。同席していた長秀は、その場から秀吉が立ち去った後、そっと小一郎に言う。「あやつは信長公を超える武将となるやもしれぬ。なぜだかわかるか。おぬしがおるからじゃ。おぬしの力で秀吉に信長公を超えさせろ」。その言葉を粛然と受け止める小一郎。すると長秀は、朗らかにさらに続けた。「ところで、おぬしの長秀という名は何とかならぬか。同じ名だとややこしくてならぬ。次会うまでに変えよ」。これが小一郎と長秀の最後の時となった。

後日、皆を集めた小一郎は、自らの名を、「長秀」から「秀長」にすると宣言。その脳裏には、長秀からかつて受けた助言があった。「信長様の長と秀吉の秀から取ったものであろう? おぬしの力で秀吉に信長様を超えさせろ」。この日を境に、小一郎は、羽柴美濃守秀長(みののかみひでなが)と名乗ることになったのだ。

第36回「姫若子と鬼若子」

タイトルの「姫若子と鬼若子」は、どちらも長宗我部元親(もとちか/磯部寛之)のニックネームのようなものである。若い頃は色白で部屋に籠ることが多く、「姫」のようだということで「姫若子(おとなしい子)」と呼ばれていたのだが、のちに戦場に出るようになると、その鬼神のような奮戦ぶりに「鬼若子」と呼ばれるようになったというのだ。

そして、この役を演じるのは、ロックバンド「Alexandros」でベースを担当する磯部寛之だ。大河ドラマどころか、ドラマ出演そのものがほぼ初めてという異例の大抜擢である。しかし、ミュージシャンならではの音感のよさなのか、土佐弁も、以前披露した能の演技も、板についていて存在感がある。今回はこの元親が特にフィーチャーされる回で、より印象的な場面が多かった。

その頃、元親は四国一統を目前にしていた。そこへ、秀吉から書状が送られてくる。「阿波、讃岐、伊予を返上すれば、土佐一国を安堵する」と言ってきたのだ。羽柴はすでに先の戦いで織田方についた紀州の雑賀(さいか)と根来(ねごろ)を討伐している、次は我らだと、家臣の谷忠澄(ただずみ/堀部圭亮)が忠告する。

元親は「土佐一国では到底受け入れられない。伊予と二カ国の所領を安堵されるのだったら、阿波と讃岐は差し出す」と譲歩した答えを返してくるが、秀長は「我らに味方すれば伊予を与える」という毛利との約束があるため、その要求は飲めないと家臣たちに伝える。

秀吉は、長宗我部とは一戦を交えるよりほかに道はないとして、その四国攻めの総大将に秀長を任じる。そして秀長は、天然の要害である四国を海からの包囲戦で攻めると家臣たちに伝えた。紀伊湊(きのみなと)の代官・吉川平助(へいすけ/松岡広大)を家臣に召し抱え、1000もの船で海からの攻撃をしかけると決めたのだ。

一方、秀吉は京に行き、千宗易(そうえき/吉岡秀隆)を訪ねていた。目的は五摂家(ごせっけ)の近衛(このえ)家当主・近衛龍山(りゅうざん/前野朋哉)に会い、関白就任に向けての朝廷工作に乗り出そうとしていたのだった。ここに至るまで、秀吉は帝からたびたび文をもらうまでに、京や国のために尽くしていることをアピール、根回ししてきたのだった。「将軍は武家の棟梁にすぎませぬ。されど関白は、帝の代わりとなってすべての民の上に立つ者。私はそこからの眺めを見てみたいのじゃ」。龍山は、秀吉に自身の思いも重ね、養子にすることを認める。

天正13(1585)年6月、ついに四国攻めの火蓋が切られた。秀長率いる大群が、阿波、伊予、讃岐の三方へと押し寄せた。そしてその攻撃の前に、防衛線は各地で脆くも崩壊していった。

秀長は阿波・一宮(いちのみや)城に踏み込むと、忠澄に長宗我部との仲介を頼む。秀長は「今、下れば土佐一国は長宗我部の領土として安堵する」と譲歩を申し出るが、元親ははねつける。

なかなか動かない事態に焦れて、秀吉からは「これ以上手を焼くなら出陣する」と言ってきた。しかし、秀長はこれまでの元親の言動を思い返し、「長宗我部殿はお強いお方じゃ。じゃが、それ以上にお優しいお方なのじゃ。わしは長宗我部殿を説き伏せたい」と粘る。それを聞いた蜂須賀正勝(まさかつ/高橋努)は、自身が負傷していることもあるため、前線を離れて秀吉を説き伏せてくると申し出る。

