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40年前、30万枚超えを記録した“真夏のリゾートポップ” たった3日で制作された“異例のヒット曲”

  • 2025.9.3

「40年前の夏、どんな音楽が街を包んでいたか覚えていますか?」

1985年、雑誌にはリゾート特集やトロピカルドリンクの広告が並んでいた。銀座のネオンはいつも以上に煌めき、南の島へと誘う旅行パンフレットを片手にする若者たちの姿があった。そんな時代の空気を象徴する楽曲が誕生する。

杉山清貴&オメガトライブ『ふたりの夏物語 NEVER ENDING SUMMER』(作詞:康珍化・作曲:林哲司)——1985年3月6日発売。

日本航空のCMソングとして全国に流れ、その年の夏を鮮やかに塗り替えた代表曲となった。

夏と都会感を結びつけた代表曲

『ふたりの夏物語』は彼らにとって5枚目のシングルであり、キャリア最大のヒット曲。

杉山清貴の澄み渡るボーカルと、林哲司の都会的なメロディ、康珍化の詩的な言葉が重なり、都会の夜景とリゾートの開放感を同時に感じさせるサウンドが完成した。

制作においては、まず先にJALのCMコピーとして「ふたりの夏物語」という言葉が決まり、それに合わせて康珍化が詞を、林哲司が曲を仕立てた。曲はわずか2日で完成。当時ツアー中だった杉山とメンバーが帰京し、1日でレコーディングを終えるというスピード感で制作された。

それにもかかわらず、仕上がりは緻密で、完成度の高い作品として広く評価されることになった。むしろその勢いが、楽曲の瑞々しさを引き立てている。

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杉山清貴 (C)SANKEI

セールスとチャートを彩った“夏の代名詞”

シングルは発売と同時に大きな話題を呼び、累計30万枚を超えるヒットを記録。ランキングでも上位に食い込み、すでにヒット曲を重ねていたオメガトライブにとっても、キャリアを象徴する1曲となった。

『SUMMER SUSPICION』(1983年)、『君のハートはマリンブルー』(1984年)といった過去のシングルも好調だったが、『ふたりの夏物語』はそれらを超える成功を収め、世間に強烈な印象を残した。

音楽的魅力——“永遠の夏”を封じ込めた音

この曲の核心は、タイトルにある“NEVER ENDING SUMMER”をそのまま音にしたような世界観だ。

爽やかさを感じさせるキーボード、夏の情景を描くギター、跳ねるようなスラップベース、軽快に走るリズム、そして杉山清貴の透明感あふれる歌声——それらが重なり合い、まるで波打ち際に吹く風のようなサウンドを生み出している

夜のドライブにも南国の海辺にも似合う普遍性を持ち、80年代のリゾートポップを代表する楽曲といえる。

さらに見逃せないのは、この曲を手がけた林哲司の存在だ。彼は杏里『悲しみがとまらない』や松原みき『真夜中のドア〜Stay With Me』など数々の名曲を世に送り出した作曲家で、都会的でありながら切なさを帯びた旋律を描くことに長けていた。

『ふたりの夏物語』もまた、その作風を体現した一曲であり、“80年代のポップス黄金期を支えたクリエイターの代表作”として語り継がれている。

時代とともに刻まれた記憶

1985年の日本は、経済成長とともにリゾート志向が一気に広がりつつあった。戦後から“憧れの南国”だったハワイやグアムは、パックツアーの普及で若者にも手が届く存在になり、「夏=リゾート」という感覚が定着し始めた時期だった。

『ふたりの夏物語』はその気分と完全にシンクロし、CMを通じて全国に広がったことで、「夏の記憶」と直結する存在となった。

今も蘇る“あの夏の風”

40年が経った今でも、この曲が流れると真夏の太陽や潮騒、そして街のざわめきが鮮やかによみがえる。

若さの眩しさと、過ぎ去る瞬間の切なさ——その両方を音に封じ込めたからこそ、『ふたりの夏物語 NEVER ENDING SUMMER』は世代を超えて聴き継がれている。

それは単なるヒット曲ではなく、日本の“夏そのもの”を永遠に焼き付けた一曲なのだ。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。


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