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30年前、日本中が衝撃に包まれた“革命的な未来サウンド” 伝説のアーティスト誕生を告げた“原点の旋律”

  • 2025.9.3

「30年前の1995年、音楽の歴史が動いた瞬間を覚えている?」

小室ファミリーのダンスチューンが全盛を極め、テレビからも街角からも煌びやかなビートが響いていた時代。そんな華やかな音楽シーンの中で、静かに、しかし確実に未来へとつながる扉を開いた一曲があった。

浅倉大介 expd. 西川貴教『BLACK OR WHITE?』(作詞:井上秋緒・作曲:浅倉大介)——1995年5月25日発売

のちに日本の音楽シーンを代表するアーティスト、T.M.Revolutionの“伝説の始まり”となる重要な作品だ。

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浅倉大介-1995年撮影(C)SANKEI

止まった時計が動き出す瞬間

1995年1月1日、浅倉大介と貴水博之によるユニット・accessが活動休止を発表した。シーンを彩ったその活動に幕を下ろした浅倉は、ソロ名義での挑戦に乗り出す。そんなタイミングで3rdソロアルバム『ELECTROMANCER』のリードシングルとして世に送り出されたのが『BLACK OR WHITE?』だった。

この楽曲でボーカルを務めたのは、当時まだ世に知られていなかった若き歌声。鋭く、しかし伸びやかで突き抜けるその声は、浅倉のシンセサウンドと絡み合い、瞬く間に聴き手を虜にした。

この衝撃的な出会いこそが、T.M.Revolutionという物語の幕開けだった。

未来を切り裂いた声の衝撃

イントロから疾走するエレクトロサウンド。重なるシンセとビートに導かれて響くのは、力強く独特なボーカルだった。高音域を突き抜けるシャープさと、情感を失わない柔らかさを兼ね備えたその声は、瞬間的に「ただ者ではない」と感じさせる迫力を持っていた。

浅倉のサウンドは未来的でありながら、そこに重なる歌声が人間らしい熱を吹き込み、結果として唯一無二の化学反応を生んだ。それは、まさに“運命の邂逅”と呼ぶべき瞬間だった。

この楽曲の持つ意味をさらに強めたのが、浅倉大介のソロコンサートでの共演だ。西川貴教はゲストとしてステージに立ち、『BLACK OR WHITE?』を披露。会場を埋め尽くした観客は、その歌声のインパクトに息を呑んだ。

後にT.M.Revolutionとして華々しくデビューする姿を、観客はまだ知らない。だが、確かにこの瞬間こそが“予告編”だったのだ。

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T.M.Revolution(西川貴教)-1997年撮影(C)SANKEI

『BLACK OR WHITE?』が放ったエネルギーは、単なるヒットソング以上の意味を持っていた。未来を見据えたサウンドと新しい歌声。その組み合わせが“時代を切り拓く力”を宿していたのである。

このシングルは1997年に再発盤がリリースされ、すでに人気を確立していたT.M.Revolutionの原点として改めて注目を浴びた。ファンにとっては「ここからすべてが始まった」という特別な位置づけであり、今なお語られるたびに熱い想いを呼び起こす。

すべての伝説は、ここから始まった

後に数々のヒットを飛ばし、日本を代表する存在となるアーティスト。その輝かしいキャリアの前に、この『BLACK OR WHITE?』があった。派手なタイアップもなく、ランキングを派手に賑わせたわけでもない。だが、この一曲があったからこそ、その後の伝説が生まれた。

白か黒か、迷いなく突き進むようなエネルギー。それが1995年の時点で、すでにここに宿っていたのだ。

そして同時に、この瞬間から浅倉大介の“プロデューサーとしての伝説”も始まった。accessでの成功を経て、彼はただのキーボーディストや作曲家ではなく、新しいアーティストを生み出すクリエイターとしての道を歩み出す。その最初の一歩こそが、この『BLACK OR WHITE?』であり、のちのT.M.Revolutionへと直結する出会いだったのだ。

30年経った今振り返っても、この曲が鳴り響いた瞬間こそが、新しい時代の幕開けだった。『BLACK OR WHITE?』は、T.M.Revolution誕生を告げる永遠の“始まりの一曲”であると同時に、浅倉大介がプロデューサーとして刻んだ伝説の序章でもあった。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。


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