秀吉のもとへ駆けつけた正勝は、秀長が総大将として立派に闘っていることを伝え、このまま見守ってやってほしいと願い出る。そして、初めて会った時も羽柴兄弟は喧嘩をしていた、なのだが、互いのことをよくわかっていたと話す。「わしはのう、この兄弟のそこに惚れて長康と一緒に力を貸そうと決めたのじゃ。今はどうじゃ。あの頃と同じように小一郎のことをわかっておるか」。そう聞かれると、秀吉は返す言葉がない。「関白になる、すごいのう。大したもんじゃ。じゃがのう、わしにとっては、もっと大事なことがある。その関白がわしの惚れた男かどうかじゃ。どうなんじゃ」。その正勝の言葉に、秀吉は「あと3日だけ待つ」と答えるのだった。

忠澄は、一宮城と白地(はくち)城を両者の説得のために行き来する。「おぬしも損な役回りをやらされたものよのう」と憐れむ元親に、忠澄はこう答える。「そうは思うておりませぬ。何べんも殿を説き伏せに参るうちに、いつしか私の心も殿を死なせてはならぬと思うようになりました」

そして、一つの箱を主の前に差し出す。訝りながら開ける元親。そこには、女物の着物が入っていた。それは、かつて秀長と会ったときに元親が着ていたものだった。「なぜそのようなお召し物を」と尋ねる秀長に、「好きじゃき。今もこのような姿でおると、なぜか穏やかな心持ちになれるがじゃ」と答えていたのだった。

「殿を説き伏せることができるがは、あのときの殿しかおらぬと。あれがまことの長宗我部元親ながじゃ」と谷が秀長の言葉を伝えると、その着物を手に元親は涙した。「殿、これは私のお願いにござります。降伏を受け入れてくだされ。土佐一国、それで十分ではござりませぬか。まことはもう殿もそうお決めになられちゅうがじゃないですろうか。何があろうと最後は家臣、領民のことを一番に慮ってくださる。私の知っちゅう殿はそういうお方でございます」

一宮城に現れた元親は、かつてと同じような着物を着ていた。自分たちはあなたを滅ぼすつもりで海を渡ったのではない、一緒に天下一統の夢見てほしいと秀長は訴える。その言葉に、元親は己の素直な気持ちを吐露するのだった。「わしにとって四国一統は苦しい夢であった。戦に明け暮れ、いつの間にか人を殺めることにもなんちゃあ感じんなった。わしはそんな己が恐ろしゅうて、じゃき、こうして美しいもんに身を包み、心の中に潜む醜き鬼を封じてきたがでござります。この姿をまことのわしじゃと言うてくださった貴殿の言葉は、わしにとって救いでございました」「もしも違う出会いであったら、わしらは友になれていたかもしれんな」「何でそこまでわしのことを」「好きじゃき」「まだ遅うはあるまい。今この時より、そうなればええがじゃ。この元親、これよりは上様の臣下となり、天下一統の夢をお手伝いをいたしまする」

天正13(1585)年7月11日、秀吉はついに関白となることを認められた。「それは一介の小百姓がこの国の最高権力者へと上り詰めた奇跡の瞬間でございました」とナレーションが締めた。

元親役の磯部寛之が「ラジオ深夜便」の中の「もっと豊臣兄弟!」という枠の中でインタビューに答えて、元親の印象を「優しい人だと思う」と話していた。優しくて素直で、素直であるがゆえに自分の運命に対して素直に立ち向かう。父親がなし得なかった土佐統一を自分がやるということで突き進むのだけれども、土佐に留まらず四国統一を目指したのは、山ばかりの土佐では、増えた家臣の食い扶持が稼げないから。そう聞くと、家臣思い、領民思いだったのではないかと。

秀吉、秀長の兄弟の絆がいろいろな人の心に「何か」を残していく、そして政治的な損得勘定ばかりではなく、その「何か」が相手の心に響いて歴史も動いていった。果たしてどこまで事実かはわからないが、そうしたこのドラマの今回の柱のようなものが、いつも以上に伝わってくる2話だった。いよいよ天下一統に向けて本格的に走り出した兄弟、ここから一層、目が離せない。

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