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なぜ信長は「茶器」を集め、秀吉は「黄金の茶室」を作った?戦国武将の「茶会」の真の目的

  • 2026.7.9

*TOP画像/信長(小栗旬) 秀吉(池松壮亮) 大河ドラマ『豊臣兄弟!』26話(7月5日放送)より(C)NHK

 

『豊臣兄弟!』(NHK総合ほか)ファンのみなさんが本作をより深く理解し、楽しめるように、40代50代働く女性の目線で毎話、作品の背景を深掘り解説していきます。今回は「茶会」について見ていきましょう。

 

 

 

◆信長は御茶湯御政道(おちゃのゆごせいどう)という政策を作るほど

戦国武将が「茶会」を好んだ理由とは?

私たちが茶会と聞くと、“おいしいお茶をみんなで味わう時間はいいよね” “友人とお茶をゆったりと楽しむ時間はステキ”と思うかもしれません。一方、戦国時代、織田信長や豊臣秀吉をはじめとする戦国武将が茶会を好んだのには、この時代ならではの理由がありました。

 

例えば、信長は御茶湯御政道(おちゃのゆごせいどう)という政策を行いました。これは、戦功のあった武将に名物の茶器を与え、さらには茶会の開催を許すという政策です。これにより、家臣のモチベーションは高まり、戦で最大限の力を発揮するようになりました。信長は自身の趣味のためだけではなく、家臣に褒美として与えるためにも、価値ある茶道具の収集に注力していたのです。

 

ちなみに、信長の茶器コレクションの中には、城や土地よりも高価なものもありました。また、戦国武将が茶を好んだ背景には、茶室は貴重なプライベート空間だったこともあります。茶室は狭く、少人数しか入れないため、政治の話や秘密の相談をするのに極めて好都合でした。

 

◆豊臣兄弟は茶会をどのように利用していた?

秀吉が黄金の茶室を設けた目的とは

『豊臣兄弟!』の20話では、秀吉(池松壮亮)と小一郎(仲野太賀)が、松永久秀(竹中直人)から“どちらが本物の平蜘蛛を見極めろ!”と命じられる場面がありました。茶器に関する知識がまったくない二人が、当てずっぽうで答える姿は少し滑稽で、無知さが漂っていました。しかし、本放送回(26話)では、秀吉は茶には相変わらず関心が薄いものの、信長から茶会を催す権利も認められていることが分かりました。

 

史実においても、豊臣兄弟は当時の武士の教養とされていた茶にも、地位を上げる中で慣れ親しんでいきます。二人は茶会の亭主を務めただけでなく、名物といわれる茶道具も持っていました。豊臣秀長がわび茶を大成させた千利休とも深い関係を築いていたことは、“非公式、秘密の話などは利休に相談しなさい。公のことは秀長に相談しなさい”と綴った、大友宗麟への書状からもうかがえます。

 

また、秀吉は信長の御茶湯御政道を受け継ぎました。茶会を頻繁に開催し、朝廷との関係も茶会で強固にしました。さらに、秀吉は黄金の茶室を大坂城に設けました。黄金の茶室について“秀吉の成金趣味” “秀吉は派手好き”という見方をしがちですが、実際は個人の趣味というよりも、政治的な目的がありました。

 

秀吉は黄金の茶室で自らの地位や権力を世間に誇示したのです。大坂城を訪れた要人を茶室に案内し、おどろかせていました。ちなみに、この茶室は持ち運ぶことができ、京都御所や名護屋(現:名古屋)においても周囲に見せびらかしていたと記録から分かっています。

 

◆秀吉が明智光秀と対峙した際にも陣中に茶室が⁉
 

お茶には心を落ち着かせる効果も!?

乱世の時代、自分の命をいつ奪われるか分からない状況にあった武将のストレスは、大きなものだったと察せます。そうした中で、武将はお茶のリラックス効果を実感していました。例えば、秀吉が明智光秀と対峙した際(山崎の戦い)、利休は陣中に茶室を設けて秀吉の心を落ち着かせました。

 

現代に生きる私たちも、苦味のあるお茶を飲み、ふとリラックスすることはありますよね。

 

本記事では、戦国時代の「茶会」についてお伝えしました。

では、では、26話の見どころを振り返りながら、織田信長の人柄についてお届けします。

 

<参考資料>

新星出版社編集部(編集)『図解大事典 戦国武将』新星出版社、2017年

二木謙一『図解戦国合戦がよくわかる本 武具・組織・戦術から論功行賞まで』PHP研究所、2013年
 
 

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