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朝ドラで視聴者の心を掴んだ“悲しき悪役”「かわいそう」「つらい」NHKドラマにも多数出演の“存在感ある俳優”

  • 2025.11.4
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『ばけばけ』第2週(C)NHK

「かわいそう」「どんどん追い込まれていくのがつらい」……朝ドラ『ばけばけ』において、雨清水家の織物工場を取り仕切る検番・平井(足立智充)が、女工を平手打ちする衝撃の場面では、SNS上でそんな言葉が相次いだ。たしかに暴力は許されない。しかし、視聴者の多くは“怒り”よりも“哀れみ”を覚えたのではないか。なぜなら彼は、最初から“悪人”ではなかったからだ。

“優しい検番”が壊れるまで:工場を呑み込む恐怖の空気

物語序盤の平井は、どこにでもいる職人肌の男だった。女工のトキ(髙石あかり)たちと冗談を交わし、小豆洗いのイラストを見て笑う。工場の空気は穏やかで、社長・傳(堤真一)の理念も静かに息づく場だったように思う。

しかし、傳が病に倒れた瞬間から、空気が変わる。経営の舵を握るのは、未熟な三男・三之丞(板垣李光人)。その右腕として動く平井は、工場を支えねばという責任感に駆られる。彼が口にした再建策は、「一人一日一反」。あまりにも過酷なノルマだった。しかし、それしか思いつかなかったのだろう。あの時の平井には。

人手不足、品質の低下、売上の落ち込み。「工場を潰す気か!」と怒鳴る声の裏に、どれほどの恐れがあっただろう。彼の暴力は支配欲ではなく、崩壊を止めたいという“焦燥”だった。

そして、怒鳴った直後に見せた“我に返る”狼狽の表情。その一瞬の目の泳ぎが、彼が誰よりも苦しんでいることを雄弁に語っていた。

パワハラの裏側にある“正しさ”と“孤独”

足立智充の演技が恐ろしいのは、“悪意の匂い”がないことだ。声を荒げる瞬間にも、どこか祈るようなトーンがある。女工を守らねば、工場を支えねば……そんな“正しさ”が、いつしか他者を追い詰めていく。

その過程を、足立は“静かな圧”で表現する。怒鳴る声と苛立ち、女工を叩いた直後の目の開き、トキに諌められ息を呑む瞬間。言葉ではなく、体の反応で“壊れていく人間”を演じた。

平井の行動は、明治時代の工場だけの話ではない。現代にも通じる“正義が暴走する構図”がそこにある。彼は組織の犠牲者であり、同時に加害者でもあった。だからこそ、視聴者は彼を嫌いになれなかった。

物語としては“悪役の退場”で終わりそうになっている平井。しかしその影は、工場の誰よりも深く残った。彼の存在と崩壊は、物語に欠かせない、まさに“必要悪”だった。

足立智充が演じた“人間の崩壊”

足立智充が主演した映画『夜を走る』(佐向大監督)では、どこか捉え難さのある秋本という役を演じており、日本映画プロフェッショナル大賞の主演男優賞を受賞している。大河ドラマ『八重の桜』や『青天を衝け』、朝ドラ『ひよっこ』や『エール』にも出演しており、NHKへの貢献度も高い。本作『ばけばけ』でも、培った演技術が見事に活きていると見て取れる。

平井がもっとも人間的だった瞬間は、女工の頬を手で打った現場を傳に見られ、膝から崩れ落ちて「申し訳ございません」と土下座する場面だ。その姿は、暴君や独裁者というよりは、ただの“怯えた子ども”だった。このシーンの“痛みのリアリティ”は、足立の演技がつくり上げたものだ。

『ばけばけ』というタイトルには、“化ける(変わる)”という意味が込められている。人が変わる。時代が変わる。価値観が変わる。しかし、すべての人が変われるわけではない。平井は、制度に囚われ、時代の速度に取り残され、プレッシャーに負け、正義感を拠り所にしすぎて壊れてしまった。

朝ドラの世界では、ヒロインや主人公が未来へ進む。しかし、その裏には必ず、彼らを支え、そして取り残された誰かがいる。平井はその“裏側の人生”を体現していた。

彼の退場は物語上の小さな出来事かもしれない。けれど、誰かが壊れないと工場は回らない、そんな現実を突きつけた功績は大きい。

足立智充は、存在感を誇示せず、ただ“人間の限界”を淡々と演じた。だからこそ、観る者は彼を責めるよりも、どこかで「かわいそう」と呟かずにいられなかったのだ。


連続テレビ小説『ばけばけ』毎週月曜〜土曜あさ8時放送
NHK ONE(新NHKプラス)同時見逃し配信中・過去回はNHKオンデマンドで配信

ライター:北村有(Kitamura Yuu)
主にドラマや映画のレビュー、役者や監督インタビュー、書評コラムなどを担当するライター。可処分時間はドラマや映画鑑賞、読書に割いている。Twitter:@yuu_uu_