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発売から25年、「裸」で勝負した“異色3人”の「ハイブリッドな祭囃子」

  • 2026.3.20

2001年3月。春の風には、まだ冬の鋭い冷たさが混じっていた。日本の音楽シーンは、空前のダンスユニットブームがひとつの句読点を打とうとする、不思議な静寂の中にあった。ブラウン管を揺らし、日本中の放課後や飲み会を支配していた熱狂が、静かに幕を下ろそうとしていたあの時期。私たちは、ある種の手持ち無沙汰な寂しさを抱えながら、次に来る何かを待っていた。

そんな時代の隙間に、突如として現れたのが、あまりにも不器用で、それでいて清々しいほどにむき出しの肉体を持った三人の男たちだった。

関東裸会 三羽烏『関東裸会の唄』(作詞:橋貴/作曲:後藤次利)ーー2001年3月14日発売

野猿という巨大なムーブメントが「撤収」を宣言した直後。その余熱が冷めやらぬタイミングで世に送り出されたこの楽曲は、洗練へと向かうJ-POPの潮流に対する、彼らなりの最も無垢な形でのカウンターだったのかもしれない。

華やかな虚飾を剥ぎ取り、肉体一つで立つことの矜持

当時のテレビ番組から生まれる音楽といえば、煌びやかな衣装や緻密に計算されたダンス、そして最新のデジタルサウンドが標準装備されていた。しかし、彼らが選んだスタイルは、その正反対にある「裸」だった。

文字通り、何も持たず、何も飾らず。ただそこにある肉体と、経験を重ねた男たちの声だけで勝負するという、ある種の狂気にも似た潔さ。

「三羽烏」としてマイクを握ったのは、リーダーの橋貴(石橋貴明)に加え、音楽レーベルの社員である鮒(堀場茂夫)と、アーティストマネジメント会社の社員である次元(横尾隆)という、普段は業界の裏側にいる男たちが、その名を伏せ、文字通り「裸」になって表現の表舞台に立った。

彼らが選んだのは、煌びやかな衣装でもなければ、最新のトレンドに擦り寄ったダンスでもない。褌一つという、原始的かつ最も無防備な姿であった。

その潔いまでの剥き出しの姿は、情報の洪水の中で何かに依存しなければ立てない現代人への、強烈な皮肉であり、同時に「自分自身で立つ」という人間本来の矜持を突きつけているようでもあった。

巨大ユニットが去りゆく後ろ姿を飛び越えて、あえて少人数の「個」の力へと立ち返る。そこには、時代の寵児であった石橋貴明が、音楽という戦場で最後に見せた、狂気にも似た潔さが宿っていたのである。

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2018年、「とんねるずのみなさんのおかげで BOX」発売記念イベントに出席した石橋貴明(C)SANKEI

響き渡る和太鼓の衝撃、デジタルと原始の融合

この楽曲を音楽的な傑作へと押し上げたのは、昭和・平成のヒットチャートを司ってきた巨匠・後藤次利の手腕だ。彼が提示したのは、腹に響く地を這うような和太鼓の音色と、疾走感あふれるユーロビートを衝突させた、類を見ない「ハイブリッドな祭囃子」だった。

単に珍しさを狙ったものではない。その構成は極めて緻密であり、太鼓の残響が消える瞬間の静寂にさえ、男たちの息遣いが重なるよう設計されている。緻密なデジタルサウンドと、力任せな肉体の咆哮。この相反する要素が混ざり合った瞬間、楽曲はバラエティの枠を超え、聴く者の生存本能を呼び覚ますような呪術的な力を持つに至った。

歌唱においても、プロの歌手のような洗練はない。だが、そこには現場で酸いも甘いも噛み分けてきた大人たちだからこそ出せる、しゃがれた情熱がある。巧拙を超えた先にしかない「真実」が、音の粒となって放たれていた。

誰にも理解されずとも、貫き通した“男”の流儀

世の中がスマートに、効率的になっていく中で、あえて泥臭く、不器用にぶつかり合うことの尊さ。「関東裸会」という看板は、滑稽に見えるかもしれないが、そこには失われつつあった“男たちの純情”が、最後の一滴まで絞り出されていた。

リリースから20年以上の時が過ぎ、あの頃の狂騒を知る者も少なくなった。しかし、ふとした瞬間にこのイントロを耳にすれば、誰もが心の奥底に眠る「熱」を思い出す。それは、何者かになろうと必死だったあの頃の、自分自身へのエールのようにも聞こえるのだ。

不器用な男たちが、春の夜空に放った咆哮。それは今も、冷めることのない火種として、記憶の深淵を照らし続けている。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。