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22年前、熱狂の裏側で響いた“孤独で純粋な”旋律 カリスマが独り歩き出した“再生のサウンド”

  • 2026.2.21

2004年2月。音楽シーンは依然として華やかだったが、ある一人のアーティストにとっては、全く別の意味を持つ季節だった。黒夢、そしてSADS。1990年代から日本のロックシーンを牽引し、常に「破壊」と「創造」を繰り返してきたカリスマが、すべての鎧を脱ぎ捨てて、ただ一人の表現者としてマイクの前に立った瞬間。それが、2004年2月のことだった。

清春『EMILY』(作詞・作曲:清春)――2004年2月9日発売

静寂の中に落とされた、剥き出しの「個」のしずく

2003年の暮れ、SADSが活動休止状態の中で、常にシーンの最前線で「激しさ」を体現してきた彼が、次に何を選ぶのか。誰もが固唾を飲んで見守る中、届けられたのは、驚くほど静かでいながら、熱量を感じるサウンドだった。

ソロデビュー曲として選ばれたこの楽曲には、それまでのバンドサウンドで見せてきた、牙を剥くような攻撃性とはややアプローチが違った。そこにあったのは、一人の人間としての体温や、吐息まで聞こえてきそうなほど至近距離の歌声だった。

冷え切った都会の夜にこの曲が流れたとき、多くのリスナーが耳を疑ったかもしれない。しかし、その削ぎ落とされた音像の中にこそ、彼がそれまでのキャリアを賭けて守り抜いてきた「表現の核心」が宿っていたのだ。

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2013年、初の詩集『MARDI GRAS』の発売記念イベントを行った清春(C)SANKEI

激動のステージを降りて見つけた、たったひとつの呼吸

この楽曲の美しさを語る上で欠かせないのが、編曲を担当した内山肇の手腕である。ストリングスやアコースティックギターが優しく、時に鋭く旋律に寄り添い、清春という稀代のボーカリストが持つ「声の成分」を最大限に引き出している。

バンドという集合体から離れ、自らの名前だけで生きていく決意。それは、華やかな成功を収めてきたアーティストにとって、ある種の孤独を受け入れる作業でもあったはずだ。装飾を排し、あえて「隙」を見せるような繊細なアレンジは、当時の彼の心象風景をそのまま映し出していたのかもしれない。

重厚なベースラインや激しいドラムの代わりに、空気の震えそのものを音楽にするようなアプローチ。それは、単なる路線の変更ではなく、表現者としての「成熟」を告げるものだった。激しいシャウトで時代を扇動してきた男が、静かに名前を呼ぶような歌声を聴かせたとき、私たちは彼の新しい季節の始まりを確信したのである。

時代が移ろっても色褪せない、冬の終わりの記憶

あれから22年。季節が巡るたびに、この曲の持つ独特の切なさと温かさが思い出される。冬から春へと向かう途中の、まだ風が冷たい時期。そんな季節の移ろいと、彼自身の再生の物語が重なり合い、唯一無二の情景を作り出している。

激しさを知るからこそ表現できる静寂があり、孤独を知るからこそ届く優しさがある。この曲を聴くたびに、私たちはあの頃の自分自身の迷いや、あるいは新しく何かを始めようとしていた時の、あの震えるような高揚感を思い出す。

未知の荒野へと歩き出した一人の男の背中。 その背中に寄り添うように流れていたメロディは、今もなお、誰かの夜を静かに照らし続けている。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。